尾道、歩き方を知る、立ち止まる
列車が駅に着くと、前に一度来たときの記憶がさまざまに呼び起こされて、気分が高揚する、そういう街のひとつに尾道がある。尾道は、まず、地形が面白い。ロープウェイもあるような急な坂と瀬戸内海に挟まれたこの土地は、人々を惹きつける。愛媛まで続くしまなみ海道の起点でもあるから、サイクリストも多い。駅を出ると、すぐ左手には商店街のアーケードが延々と伸びていて、昔からの洋服店もあれば、現代的なカフェもあって、それらの店舗が、複雑に絡み合うように街を形作っている。線路を渡った山側には、千光寺や美術館があり、坂の階段からは因島がよく見える。その景観を捉えようと、カメラを提げて坂を上っていく人たちがちらほらと。この一帯には猫が大勢いることも知られていて、それが目当てだという人も少なくない。
12月の尾道に来てみると、思っていたよりも寒い。海からの風が冷たくて、驚いてしまった。尾道は、これが二回目だった。どこに行くというあてもなくて、次に乗る列車まで一時間半ほどしかなかったから、なにか目的を決めて歩き始めないと、見所を回れないだとか、あるいは、列車を逃すようなはめになる。最初は山側に行こうとしていたのだが、商店街の雰囲気が少し昭和の匂いもして、そちらに興味をそそられた。前回来たときは、山側の階段を歩き通して、それから船に乗って因島に渡ってしまったから、この山と海に囲まれた、街の中心を歩いていない。知らない街の商店街は楽しい。貴重な滞在時間は、観光と地元の要素がいろいろに混ざり合った、商店街とその周辺に使うこととなった。
商店街の一角、仕立て屋と婦人服店が並んでいる。シャッターは閉まっているけれど、店名の文字も、店の並びも、気に入った。
尾道は、メインストリートから逸れた路地がいくつもあって、つい覗き込んでしまう。こちらも仕立て屋だろうか、路地に掲げられた看板に懐かしさを覚える。
商店街には雑然とした感じがどこにでもあって、かと思えば、小奇麗な、おそらく観光客向けの店もあるのだから、時代が何層にも重なり合っているようで、眺めていて飽きない風景の連続だった。
商店街から逸れて、市役所の裏手あたりまで来ると、面白い建築を見つけた。大きなアーチ状の窓に、シンプルで武骨な装飾があしらわれているこの建物は、一昔前の銀行のような雰囲気を感じさせる。一体なにに使われているのかまるでわからなくても、外観を眺めているだけで楽しいのだから、なんだか外国を歩いているような心の持ちようだと思った。
なにかの店舗だろうか、コンクリートの打ちっぱなしの平坦な正面をした建物は、ずっしりとした威圧感があるのに加えて、「タイム・トンネル」の文字で、一気に謎めいた館という趣を醸し出している。タイム・トンネルというと、トンネルの入口から入って出口に抜けたら、タイムスリップしている秘密道具みたいに聞こえる。ここに入ったら、タイムスリップしたかのように変化が起こる素敵な場所、そんな意味合いでつけた名前かもしれないと勝手に想像するけれど、当然、本当のところはどうか知らない。
市役所の裏手は、スナック街になっていて、その中に喫茶店も多い。ほれぼれするように見入ってしまったのは、この二つ並んだ喫茶店だった。左手の方は、レンガ造りに水色の窓枠が特徴的な店構えをしている。どこかヨーロッパの街角にあっても不思議じゃないような小さな博物館や、ちょっとしたコレクターのギャラリーを連想させる。
一方、右手の喫茶店は、なんといっても、彫刻が目を引く。大きな天使がライトを持っている。こんな喫茶店が隣どうしで並んでいる光景は、そうそう見られないだろう。このとき、どちらの店も営業しているような様子ではなくて、残念だった。もし開いていたら、どちらに入ろうか道端で迷った挙げ句、きっと二軒をハシゴするに違いない。
その近くには、こちらも夜に訪れていたらきっと入っていただろう居酒屋があった。「サッポロビール」の文字にそそられる。「立ち飲みコーナー」の案内も、誘惑される響きだ。店構えだけで舌鼓を打たせるのはずるい。
市役所周辺はまだまだ見飽きなかったが、列車までの時間が近づいてきたから、急いで商店街の方へ戻って、どこかで休憩しようと思った。看板の「海の見える店」という謳い文句に惹かれてとある喫茶店に入る。
午後の中途半端な時間だったからか、店内には自分一人しか客はいなかった。店先のショーケースがすでに魅力的で、店内の内装もゆったりしている。緑の照明カバーに、椅子の緑のシーツ。目に優しくて良い。
運ばれてきた水のコップまで緑で、気分が良くなる。ココアを注文し、ゆっくりと椅子に深く座って、窓の外の景色を眺めた。微かに海が見えて、船が何隻も通り過ぎていく。
尾道は正確には何年振りだろうか。おそらく、初めて来たのは三年近く前のことだった。あれからこの街はなにか変わっているのか、まるでわからない。三年前は、行く先々どこもかしこも新しい体験ばかりで、ひたすら何も考えずに歩いていたような気がする。ただ、見たことのないもの、行ったことのない場所を求めて、歩いていただけ。歩き方は、知らなかった。それはそれで満足のいくものだった。今は、歩き方を知っている。立ち止まるべきところで、足を止めることを覚えている。喫茶店の片隅で、少し昔のことを思い出しながら、今日歩いてきた道筋での感覚を確かめた。尾道の多様な空間が、はっきりと印象に残っていた。