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日々を唄う。

友人とのご褒美旅。
今回は「泊まる」をするという
宿泊がメインの旅。

1日目は、嵐山邸宅の儘。
2日目は、伊根の舟屋、太平荘に滞在した。

両親(主に父)が「泊まる」にお金をあまりかけたがらない(その分観光や食に価値を置いている)人間だったこともあり、

22歳にして、結構初めて「泊まる」を楽しむという経験だったのではないかと思う。

一日目の儘。
人で賑やかな渡月橋辺りを越え、
少し外れた閑静な通りにあった。

暖簾を潜り、石畳の上を歩く。扉を開けた瞬間、
「あ、ここが好きだ。」
と思った。

直感型特有の、
直感、が働く瞬間。

まあるい机に案内され、ウェルカムドリンクとして桃の風味がする緑茶を頂いた。

少しして、お部屋に案内された。
入口からは、靴を脱ぐ。

下駄箱とお部屋番号は、山の数で表されているらしい。私たちは203なので、左に2山、右に3山。

ふかふかの絨毯で出来た廊下は、
「ここで寝れるな。」と思えるほど重厚だった。

いよいよお部屋とご対面。
「息が漏れる」ってこのことだ…と、
天井の高さ、シックなブラックのソファ、特徴的なライト、洗面所の縦長い楕円形の鏡に感嘆する。

この後ラウンジにも足を運んだが、
こりゃまたたまらん…
こだわりの説明書きがされたお茶に、
「果物」「スープ」「建築」といったジャンルの本、雑誌premium、
並びに揺り椅子が置いてあり、今夜は眠れないことを確信した。

データとして根拠を持って
提供されるとかいうのではなく、
空間や時間というレベルのものを、
人間の感性の訴えかけるように創ることの
凄さを噛み締めていた。

友人は「だから建築って面白いんだよ〜」と一言。うん。確かに面白いかも。

入道雲と、流れるような秋の雲
夏と秋の境目を泳ぐ嵐山を散策して、

夜ご飯は再び儘へ。

九条ネギとしらすのピザが、唸るほど絶品だった。また食べに行きたい。
500mlのサングリアが思いのほか量が多く、
友人の分け合ったものの、飲み終わった頃には
体がぽかぽかとして、眠く、完全に出来上がっていた。

このままお部屋に戻ることの出来る幸せさといったらこの上ない。

ヒンヤリと冷房の効いた部屋で横になって、
ぽけーと高い天井を眺めていると

友人がBluetoothに接続して、得田真裕の海のはじまり(月9ドラマ「海のはじまり」のサントラ)を流し始めた。
微睡むような時間に、身を任せた。
本当に贅沢な贅沢な時間だった。

次の日、これまたとんでもない美味しさの
鯛の出汁漬けを食べて、儘を出た。

ここでのご飯は、本当に
「お腹に溜まる」ではなく、「お腹が満たされる」という表現が正しかった。

対応してくれた、パーマのお姉さん可愛かったな。バスに乗遅れて、嵐山で少し過ごすことになったので、結果的に2回お見送りをして頂いた。

伊根までは、
バスに乗り遅れたり、天橋立で大雨に立ち会ったりと色々あったが、
結局祐斎亭に行ったり、うっすらと虹を目撃したりすることも出来、有意義な時間だった。

そしてついに、伊根へ。
海の上に建物が立っているのを目の当たりにして
思わず涙が出そうだった。

あの空間ごと、空と海と山とを
抱きしめたい。
そんな感覚だった。

伊根湾は、
私の好きな海の顔をしていた。
穏やかな波。
安心する。
ずっと眺めていられた。

思い描いていたような
夕焼けも朝焼けも見ることは出来なかったが、

朝少し日が昇ってからの
言わんばかりの、海の反射が美しくて

自然というか、地球というかの美しさを
この目で確かめることが出来たように思う。
それは同時に、私自身の命も、美しいと言って貰えているようでうれしかった。

尊かった。
だからこそ、守られていてほしかった。

海と山とを目で見て
海の香りを吸い、
夜は地魚を堪能し、
朝はカモメの声、夜は割れんばかりの鈴虫を聴き
舟屋では海に足をつけた。

「五感」で伊根を堪能した。

「泊まる」をする。
なかなかタイプの異なる宿ではあったが、
どちらも貴重な経験であり、
「あること」の豊かさと
「ないこと」の豊かさを同時に味わえたように思う。

楽しみにしていた旅が終わりを迎えようとしている。
最近考えていた
「豊かさ」や「気づき」というものに対して、
やっぱり豊かさ、幸せの定義は人それぞれだし、
気づきは渡す以外にも、
対話から自らが気づいたり、相互構築されていったりするものなのかもしれないと友人と過ごしていて感じた。

行き詰まりにも、
息抜きにも、
旅。

一緒に行ってくれた友よ!ありがとう。
思わず唄いたくなるような日々。
そんな3日間の記録を、記憶として残します。

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