もし5年後に死ぬとしたら
天狼院書店ライティング・ゼミ、第4回課題は、不合格、でした。
例によって没ネタ公開!そのあとに言い訳など(^_^;)
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もし5年後に死ぬとしたら
「5年後に死ぬとしたら自分は何をやりたいだろう」
そんなことを考えたことはありますか?
私はあります。
別に不治の病と宣告されたわけではありません。
キッカケは、川島なお美さんの訃報でした。
特別好きでも嫌いでもない女優さんでしたが、とても驚きました。
ほんの数週間前、激やせの体で、でも明るい笑顔でいつものように報道陣の前で話す、テレビに映った彼女の姿を覚えていたからです。
「激やせなんて言ってる場合じゃないんです。舞台の稽古があるので」
黒地に華やかな模様が入ったドレスを着て、ご主人と並び微笑む姿は、忘れられません。
確かに素人目にも、病的に痩せているように見えました。
けれどそれを感じさせない笑顔と元気な声で、舞台のことを話されていました。
だからまさかその後に体調を崩して降板し、それから幾日も経たずに訃報が届くなど、思いもよりませんでした。
追悼番組では、私が個人的に持っていた川島さんのイメージを覆す、多くのエピソードが放送されました。(数年前なので多少うろ覚えのところもあります)
プライベートな外食でも、レストランの照明や壁、テーブルクロスの色などを前もって確認し、その場所で自分が一番美しく見える色の服を着ていく、とか。
ワインは好きだけれど、飲む量はそれほどでもなかった、とか。
病床から、ご主人のサプライズバースデーパーティーの計画をご友人にメールした、とか。
お世話になった人には、美しい文字で書かれたお礼状を出していた、とか。
常日頃から女優としてのプロ意識を持って生活していたのはイメージ通りとしても、レストランの照明まで考えるのか! と徹底ぶりに驚きました。
ワインの量も「私の血はワインで出来ている」の名言からは想像できませんでした。
さらに人間的で教養のある、とても気配りできる女性だったのだと、亡くなられてから初めて知りました。
そんな川島さんの、生きざま、死にざまを拝見するうちに、気付いたのです。
私は49歳。もし川島さんの享年54歳で死ぬとしたら、あと5年しかない! と。
私は考えました。
もし私も彼女と同じ年齢で死ぬとしたら、今のうちにやりたいことは何か?
答えは「ボイストレーニング」でした。
カラオケに友達と行けば「歌がうまい」と言われ、
電話の仕事をしていると、時々だけれど「声がきれい」と褒められる。
その声を生かしたい。出来れば声の仕事がしたい。
コールセンターみたいなストレスがたまる仕事ではなく、もっと別の何か。
私は珍しく、すぐに行動しました。
その頃の派遣の時給が人生最高額だったことも、背中を押してくれました。
都内だからスクールは探せば沢山あります。
けれど「迷わず勢いで」動きたかったので、随分昔にブラウザの「お気に入り」に入れていた所に、体験レッスンの申込をしました。
そう、私は「お気に入り」に入れておくくらい、以前からボイストレーニングに興味があったのです。
ただ行動しなかっただけで。
体験レッスン当日に入会することは、レッスンの前から既に決めていました。
選んだコースは、週に1回1時間、月4回、月謝およそ3万円。
私にとって決して安くはない金額ですが、人生最高時給の今ならば、払えないことはありません。
そのスクールは最寄りの駅が職場と同じだったので、定期が使えることもメリットでした。
ウキウキと通い始めたものの、ほどなくして「井の中の蛙」は「大海を知」ります。
私は先生方のように、鼻腔を共鳴させて喉を使わずに声を出すことが、なかなかできませんでした。
声を綺麗に消せない、声がこもる、響かない……。
先生方は本職の声優さん・ナレーターさん達です。
初めてプロの発声を聞き、あまりの違いに驚きました。
まさに「プロ」「本物」でした。
「プロ」と「素人」を比べてはいけないし、比べる必要もありません。
そうは思いながらも、ショックでした。
私はもう少し自分にも「素質」があると思っていたのです。
余りにも違い過ぎました。
ある先生の名前を検索したら、すぐにWikipediaがヒットしました。
それによると、アナウンスの専門学校も卒業されています。
そこを調べてみた所、学費は二年で200万以上でした。
毎月3万の費用にも、実はドキドキしている私にとっては、遠い話です。
そこの卒業生には、テレビでよく見かけるお笑い芸人など、有名になっている人も数多く居ました。
本人に才能があるだけでなく、ちゃんと専門的な勉強をしてから世に出ているのです。
アラフィフの素人が、たかだか月に数回、マンツーマンでちょっとボイトレしてもらったからって、通用するわけがない、そんなに甘い世界じゃなかったのです。
およそ半年後、私はスクールを、体調の都合で辞めました。
ちょうど様々な理由で続けるかどうか迷っていたこともあり、少しホッとしたのを覚えています。
それでもプロの発声を聞けたことはとてもよかったし、何より自分の「本気度」がわかりました。
憧れているだけでは決して知ることできない世界を体験できたので、後悔はありません。
そんな私がまた川島なお美さんを思い出したのは、恥ずかしながら最近です。
ライティング・ゼミに申し込むかどうか迷っていた時に、ようやく気付いたのです。
「あ、私、彼女の享年を、もう超えちゃった」私は既に55歳でした。
この5年、いや6年、何か私は成長しただろうか?
いや、していない。変わっていない。
ちょっとでも興味があるなら、またやってみようよ。
やってみなきゃわからない世界があるよ。
今の時代、コロナに罹ったらそれこそ、どうなるかわからないし。
もし60歳で死ぬんだったら、1回くらいライティング・ゼミ、参加してみるのもいいんじゃない?
そんなこんなで現在ゼミに参加してこれを書いているわけですが、書きながら改めて考えてみました。
「5年後に死ぬことが決まっているとしたら、今の私は何をやりたいだろう?」
あの時と違い、すぐには浮かんできませんでした。
ボイストレーニングへの興味は私にとって、かなり「特別」だったようです。
こうなると5年後ではなく、3年後、1年後、半年後と、スパンを短くしながら考えてみた方がよさそうです。
さて、ここまでは私の話でした。
読んでくれたあなたの頭に浮かんでいるのは、どんなことですか?
最後に、2015年9月に逝かれました、川島なお美さんのご冥福をお祈り申し上げます。
≪終わり≫
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最後までお読み頂き感謝します。ありがとうございました。
指摘されるとしたら、終わり際かなーと思ってました。
元々は
「何か動こうとして迷っていた時に、もし5年後に死ぬとしたらこれをやりたいか? やりたくないか? そう考えてみたら一歩踏み出せるかもしれません」
そういう意味の文章だったのを、変更したからです。
色々いじったので「いまいち」だったかなーと思ってました。
でも違いました。
フィードバックを読んで「バレた」と思いました。
恥ずかしながら白状します。
実はボイストレーニングの部分は、当時書いていたブログに載せたことのある文章を、少し手直ししたものだったのです。(そのブログ自体は削除済)
ブログは「他人の目」なんか気にしないで書いてましたからね。
前半は「今の」私が書いたもの、
中盤は「昔の」私が感じたことの手直し、
後半は「フィードバック担当の目を気にして」手を加えたもの。
バラバラですから、不合格は当然ですね……。
せめて過去の文章を元に、今の私が改めて書くという「手間」を惜しまなかったら、まだよかったのかもしれません。
その手間を惜しんだ、楽して字数を埋めたことがバレた結果だと思います。
いやぁお恥ずかしい・・(*pωq*)
手抜きしちゃいけませんねぇ。反省しますm(__)m
ということで、3回連続不合格、です。
合格したのは「初投稿」のみ。
第1回講義の「ABCユニット」のこと以外、ほとんど知らなかった時期に書いたものだけということになります。
あの頃と今と違うのは
・推敲に時間をかけてない
第1回講義から1回目課題〆切まで12日ありましたから、書くのも直すのも時間をかけることができました。
・技巧を気にするようになったかも
良い意味ではなく、悪い意味で。
そして「フィードバック担当の目」を気にするようになった。
「読者の目」ではなく。
もうひとつありますが、これはナイショにしときます。
次回課題のネタはまだ決まっていません。
強制じゃないから次は休もうかなぁとも考えてますが、それじゃいけないという思いもあって迷ってます。
どちらにしても、またお読み頂けたらありがたいです。
実里でした。
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