Kalevalan päivä:カレワラの日 つづき
2月28日のカレワラの日にちなみ、原文とカレリア語訳(リッヴィ方言、ヴィエナ方言)の比較を試みようとしたところで睡魔に負けてしまった昨日。
さて、1日遅れですが読み比べていきます。
1849年版『新カレワラ』から41章の冒頭部です。3言語・方言を並べてみたものがコチラ。
これをさらに、単語ごとに分解し、主格形(辞書形)を並べたものがコチラ(省略してしまった語もあります)。
「フィンランド語」欄には現代フィンランド語を記載しています。『カレワラ』の原文で使用されている語が、現代フィンランド語とは若干異なるも場合は、括弧で追記しています。
こうして見てみると、だいたい同じ語源の語彙が使われていますね。リッヴィ方言の薄緑色の語のみ、別語源の語彙が使われています。
ヴィエナ方言にいたっては、一見ほとんど同じ語彙です。
ただし、例えば「伸ばす」という動詞に関しては、リッヴィ方言と同じ語源の ojentua, ojennella が日常的によく使われています。
ところが『カレワラ』訳では、原文と同じ語源の語彙をあえて使用しています。
これは、頭韻を踏むため。
『カレワラ』の詩はカレワラ調韻律と呼ばれる韻律がもちいられており、頭韻もその特徴の一つです。
例にあげた「伸ばす」という動詞が含まれる行を見てみましょう。
原文: sormiansa suorittavi,
ヴィエナ方言: šormusijah šuorittelou,
行中の語がすべて s-音で始まっていますね。
では別の語源の語彙にかえたリッヴィ方言はどうしたのかというと。
リッヴィ方言: Omii sormii oijendelou,
原文では語の末尾に接辞をつけることで示していた所有性(sormiansa : 彼の指を)を、「omii 自分の」という語を挿入することによって、うまくo-音での頭韻を成し遂げています。お見事!
今回見た箇所では、こうした語彙を置き換えることによる翻訳の妙が伺えるのはこの行くらいでしたが、詩の特徴を残しつつ、意味もしっかり捉えて全編訳すには、そうとうな苦労があっただろうと思います。
現代フィンランドに訳すとしても、韻をどこまで配慮するかは難しいところでしょう。
ちなみに薄黄色の語は、それぞれの言語内で意味が捉えやすい語が選択されただけのようです。
今更ながら、今回読み比べた箇所の日本語訳を記載しておきます。さらに読んでみたいという方は、森本訳(1937)、小泉訳(1976-77)をお手に取りください。
1 堅実なる老ヴァイナモイネン,
古来よりの歌い手は,
自身のその指を伸ばし,
親指を磨き清め,
歓びの石の上へ座りぬ,
歌いの場へ身をおきぬ,
銀色の丘の上へと,
金色の塚の上へと.
楽器を指へとつかみ寄せ,
10 響板を膝の上にひるがえし,
言を語りぬ, こう呼びぬ,
"聴きに来るがよい,
未だ耳にしたことのない者は,
永遠なる詩歌の 歓びを
カンテレのこの響きを!"
(日本語訳:kieli)
さて、最後に同じ詩歌の、本当のオリジナル(口頭で詠ったものを採取した詩)により近い1835年版の『古カレワラ』版をご紹介しておきます。Lönnrotがどの程度 修正・加筆等をしたのか、彼の編集意図を想像しながら『新カレワラ』と比べてみてください。
Waka wanha Wäinämöinen
195 peukaloitansa pesewi,
sormiansa suorittawi.
Istuwi ilokiwelle,
Raito rantakalliolle,
Hopeaiselle mäelle,
200 kultaselle kuunahalle.
Otti soiton sormillensa,
käänti käyrän polwillensa,
kantelen kätensä alle.
Sanowi sanalla tuolla,
205 lausu tuolla lausehella:
"Ku ei liene ennen kuullut
Iloa ikirunojen,
kajahusta kanteloisen,
Se on tulko kuulemahan."
Elias Lönnrot: Vanha Kalevala taikka vanhoja Karjalan runoja Suomen kansan muinosista ajoista (1835) ,32章
つぶやき
『カレワラ』訳の比較、いずれ他の箇所にもトライしてみようと思います。韻を踏みつつの妙訳にもっと出逢いたい。
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