翠とスティル

「み~どり!」
「わっ」
 いきなり後ろから抱き着かれ、私はよろめいた。片足を一歩前に踏み出してなんとか踏みとどまる。
「どうかしましたか、スティルさん」
 首だけ後ろに回すと、抱き着いてきた張本人(張本神?)のスティルがにこやかな笑みを浮かべている。彼女の赤い瞳はルビーの様に輝いていると思う時もあれば、血だまりの様に恐ろしく感じる時もある。今は前者だから、何か恐ろしい事が起きる可能性は極めて低い。まぁ他所でならいざ知らず(それもどうかとは思うけど)、家の中で恐ろしい事態を起こされても迷惑だが。
「どうもしてないよ~。翠がいたからハグしただけ」
「そ、そうですか……」
「嫌だった?」
「嫌、では……ないです」
 スティルは時々、そこに山があるから走って登った、といった感覚でスキンシップを図ってくる。もしそれが何かの作業中であれば邪魔だと思ったであろうが、タイミングを計ったかのように暇な時に現れるものだし、人畜無害そうな笑顔を見ると邪険にしづらい。彼女が近くにいると不思議と魅了させられてしまうのだ。調子が狂う……。
(とは言え……)
 抱き着かれたままでいられても困るのが正直なところ。さてどうしたものか。
「ねぇ、翠ってさ」
 対処を考えあぐねていると、先にスティルが口を開いた。
「もっと可愛い格好しないの? せっかく翠は可愛いんだもん、可愛い格好してるところも見たいな」
「そんな、可愛くなんて……」
「翠は可愛いよ」
 言い切られてしまった。とびきりの笑顔で。とても困る。
「で、でも、私はこういう格好の方が好きなので」
 私は大抵ラフめのワイシャツに、上着を羽織る場合はパーカーかカーディガン。スカートは履かず、いつもパンツスタイルだ。何と言うか、そっちの方が色々と楽だから。
「でも、わたしが見たいの。駄目?」
「う……」
 上目遣いでこちらを見てくる。ず、ズルい……! こんな可愛い顔されたら誰だって否定できない……!
「だ、駄目では……ないです……」
「やったー!」
 スティルはそのまま私を軽々と持ち上げ、自分の部屋へと運んでいった。
 自分の、とは書いたがこの部屋はスティルが一人で使っている訳ではない。双子の姉であるディサエルと共に使っている。つまり、連れていかれた先にはディサエルもいた。ベッドの上に座って本を読んでいる。顔を上げて一言。
「……拉致ったか」
「拉致じゃないよ。合意の上だもんね~」
 私は「駄目ではない」と言っただけではっきり合意したとは言えないが、しかしはっきり拒否しなかった私も私である。そんな私を見てディサエルは何かを察した様な顔をした。
「まぁよくある事だ。こいつはそういう奴だからな」
 とだけ言って手元の本をまた読み始めた。止めてはくれないようだ。
私を床に下ろしたスティルは「ちょっと待っててね」と言ってパチンと指を鳴らした。するとどこからか真っ白なガードロープが現れ、彼女はその扉を開けた。
「何がいいかな~♪」
 鼻歌交じりにガードロープの中を物色するスティル。中にはどんな服が入っているのだろうか。あれこれと手にとっては戻しを繰り返している。その間暇な私はベッドに腰かけ、ディサエルに話し掛けた。
「よくあるって、誰かを着せ替える事? それとも」
「相手に有無を言わせず自分の思い通りにさせる事」
 本から顔を上げる事無く言った。
「アイツといると調子狂う時あるだろ? そういう力が備わってんだよ、自分の意思とは関係無く。……そう望まれたから」
「望まれた?」
「ああ」
「……」
 気になる言葉だけ出しておいて、待てどもそれ以上は何も言ってこなかった。
「聞いても気分の良くなる話じゃねぇぞ。オレも好んで話したい訳じゃねぇ」
「あ……ごめん」
「謝る必要もねぇよ」
「そうそう。翠は何も悪くないんだから」
 いつの間にか服を選び終えたスティルが目の前に立っていた。スティルはいつも真っ白な服を着ているから案の定と言うか、さもありなんと言うか、その手に持っているのも真っ白な服だ。
「お待たせ、翠。翠に似合いそうなの選んだから、ほら、着替えて着替えて!」
「わ、あ、はい」
 白色の布の塊を押し付けられ、受け取った私は自室で着替えようと立ち上がる。
「どこ行くの、翠」
「どこって、自分の部屋に……」
「翠が着替えた姿をわたし達より先にロクドトに見られる可能性があるから駄目。それとも先にロクドトに見てほしいの?」
「……ここで着替えます」
 その可能性は考えていなかった。これがどんな服かはさておき、スティルは私に可愛い格好をさせたいのだ。私が普段しない格好を。それを誰よりも先にロクドトに見られるのは恥ずかしいし嫌すぎる。ロクドトの頭を消火器で殴って記憶を消す必要が出てくるだろう。
「翠も意外と酷い事しようとするよね」
「いえ、これは何と言うか、ゲームのネタで……」
「お望みとあればいつでもアイツの頭をかち割ってやるぜ」
「ディサエルも物騒な事言わないでよ……」
 冗談で言ったのかもしれないが、この双子なら本気でやりかねないからちょっと怖い。
「冗談ととるか、本気ととるかはお前次第だぜ」
「だから怖いんだってば」
「わたしはいつだって本気だよ~。ほらほら翠。自分で着替えないならわたしが着せ替えちゃうよ」
「わわっ。それはそれで恥ずかしいです! 自分で着替えますから!」
 二人に見られながら着替えるのも恥ずかしいが(ディサエルは本を読んでいるから実質スティル一人だけだが)、メタ的な事を言えばこの後水着回もある為まだましな方である。
 この時の私は知る由も無かった。更に恥ずかしい状況に陥る事を——。
 なんてありきたりな地の文を入れている間に私は着替え始めた。
 予想はしていたがスカートだ。踝くらいまではありそうなロングスカート。ついでに言えばワンピースだ。所々赤色の糸で刺繍が施されている。花の模様だろうか。どことなく民族衣装的である。
「まずはそれを着てね。その後に付けるものが色々あるから」
「はぁ……わかりました」
 着るのはこれだけじゃないのか。
 頭から被るようにワンピースを着てみると、意外にも自分の身体にぴったり合っていた。スティルのものだから少し小さいだろうかと思っていたのだが、全くそんな事は無い。元からこのサイズなのか、それとも魔法で私のサイズに合わせたか。ちらっとスティルを見たらにこにこと笑顔を返してきた。この笑い方は後者だ。
「次はこれね」
 スティルがそう言って指し示したものは、今しがた着たばかりのワンピースよりも少し丈の短いジャンパースカート。スリットが二ヶ所に入っている。こちらも真っ白の生地に赤色の刺繍。普通はもっと色んな色を使っていそうなものだが……まぁ今更この双子に服の色についてあれこれ指摘した所で、どうにかなるものでもないか。これも頭から被って着る。スカートを二枚も穿いていると布量が多くて歩きにくそうだ。
「スティルさん、着るのはこれだけですか?」
「着るのは、ね。後はこれを巻くだけだよ」
 スティルはこれまた真っ赤な紐と木彫りの輪っかを用意し、私の腰に巻き付けてきた。慣れた手つきで輪っかに紐を通し、素早く飾り結びをしていく。帯締めを絞められている様な気分だ。
「はい。できたよ~」
「ありがとうござ」
「じゃあ次はオレの番だな」
「……え?」
 手に持っていた本を閉じ、ディサエルが立ち上がって手をパチンと鳴らす。するとどこからか綺麗な装飾の施された、少し大きめの木箱が机の上に現れた。ディサエルはその蓋を開け、中をまさぐってから小さな箱と筆を取り出した。
「そこに座れ」
 手近な椅子を指して言う。私はこれから何をするのか予想を立てながら言われた通りにした。取り出したものからして恐らく……。
「化粧するの?」
「ああ。ちょっと目ぇ閉じてろ」
「うん」
 目を閉じると、顎をくいと持ち上げられた。瞼の上を筆が撫でる。
(ファンデーション塗ってないけどいいのかな)
「どの世界、どの時代、どの国でもファンデーションがあると思うな。それにお前の肌は綺麗だから大丈夫だ」
「え。あ……うん」
「目ぇ開けていいぞ。口紅塗る」
「ん」
 今度は唇に筆が乗せられる。なんだかこそばゆい。化粧を施すディサエルの伏し目がちな顔を間近で見ていると、まつ毛が長い事に気がついた。
(綺麗な顔だな……)
「そういうのは口で言ってもいいんだぜ」
「口紅塗られながらじゃ無理だよ」
「そうか。オレはてっきり、口では絶対に言わないとか言ってくるかと思ってたぜ。よし。これで完成だ。スティル、鏡」
「は~い」
 スティルが返事をするが早いか、私の目の前に全身鏡が現れた。
「ほら、立て」
 ディサエルに手を引かれて立ち上がる。鏡に映る私は、所々赤の差し色の入った真っ白な衣装に身を包んでいる。目尻と唇に朱の差した顔がこちらを見返す。普段の自分よりも少しばかり大人びている様に見える。巫女装束の様な、神聖な雰囲気を感じる格好だ。
「そういう服だからね、これ」
「あ、そうなんですか」
「スティルを最高神として祀ってる所の最高位の神職の格好だ」
「えっ⁉ そんな凄い人の格好なのこれ」
 こうも真っ白なのも納得だ。しかし何故そんな畏れ多い格好を私に……。
「う~ん……でも最高位とは言っても、神の声を聞く者として形だけ作って祀り上げてるって感じで、実質的な組織のトップはその一個下の子なんだよね。可愛い女の子を飾り立てて偶像にして、欲にまみれたおっさんが取り仕切ってるって言えば、なんとなく分かる?」
「ああ……分かります」
 アイドルの構図というのは多分そんなものだ。
「でも人間達にとっては形だけのトップだとしても、わたしにとってはわたしに近い位置にいる子なんだよね。だからその子が願うなら、おっさん連中をころ……やっつける手伝いもしてあげちゃうの」
「今殺すって言いかけましたよね……?」
 しかしスティルは何も答えずただ笑みを返すのみ。まぁ、最高位に選ばれた少女の心境を想えば、そうした結果になるのも頷けるが。
「で、翠もわたしに近い位置にいる……つまり、わたしのものだから、この格好をさせたの。可愛いよ、翠」
「あ、えーっと……ありがとう、ございます……?」
 今の話を聞いた後では褒め言葉を掛けられても素直に喜べない。
「翠は可愛いよ~」
 そう言ってスティルがぎゅ~っと抱き付いてきた。
「翠はわたしのものだから、ね」
 と、耳元で囁くスティル。背中がゾクリと震えた。
「いや、それは、ちょっと……」
「ええ~。何で否定するの~」
「おいスティル。そんな事言ったら翠が困るに決まってるだろ。オレのものでもあるんだから」
「そういう意味じゃなくて……」
 そもそも私は誰のものでもない。強いて言えば私自身のものだ。
「ふふ。冗談だから安心して」
 怪しげに光る赤い瞳で言われては、全くもって冗談には聞こえない。
「あ、でも翠が可愛いのは本当だよ」
「私は別に、可愛くなんか……」
「可愛いよ~。ね、ディサエル」
「ああ」
 いつの間にか読書を再開していたディサエルが、本から顔を上げずに生返事をした。投げやりすぎないか。
「投げやりに言われるのが嫌なら、お前の耳元で囁いてやってもいいんだぜ?」
「それはやめて」
 何かの拷問か?
「オレの美声を拷問扱いすんな」
「自分で美声とか言うなよ……」
 ディサエルの声が汚いとかいう訳でもないのだが、それはそれ。これはこれ。
「そうだ! せっかく翠がこの格好してるんだから、写真撮ろうよ! ね、いいよね、翠」
「ええ、まぁ、写真くらいならいいですよ」
 先程まで着ていた衣類と共にベッドの上に置かれたスマートフォンを取り上げ、カメラを起動。
「わたしと翠の二人で撮ろ~。ディサエル、お願い」
 スマートフォンをディサエルに渡し、スティルと並んで写真を撮ってもらった。
(可愛い可愛いって言ってくるけど、スティルさんの方がよっぽど可愛いんだよなぁ)
 後で写真を見返したら私が霞んで見える気がする。
「……?」
 ふと視線を感じてそちらを向くと、スティルが頬を膨らませていた。怒った顔も可愛らしい。
「もう、そんな事言っちゃ駄目だよ。必要以上に卑下しちゃ駄目。それと……」
 一転して今度は悪戯っぽい笑みを浮かべてきた。
「褒め言葉はちゃんと口に出して言ってほしいな」
「う……」
 スティルのこの宝石の様に輝く赤い瞳には、どうにも敵わない。
「す、スティルさん、可愛いです」
「ふふっ。ありがとー。翠も可愛いよ」
「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして!」
 ディサエルに撮ってもらった写真は、二人共良い笑顔で写っていた。

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