僕の音楽遍歴。(2)
というわけで昨日の続きです。ダイジェストで昨日の話をまとめますと、
小学校 光GENJIとB'z
中学校 TMとaccessとYMO、そこから林原めぐみ等声優ソングへ
……という、オタクまっしぐらな転落展開でした。ここからも見るに耐えないような展開を予想されると思いますが。そもそもTMもaccessも活動をやめてしまったのだ。
高校生(A)~クラシック音楽
AとかBがあるのか。いや、同時並行的に2種類の音楽を進めていたので……。
高校に入ると、管弦楽部に入部しました。そうすると必然的にクラシック音楽を聞く必要が出てくる。特に僕は凝り性だから、関わっていることについては幅広くそれなりに深く知らないと納得できない性分といいますか。
1年の時の演奏会のプログラムは、ベルディ、ドボルザークのコンチェルト、ブラームスの4番だったのだが、じゃあブラームスって他どんな曲作ってる人なのかとか、時代背景はどんなだったのかとか、そもそもクラシック音楽自体聞くことに慣れてないから耳になじませる必要があったりしたので。だからまあ、ロマン派を中心に聞いていきました。
2年のときは、ブラームスの大学祝典序曲、ベートーベンの皇帝(出番はない)、ドボルザークの8番。まあ、高校生が出来る曲の範囲なんてたかが知れているともいう。でもそれを打破したかった。特に、自分らの世代は演奏能力に優れているという無根拠な自負があって、3年生になったときには、ショスタコービッチの5番革命を選んだりした。それもやはり、色んな曲を聞いたからだろう。チャイコフスキーのような、どこのオケ(=近所の女子校)でもやってるような曲をやりたくなかった。それで最後にはストラヴィンスキーなんかもやった。うちのオケでも例がなかったはず。
この頃聞いたクラシックでは、ベルリオーズとか、リヒャルト・シュトラウスとか、シベリウスが好みだったなあ。シベリウスの2番ね。あとフィンランディア。ウィーンに演奏旅行にも行ったよ。それでヨハン・シュトラウスのラデツキー行進曲なんかもプログラムに入れたなあ。
僕の田舎にたまたま北欧のエーテボリ交響楽団が来るってことで行ってみたくて、で女の子を誘って行きたかったんだけど、チケットを渡すのが照れくさくて恥ずかしくて、その女の子の母親は街で店を出していたから親経由でチケットを渡してもらったりとか。よく考えればそっちのほうが100倍恥ずかしいのだが。
高校生(B)~声優ソング
始まったよ。
林原めぐみをきっかけに、声優を追うようになった。ときめきメモリアルきっかけということもあり、ラジオを聞くようにもなった。深夜ラジオ。丹下桜のときメモのラジオね。それから、國府田マリ子。ときメモのドラマに出ていたからね。そして、椎名へきる。声優グランプリなんかはもうあったと思うが、雑誌での人気が高かった。ライブも活発だったから、隣県まで行ってライブを見たこともあった。風が吹く丘のとき(Baby blue eyesのとき)には、管弦楽部の仲間で行ったこともあったなあ。僕の田舎はラジオがあまり入らなくて、文化放送やTBSが雑音混じりでね。必死だったなあ。謎の言語のラジオとか混ざってくるし。それでも楽しかった。
とにかく、凝り性だから、オタクになりたかった。声優の。だから、ギャルゲーなんかもよくやったね。声優さんがいっぱい出てるじゃん。エターナルメロディとか。悠久幻想曲とか。アニメも、テレビ東京が映らない地域だったからあまり見られてないけど、スレイヤーズの映画を見に隣県まで行ったなあ。同時上映はXだったはず。
コミックアイランドっていう、岩瀬書店の系列の、アニメイト的な店が街にあって、よくたむろしていた。グッズなんかはそこでしか街では手に入らない。センチメンタルグラフティとか出てたなあ。ゲームは大したことなかったのにね。
アニメイトに憧れていたから、修学旅行で京都に行ったときには、みんなでアニメイトに行ったよ。本多知恵子さんのアルバムを買った。地元では売ってないようなものがあった。
やっぱり林原めぐみが好きだった。イラーヴァティっていうアルバムが出て、市のジュニアオーケストラの夏の合宿のときに、広間で雑魚寝していたときに聞いていたのを思い出すなあ。フローリングにそのまま寝ててね。
國府田マリ子もよく聞いた。いまでもよく聞く。Happy!Happy!Happy!は最強の名曲。それからTwin memories。これはツインビーPARADISEのドラマCDにバンドスコアがついていたから、DTMで打ち込んだり。Horizon。こんな曲を自分でも作りたいって今でも思う。合言葉はBee!とかもやっていた。
そして丹下桜。この人が自分のその後に大きな影響を及ぼす。Be Myselfとか聞いてはいたが、その後、大学になってから。あ、でも大学受験のときに、試験会場で「MAKE YOU SMILE」のアルバムを聞いていたなあ。
國府田マリ子や丹下桜のコナミ時代の曲がサブスクで配信されないかなあと期待しているのだが、どうも難しいようだ。
大学時代(1)~声優ソング
大学に入って、インターネットが好きに使えるようになった。ISDNが始まったばかりの頃だけど。丹下桜が好きだったので、そのファンコミュニティに入って遊んでいた。掲示板とかチャットとか。いまあんましないよね。CGIのチャット。そこであった人と、丹下桜のコンサートでオフ会しようって話になった。そう、丹下桜のコンサートは最後だったのだ。結婚して活動を辞めるという。それで北は北海道の室蘭から、南は福岡から、最後のツアーを見ようと集まった。ネット上の知り合いと実際に会う楽しさを知ったのはこれが最初だった。
でもこれで燃え尽きたのか、いわゆる声優の曲を聞くことは殆どなくなった。友人が飯塚雅弓にハマったからso lovingくらいは聞いたかなあ。それどころではなくなったということでもあるのだが。
なお、大学に入ってからも、管弦楽のサークルに入ったりもしたのだが、反りが合わずに1年でやめた。國府田マリ子の母校の管弦楽部の先生と懇意にしていたので、エキストラで乗ったりもしていたが。
大学・大学院時代(2)~美少女ゲーム(=エロゲー)の音楽
Kanonというゲームを大学の友人に勧められた。そしたらあっさりハマった。それどころではなくなったのだ。Kanonの2次創作SSを読み漁る。そのうち自分でもKanonの2次創作をしてみたくなった。大学に入ったとき、SC-88Proっていうハードウェア音源を買って、DTMをやや本格的に始めていたので、Kanonの2次創作音楽をやるようになった。
なおこの頃、その縁でZABADAKにハマることになるのだが、それはもう書いた。ZABADAKは今でも大好きだ。なんなら今聞いている。
で、Kanonに始まり、エロゲーを次々やるようになる。この時代(~2005)、エロゲーは全盛期にあった。優れたものが次々発売され(ると同時にどうしようもないものも量産された)、消費者が集まり、感想を言い合ったりするようになった。2ch(厳密にはBBSPINK)では連日エロゲー関連が大盛りあがり(このあたりは16bitセンセーションという漫画に詳しい)。2次創作もバンバンされるようになった。高校の友人も時を同じくしてKanonからDTM2次創作をやっていたので、コンビを組んでCDを作ったりした。コミケにも何回も出た。
エロゲー音楽の素晴らしいところは、BGMが結構良かったところ。キャラクターやシチュエーションに合わせて作るから、個性がわかりやすい。主題歌も、I'veが登場してから、各社質が上がった。「風に負けないハートのかたち」みたいな曲を僕も作りたい。ただ、もちろん、作品が素晴らしいことが前提だ。よく、音楽だけは良い、みたいなことを言われるゲームもある。業界が成熟するに従って、音楽の外注が多くなり、品質が向上したのだ。一定の質を担保されるようになったというべきか。でも、本当に素晴らしい音楽は、本当に素晴らしい作品にしかありえない、と思う。残念なことにエロゲーの音楽を今聞くのは非常に難しい。サントラなど出たのは稀だし、権利関係があやふやで存在しない会社なども多いし、今後サブスクなどでの配信も期待できないからだ。
まだ続きがある。2chのエロゲネタ板発祥の、エロゲーの曲を専門に演奏するオーケストラの発足に関わった。これはかなりがっつり関わってて、運営、編曲、演奏、指揮者までなんでも担当した。この楽団はいまだに存在していて、今月には演奏会を開催するという。19回目だというから素晴らしい。
社会人になってから
最近なんかの研究で、音楽などの好みは、23歳くらいまでに何を聞いてきたかで固まって、あとはあまり影響はしない、みたいなのを読んだ。それもわかる気がする。やはり感受性は衰えてくるし、新たなものを取り入れようという気が少しずつ低下していくのは感じる。エロゲーの曲を聞かなくなってから、何を聞いたかなあ、って思うくらいだ。それなりにいそがしかったり、子育て期間に入ってそれどころでもなかったりするのかもしれないが。
noteにも書いたけど、BUMP OF CHICKENは割と結構聞いている。アジカンもアルバム2枚くらい買ったな。
熱心に新たに聞くようになったのは、サカナクション。
NHKのサッカーのテーマ曲になった「Aoi」がきっかけではあるが、「ミュージック」という曲にとても惹かれた。その年のうちにあれよあれよと大スターになってしまった。
ここ数年、子供がある程度大きくなって、少し前に仮面ライダーエグゼイドを見て貴水博之を知ったから、子供をつれてaccessのライブに行くようになった。accessの師匠だからといってTMも教え、TMのライブにも行くようになった。この年になって、25年以上の年を経て、中学生時代に好きだったけれど田舎がゆえに参加できなかったユニットのコンサートに存分に参加している。よく出来てるなあ。もちろん、その期間、人気を維持して、ずっと続けていてくれるメンバーはとても素晴らしい。
終わり
こうして振り返ってみると、転落、という言葉がふさわしい。そんでその後中学生時代にまた戻っちゃってるのもなんとも言えないね。でもそういうもんだし。しょうがないね。子供が聞いてる曲とか、もう全然わかんないもん。いや、わかろうとしないと、先がないんだけどさ。
堕落する準備はOK?