ナチスSSのカレリア遠征② ドキュメンタリー映画「Instrument of Himmler」
ナチスSS、アーネンエルベが1930年代に行ったカレリア遠征や、それにまつわる事柄を少しずつ調べながらまとめていきます。
第1回イントロダクションはこちら。
今回は、私がカレリア遠征の事実、ハーケンクロイツを刻まれたカンテレの存在を知るきっかけともなった映画についてです。
ドキュメンタリー映画「Instrument of Himmler」
2014年のヘルシンキドキュメンタリー映画祭で、ある映画が話題を呼びました。
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ヒムラーの楽器 / Instrument of Himmler
原題:Himmlerin kanteleensoittaja(ヒムラーのカンテレ奏者)
英題:Instrument of Himmler
製作国:フィンランド
製作年:2014年
上映時間:56分
監督:ヘイッキ・フットゥ=ヒルトゥネン(Heikki Huttu-Hiltunen)
編集:ペッカ・ウオティラ(Pekka Uotila)
サウンド:ニコペトリ・パーックナイネン(Nikopetri Paakkunainen)
音楽:アリ・タスキネン(Ari Taskinen)
言語:フィンランド語
テキスト:英語
配給元HP:
[フィン語] http://www.illume.fi/fi/Elokuvat/206/Himmlerin-kanteleensoittaja
[英語] http://www.illume.fi/en/Films/228/Instrument-of-Himmler
【内容】
出発時には、旅の終わりがどこにあるのか分からないものだ。
1935年、若きフィンランド人学生ユルヨ・フォン・グロンハーゲンは自らの足でパリからカレリアへと消えゆく民族伝統文化を求めて旅立った。しかし、ドイツへ入ったところで旅は中断する。ナチスドイツ親衛隊指導者ハインリヒ・ヒムラーが、この若き学生とルノラウル(フィン・カレリアの伝統詩歌)に興味を示し、彼を迎えたのだ。
最後にフォン・グロンハーゲンが調査へ向かった時には、彼はナチスの公的研究機関アーネンエルベの役職者にまで昇りつめており、カレワラの歌への純粋な探求は「古い北欧伝統の中にアーリア人種の存在証拠を見出す」という、ヒムラーの説を裏付けるという使命に変わっていた。
ヘイッキ・フットゥ=ヒルトゥネン監督は、フォン・グロンハーゲンの長きに渡るカレリア旅中の写真を織り込むことによって、簡素で文学的な映像の中に緊張感を与えている。
ヘルシンキドキュメンタリー映画祭 作品紹介より(2014年当時)
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オフィシャルトレーラーでは、ナチス鍵十字《ハーケンクロイツ》を刻まれたカンテレを背景に、ヒムラーがグロンハーゲンに語った言葉が淡々と語られています。
グロンハーゲンは後に、ヒムラーの傍らで過ごした日々を振り返り「Himmlerin salaseura(ヒムラーの秘密結社)」(Kansankirja, 1948)を出版しており、映画はこの本から抜粋された言葉を時系列に並べ直して紡いだ、いわばダイジェスト版のような形でまとめられています。
映画自体の完成度はそれほど高いとも言えないのですが、紹介文にあるとおり作中にはグロンハーゲンの撮影した写真が散りばめられ、さらにカレリア遠征の成果物であり当時の最新技術を用いて収録されたカンテレ演奏、泣き歌(収録用の再現)、「賢者」と呼ばれる老婆のまじないの音声なども使用し、文字だけでは味わうことのできない当時の世界を体感させてくれます。
映画の最後は、グロンハーゲンが関わった人物の中で、戦後唯一処刑されたヴォルフラム・ジーヴァス(Wolfram Sievers; 1905-1948)の裁判映像、そして服毒自殺をしたヒムラーの死に顔で締めくくられています。
グロンハーゲンのナチスとの関わり、カレリア遠征に関しては当然フィンランドでも知られています。カレリアから民俗音楽奏者が派遣された1936年の北欧イベント(リューベック)に関しては、フィンランドの新聞や大衆紙でも紹介されていますし、音楽学者A.O.ヴァイサネン(A.O.Väisänen;1890-1969)はカレリア遠征でフリッツ・ボーズが収録した音源を後ほどすべてコピーさせてもらっています。
また、ハーケンクロイツが刻まれたカンテレの存在は、フィンランドのカンテレ界でも知られており、カンテレ関連の文献でも触れられることはありました(例:Jalkanen他, ”Kantele", SKS, 2010)。フィンランドのユヴァスキュラにあるカンテレ博物館(Suomen kantelemuseo)には、楽器製作者アンテロ・ヴォルナネン(Antero Vornanen;1889-1937)が製作したハーケンクロイツが刻まれたカンテレが所蔵されています。
しかし、どちらも基本的には「当たらず障らず」の姿勢がとられてきたと言えます。
このドキュメンタリー映画をきっかけに改めて注目が集まったものの、グロンハーゲンが行ったカレリア遠征に関しては未だ専門的な研究はされておらず、参考資料もちらほらと散在しているのみというのが現状です(現在進行形で研究されている方が出てきているかもしれませんが)。
前回の記事で紹介した「SS先史遺産研究所アーネンエルベ」(ミヒャエル・H・カーター著, 森貴史監訳, ヒカルランド, 2020)は、アーネンエルベという組織について著された唯一無二の文献ですが、この中ですらグロンハーゲン(邦訳版では「グレーンハーゲン」)について触れているのはごく僅かです。おそらく著者であるカーター氏はアーネンエルベに特段の成果をもたらしたわけでもなく、「非常に控えめ」で目立たない存在であったグロンハーゲンについてさほどの興味を持っていなかったのでしょう。それでも日本語で読めるグロンハーゲンについて記された唯一の著作物であることには間違いありません。
現在、フィンランド語、英語で読めるグロンハーゲン、カレリア遠征にまつわる文献を収集中。少しずつ、紐解いていきたいところです。
ちなみにグロンハーゲンは、後にアーネンエルベの会長に就任したヴァルター・ヴュスト(Walter Wüst;1901-1993)によりその職を解かれたことが幸いし、戦後2年間に渡り拘束されるものの厳罰は免れます。
次回以降、グロンハーゲンが著した「Himmlerin salaseura(ヒムラーの秘密結社)」から当時のエピソードを紹介していきたいと思います。
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