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アラサー女子の奮闘記

深夜だからかける日記がある。
なんてことはないが初めてなので自己紹介がてらわたしの簡単な今までを紹介したい。

今まで箱入り娘として育ってきた私は「誰かの期待」に応えることが無意識的に生きがいになっていた。


例えば大学進学。
わたしは高校を卒業したら、保母さんになろうかな〜お花屋さんになろうかな〜と割と呑気に夢を描いていた。元々、子どもはすきだったし、お花も好きだった。好きなことを仕事にしてかつお給料が貰えるなんて最高!とか思ってた。

だが、将来就職するにあたってそれでは生活していくのにお給料が少なすぎる、結婚するときにちゃんと大学を出て就職しておいた方がいい。などの理由で、親や親戚に大学を勧められ進学した。進学することで「安心」を与えられるのであれば、その選択もいいのかもしれない、大学へ行こう!と決めた。(大学が最高に楽しかったから進学することを後押ししてくれた大人に感謝している。)


そして、新卒での就職活動。

大事に育てた娘の就職先。
出来れば大手で安定していて、それなりに収入もあって、休みも取れる。そんな先を親は望んでいた。またも「安心」してもらうためにどこに就職したらいいか、と悩んだ。
そして、真っ先に浮かんだのが、公務員銀行員。どちらかに就職すれば喜んでくれると思って始まった就職活動。

なんだかんだ、人生はうまくいくものでわたしは銀行に内定をもらうことができた。

親をはじめ、親戚一同喜んでくれた。これで人生安心、とまで思った。(20歳を越えても大人が敷いてくれたレールの上を歩んでいたので、考え方が浅はかであり、見えてる世界が狭いことなど気づかなかった)


だが、就職してみると、なんとなんと。
細かいマニュアルだらけではないか。決められた規定に則って仕事をする。間違えたら減点。年功序列で、上司たちの口から出てくるのはポジティブな言葉ではなかった。

あれ?これってわたしの望んでた人生なんだっけ?しあわせな人生とはなんぞや?

と違和感を覚えたのが社会人になってからとは、わたしもずっとぬるま湯に浸かりすぎていた。今までは「誰かにとってのいい子」で在り続けたため、仕事を辞めていいのか、転職することが正解なのかが分からないまま時間は過ぎていった・・・(石の上にも3年っていうし頑張ってみたら?という言葉を鵜呑みにして頑張り続けた)

頑張り続けたその先に見えたもの。

それは「偽りでできた自分」だった。
誰かの期待に応えることが、自分自身の喜びや価値として染み付いていたため、上司から褒められることもお客様に喜んでもらえることもとっても嬉しく、それなりにやりがいも感じていた。
しかし、周りを見渡して仕事が楽しくて仕方がない!と言っている上司がいないこと、成功を褒めるより、ミスを怒られる文化であることに違和感しかなかった。

このままではだめだ!
自分の人生、自分で決めなきゃ!

と、はじめて自分の意思で動きはじめた続きはまた次回。
ここまで読んでくださりありがとうございます。続きもぜひ読んでいただけたらうれしいです!

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