地歌 新娘道成寺 7 聞いて驚く人もなしの訳し方がわかりませんでした
6は、地歌「新娘道成寺」の歌詞
「我も五障の雲はれて、真如の月を眺め明かさん」
を訳す時に役に立った、俵藤太(たわらとうた)伝説と竜女成仏の話でした。
7は、もう一つ歌詞を訳す時に役に立った所を能「三井寺」の舞台のセリフからみたいと思います。
歌舞伎「京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)」の第四段の説明には、
第四段の歌詞「鐘に恨みは数々ござる〜」のところは、能「三井寺」からもってきたものである、とされています。
なので、地歌「新娘道成寺」の歌詞も元をたどれば能「三井寺」ということになります。
ですので、能「三井寺」の舞台のセリフをみてみました。
(能の舞台のセリフを活字化する活動をされている方がいらっしゃるそうで、そういった方のおかげで参考にできるのだということも知りました)
詞「此句を設けて余りの嬉しさに心乱れ。高楼に登って鐘を撞く。人々如何にと咎めしに。これは詩狂と答ふ。かほどの聖人なりしだに。月には乱るゝ心有り。
鏡ノ段「ましてや拙なき狂女なれば。
地「許し給へや人々よ。煩悩の。夢を覚ますや。法の声も静かに先初夜の鐘を撞く時は。
シテ「諸行無常と響くなり。
地「後夜の鐘を撞く時は。
シテ「是生滅法(ぜしょうめっぽう)と響くなり。
地「晨朝(じんじょう)の響は。
シテ「生滅滅已(しょうめつめつい)。
地「入相(いりあい)は。
シテ「寂滅(じゃくめつ)。
地「為楽(いらく)と響きて菩提の道の鐘の声。月も数添ひて。百八煩悩の眠りの。驚く夢の夜の迷も。はや盡(つ)きたりや後夜の鐘に。我も五障の雲晴れて。真如の月の影を眺め居りて明かさん。
上の能「三井寺」の舞台のセリフのなかの太字になっているところは、まさに地歌「新娘道成寺」の歌詞とそっくりです。
(鐘に恨みは数々ござる〜のところだけありませんけどね)
さて、地歌「新娘道成寺」の歌詞の中の以下の部分をここでは取り上げます。この地歌の歌詞は、上の能「三井寺」のセリフの中にもそっくりにはいっています。
入相(いりあい)は
寂滅為楽(じゃくめついらく)と響けども
聞いて驚(おどろ)く人もなし
我(われ)も五障(ごしょう)の雲(くも)はれて
真如(しんにょ)の月を 眺(なが)め 明(あか)さん
上の地歌「新娘道成寺」の歌詞の、
聞いて驚(おどろ)く人もなし、
の所になりますが、ここの
驚く、の意味がわからなかったのです。
単語の意味を検索すると、驚く、には
1. はっと気づく
2. びっくりする
3.目が覚める
の意味が出てきます。
このうちどの意味が当てはまるのかが、地歌の歌詞を見ていてもわからなかったのです。
ですが、さきほどの能「三井寺」の舞台のセリフをみれば、地歌の歌詞に対応する所に
百八煩悩の眠りの。驚く夢の夜の迷も。
とあります。
ですので、驚くの3つある意味のなかから、3. の目が覚めるの意味を選択することができました。
百八の煩悩の眠りから目が覚める、ということで驚くという語が使われているのだなと理解しました。
能「三井寺」のセリフは、意味はちゃんとわからないでも、読むと活気を感じておもしろいな、とおもいました。
そして、地歌の歌詞の意味の迷いからも目覚めることができました。
以上、
成り立ち7は、地歌の歌詞とそっくりな能のセリフから、地歌の歌詞の意味が理解できたという話でした。