マニュアルは「立ち読み」させないで ~ペーパーレス時代に物申す~
2021年6月開講ライティングゼミに参加し、早いもので最終月となりました。
参加者は週に一度、月曜夜の〆切に合わせて2000文字前後の課題(1記事で完結するエッセイのような文章)を提出します。
それをフィードバック担当者が読み、天狼院書店の「メディアグランプリ」と言うWEBページに掲載できるかを判断します。
13回提出して掲載記事は4件。
今週は14回目でした。その結果は…………
不合格、でした。
でもガッカリしてません。正直今回の記事は自信ありませんでした。
自分でも満足できる記事に整えるには、もう少し時間が必要でした。
もっとも、「個人的な不満が一方的に書かれている」とフィードバックされたくらいなので、時間かけてもよい記事が書けたとも思えませんが(^_^;)
今回はそんな記事ですが、お読みいただけたら幸甚でございますm(__)m
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マニュアルは「立ち読み」させないで ~ペーパーレス時代に物申す~
「えーー! 嫌だーー!」
15・6年くらい前になるだろうか、派遣されていたコールセンターで「いま紙で見ているマニュアルは、〇月から全部PCで見るようになります」という告知がされた時に、心の中で思ったことだ。幸か不幸か運用が始まる前に退職したため、その後どうなったかは残念ながら知らない。しかしそれを聞いた時、本当に嫌だと感じたことを今でもハッキリ覚えている。
わたしは昨今の、なんでもペーパーレスにしようとする、デジタル礼賛の風潮を疑問に思う。もちろんデジタル化したほうがいい部分は間違いなくあるだろう。そうすることで業務が簡略化され、人件費削減にも繋がると聞いたこともある。しかしマニュアル・手順書・ルールなど、覚えるべきもの、気をつけないといけないことなどを、PC画面で読ませるだけとか、綺麗にまとめられたスライドで説明されてそれをこちらがメモする、というやり方には抵抗を感じる。
デジタルオンリーで仕事を理解しようとするのは、参考書を本屋で立ち読みするようなものだ。想像してみて欲しい。確かに読むことはできる。しかし立ち読みである以上、大事なところに線を引くことも、重要マークも付けることも、メモすることも何もできない。目を見開いて真剣に読んで頭に入れたつもりでも、家に帰れば忘れているのがオチだ。もう一度見たくても手元には無いのですぐには見られない。
本気で覚えたければやはり買って自分の物にしたくなる。そして線を引きメモを書き付箋を付けたくなる。真剣になればなるほど、そうなるのが普通ではないか。真っ白な参考書は「勉強してない証拠」だ。
デジタルマニュアルは「しっかり覚えたい」という意欲を削ぐことになると、わたしは考える。
紙ならば、先輩が教えてくれた、マニュアルに書かれていない重要なことを、すぐにメモできる。しかしデジタルではできない。忘れやすい所を蛍光ペンで目立たせたくても、赤丸で囲みたくてもできない。それを忘れないようにするためには自分のノートに、決して綺麗とはいえない字で早く雑に書くしかない。しかもすべての情報をメモすることは到底不可能なので、どうしても言葉足らずになる可能性がある。紙のマニュアルの余白にメモするのとは、正確性が圧倒的に異なるのだ。
ちょっとした説明の時に、紙を配られないことも増えた気がする。
今わたしが通っている職業訓練校の初日、施設を使う際の注意点は綺麗なスライドを使って説明された。数週間後、授業終了後に行われる初めてのキャリアカウンセリングの面談の際、わたしは2番目だったので待ってる間に教室で復習してもいいかと尋ねたら、授業終了後は教室に残れないと言われた。相手の話し方や表情からして、きっと最初のスライドで説明済だったのだろう。その日以外は授業が終わると即帰宅していたこともあり、わたしは全く覚えていなかった。何もメモしなかったこちらも悪い。しかし紙で渡してもらえていれば、たとえ忘れても確認はできた。そして今、他に何がスライドに書いてあったのか、初日に何を説明されたのか、見事に全く思い出せない。
聞いた話だが、東大生の中には、教科書をパラパラと眺めるだけでまるでスキャンしたかのように頭に残る人も実際に居るらしい。しかしそんな頭脳を持つのは人類のなかでもひと握りだろう。大多数は小さい頃から、見て、読んで、書いて、覚えてきたはずだ。そしてそれは、紙が生まれた何千年も前から続く、ものごとを忘れないための方法だ。
最古の紙は、中国で見つかった紀元前150年前のものだそうだ。かたやパソコンは、登場したのは1970年代だという(どちらもWikipediaより)。それからわずか50年である。しかも、日本の2人以上世帯に50%以上普及したのが2001年。1世帯1台以上持つようになったのが2006年だ(サイト「GD Freak!」記載、出所:内閣府 消費動向調査の「パソコンの普及率」より)。ちょうど冒頭の「紙マニュアル廃止」のおふれが出た頃と一致する。
2000年以上前から人間は紙に書いてきたのに、普及したとはいえたかだか50年の歴史しかないデジタルに合わせて、人間の脳の回路がそうそう変わるはずはない。なのに「エコ」の名のもとに、なんでもかんでも紙を無くそうとしているこの風潮はどうかと思う。
こんなこともあった。わたしが派遣された、とあるコールセンターでのことだ。せっかく「ミス防止」の説明ために各自に配った紙の資料を、後から回収されたのだ。わざわざ業務時間中にグループごとにメンバーを集めてミーティングの時間を作ったにも関わらず、終わってから「回収します」と言われて驚いた。わたしは話を聞きながら赤字で資料にメモしていたので、業務中に見たいから欲しいと希望し手元に残させてもらった。「ミス防止」のために配った資料なのに、口で説明しただけで回収するなど、本気でミスを無くしたいのか疑問にすら思った。リーダー側は説明の責任は果たしたかもしれないが、重要なのはオペレーターがそれを理解したうえで忘れず、ミスしないことだ。
その内容が、後日の対応時に必要になった。わたしはすぐ手元に残した資料を引っ張り出し、お客様に正しい説明ができた。資料の元データはPC内のどこかにあるが探すには時間がかかる。忙しいリーダーを呼ぶより手元の資料を確認したほうが断然早い。配布資料回収は、ペーパーレスと印刷コスト削減にはなるかもしれないが、その代わりもっと大事なことを奪っていると思えてならなかった。
何かを覚えたい時や正しく理解したい時、見て、読んで、書くことが必要なのは人間の基本である。
ペーパーレスにすべきところと、そうでないところをしっかり見極めて頂き、マニュアルなど早く正確に覚えてほしいことについては、どうか「立ち読み」させないで欲しい。
伝えたい側が正確な情報をわかりやすくまとめた「紙」に、伝えれられた側が様々な書き込みをしてこそ、早く正確に「自分のもの」にして生かすことができるのだから。
≪終わり≫
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最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m
さぁ残りあと2回!
最終回のネタは決まっていますが、来週提出分をどうするか…。
なんとかひねり出したい、実里でした。