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寄り道喫茶モーニング

大分の旅を終えて、フェリーで神戸に着いた。
まだ早朝6時台のことである。
眠いし、お腹も減った。
そのまま真っ直ぐ家に帰って、ゴロンと寝そべりたいほど疲れていたが、せっかく朝早くから神戸にいるのだから、どこかに寄らない手はないのではないか。おとなしくしておけばいいものを、わたしは天邪鬼な性格なのである。

実は神戸の街をほとんど知らない。
洒落た街、というイメージがある。旅行帰りでヨレヨレのデニムを履いているのが申し訳ないと思った。

しかしなんにせよ、喫茶店でモーニングセットを食べたい気持ちで心はいっぱいになる。わたしは喫茶店が好きだ。温かい珈琲とトースト。知らない土地の知らない喫茶店。

そういうわけで、阪神本線から神戸電鉄に乗った。阪急とどう違うのだろう。ここらの鉄道事情はさっぱりである。神戸市営地下鉄なるものもあるらしい。もちろん、乗ったことはない。こんなことを書くと、地元の人々から、なにをとぼけたことを言ってるんだ、常識がない、と言われてしまってもしかたないのだが、どうか大目に見てください。

ちょうど通勤通学の時間帯だ。だが、わたしは喫茶店でモーニングセットにありつくためだけに電車に乗っている。呑気なものだ。少し、呆れる。

電車を降りる。
運良く近くの喫茶店が開いていたから、入る。
おじいさんのマスターが1人。常連のおばあさんたちが、グループで3人。タクシー運転手らしき見た目のおじさんが1人。

こうした店の扉を開けると、一瞬奇妙な空気になることが多い。はじめて見かける客(それもわたしのように明らかに若い1人客)に対して、一体こいつは誰だ誰だとなっても、まあおかしくはない。
わたしは、こういうときの、ある種の心構えを身に着けているつもりである。
まず、堂々とすること。下手にオドオドすると、余計に変だ。どうも〜、なんて軽くペコペコしながら店に入ってサッと席に座る。
メニューも吟味しない。とっとと決める。
なんにせよ愛想が肝心だ。

そうして、わたしは無事、常連客が朝の井戸端会議をしている空間に、カメレオンのように溶け込んだ。
おばあさんたちの話題は、競馬(話は競馬から広がりギャンブル全般のあれこれへ、そして結局は競馬に戻ってきた)と年金が内容のほとんどであった。ときおり、マスターも話に加わる。
わたしは賭け事はやらないし、年金のことも無論知らない。やはりわたしは常識がないのです。なんのことかわからず、ともかく眠い。
ぼうっと店内を観察して、じっとしている。だって、ほかにどうしようもない。

頼んだモーニングセットが運ばれてくる。
珈琲。トースト。サラダ。ゆで玉子。みかん。
豪華で、嬉しい。

せっせと食べて、珈琲を飲み終わると、ようやく目が覚めてきた気になった。

マスターのおじいさんに、勘定を渡す。常連のおばあさんたちが、マスターをマスターと呼んでいたから、この店ではそう呼ぶのが正式なのだと勝手に決め込んだ。わたしも調子に乗って、「マスター、ごちそうさまです」と言う。

朝、突如現れた、見知らぬ来訪者のわたしを、マスターや常連のみなさまはどう思っただろう。いつもそういうことを気にして、かと思えば、すぐに忘れてしまう。モーニングを食べさせてもらえて、満足である。それで十分なのだ。

クタクタになった旅の終わりに、それでもわざわざ喫茶店に寄り道するというのは、家に帰るまでに、日常に戻るネジをちょっと巻くようなものかもしれない。

はあ、疲れた。
朝の出来事を、夜になって、こうして文章に起こしている。はるか古代の話をしていると思えてくるくらい、長い1日だった。
ビールが旨い。


なんでもないはなし4

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