「グランマ」のはじまり。
「グランマ」本格的に始動します!
本日、10月10日(月㊗︎)🌝
グランマが始動する前に…(今日だけど😅)
私がなぜ「グランマ」を立ち上げよう。と思ったのかを綴ろうと想います。
この出来事がなければ私はきっと行動に移す事はなかったと感じています。
長文です。ホント久々長い…^^;
なので、物語調に書いてみました。
合ってるか分からないけど…w
そして長すぎるのでSNS向きではないので、noteに残します。
実は実は、尊敬する大先輩から私はブログ向きだからブログを始めなさい。と言われ、1年前に書いたのですが、気づいたら1年経ってました😅
これを機に少しずつnoteにも書いていこうかなぁ…と思ってるところです😆
ご興味がおありの方は是非覗いてください🫣
〜グランマの始まり〜
序章
きっかけは1人の男の子の存在でした。
長男(現在、中学3年生)と同じ年のその子は近所に住んでいて、仲の良い数人で、小学校のころからよく我が家にきて遊んでいました。
長男、小学校卒業式の日。
生徒とその保護者が教室の前に立ち、生徒が保護者へ手紙を読む。というイベントが行われました。
長男と同じクラスのその子がお母さんを前にして読んだ手紙は、「いつも忙しいのにご飯を作ってくれてありがとう。」というような内容でした。
そして…「もっと一緒にご飯を食べたかった。」と、手紙を持つ手はぎゅっと力が入っていて、声をつまらせながら読み終えたのです。
その子のお母さんは目にいっぱいの涙を溜めて、両手を広げハグを求めました。すると、その子はお母さんにしっかりハグを返したんです!
私は2人の姿を見て心が震えました。
この2人にどのような物語の背景があったのか…。
そして、
「ウチに来て一緒に食べたらいいやん!」
と想ったのです。私が初めて「孤食」の問題を真剣に意識した瞬間でした。
それと同時に、同じ年の男の子を持つ母親として驚きました。
小6の男の子がみんなの前でお母さんにハグができるなんて!と。。。
その後に続く保護者も自分の子供にハグを求めた方もいて、ふざける子もいれば嫌がる子もいて…。
我が子なんて手紙を読み終えた後、ボソッと、
抱きつかんでよ。と釘を刺してきました。
私としてはそれが想定内の反応でしたが…泣w
男の子って、特に人前ではそれくらい素っ気ないと思っていたことが、その親子の何とも言い表せない温かいハグを見て私の中で、ずっとずっと蓋をしていたある感情が溢れ出したのです。
第一章
私には子供が5人います。
お陰様で5人とも悪阻もなく安産でした。
そのためか、出産をした次の日には、「もう1人産みたい!」と必ず言っていました。笑
そして、子供達が大人になった時に、自分も子供を産みたい!と想うことが、当たり前にくると感じていました。
私の子供時代は、ご近所付き合いがとても盛んで、学年関係なくたくさんの子供達とその保護者の中で育ちました。親同士も仲が良く、両親が楽しく交流している姿を見て育ちました。近所のおじちゃんおばちゃんに怒られることもありましたが、根本的にみなさんの眼差しはとても温かく優しかった記憶があります。
しかし、いざ私が子育てをすることになると、社会から孤立されたような感覚、数ある子育てのマニュアル本を読み漁るも、一切それに当てはまらない天真爛漫な長女。。。ちょっとでもやんちゃすると、「多動じゃない?」など、何かしら病名をつけてくる人がいたりして…。元気ではしゃいでいる長女を「大人しくしなさい!」怒り抑えつけたりして。。。
子供の気持ちを優先した子育てより、周囲の目を気にした子育てになり、今思えば、とても窮屈な子育てをしていました…。
地域社会がお互いを思いやり気にかけあい、子育ては決して孤独ではなく、子供は地域社会の中で育っていくものだ。と子供の頃、肌で感じていた世の中は当たり前にくるものだ。と信じて疑わなかったものが崩れ落ちていくのを感じました。。。
学校に行くのが当たり前で楽しかった私の子供時代は、周囲に恵まれていたお陰だったのだ。と気づかされました。
その時代の社会情勢で違いはありますが、子供の頃の私の周りの大人達に、心の余裕があったように感じます。
でも…だからと言って私1人が違和感を持ったところで何も変わらないし。こう言うものだと、ただただ現実を受け入れながら過ごしていました。
しかし、1人目の時と5人目の時のイロイロ…
かなり変化が大きく、違和感が少しずつ少しずつ大きくなるにつれ、仕方ない。と、諦め、何もアクションを起こさず生きていった先に子供達に胸を張ってバトンを渡せるのか。と自問した時、
答えはNOでした。
このままでは、子供達が子供を産んで安心して子育てができる環境ではなくなる。と思ったのです…。
そんなことを感じている時、長男の小学生卒業式でその子の出来事があり、「孤食」の問題にぶち当たり、想いがますます強くなり、ずっと押さえ付けていた感情が溢れ始めたのです。
私が子供の頃、大人の人達が地域の子供達を温かく見守ってくれていたように、私も地域の人達と子供達を見守っていきたい!そのためにも何か行動していこう。と感じたのです。
第二章
ところが、ほぼ直感と感覚だけで生きてきた私には、何をどうしていいのか分からず、想いだけが募るばかりでした。
行動力だけはあると自負しておりますので…笑。
実際に何かを活動している方々に会いに行き、お話を聞いたりしましたが…、
どうせ私には出来ない。私には無理。あの人だから出来たんだ。あの人は出来る環境が整っていたんだ。
私はまだ子育て中だし、仕事も忙しいし…
などなど出来ない理由ばかり探して長い間言い訳をしていました。。。
しかし、何年と言う月日を重ねても想いは消えず、ずっとずっと心の中にあり続け、私の中でもう見ないふりはできないくらい大きく強い想いになっていました。
そして、昨年、あと一歩の踏み出す勇気、私の背中をそっと押してくれたお話会に出逢いました。
そこから私は、何度も何度も自分に問い続け、さらに行動力を発揮し^^;
とにかく気になった人には会いに行き、話を聞きに行くと、そこに来ている人達が、同じような想いを持っている人だったり、すでに行動している方だったり、そんな方が全国にたくさんいることを知ることができ、とても心強くなりました。
そのお陰で、ついに私の中で、
「目指していることに向けて行動する」
と覚悟が決まりました。
そこから、「グランマ」の構想が始まったのです。
終章
今年の春から、逢いたい人に会いに行き、話を聞きに行き、とにかく動きました。そして、とても良い機会にも恵まれ、たくさんの方に助けていただいたお陰で、「グランマ」を立ち上げることができました!
すぐに何かが動き出す訳でもなく、うまく回るわけではないのは承知しています。しかし、動かなければ、何が原因でうまくいかないのか。と言う問題点にも出会えません。
はたから見たら無謀だ。とか、子供5人もいるのに何がしたいの?と言われることも、十分承知しています。
ただただ、私はこれからも私の信念に向かって歩み続けるのみです。
全てはいのち継ぐものとしての私の覚悟です。
写真は私の両親と子供達と私。
79歳になる父。
今も現役で仕事をしている父。
自分にも他人にも厳しく、愛がとても深い父。
母はものすごく心配性だけど、愛でしかない人。
楽しいことが大好きで、いつまでも少女のような母。
そんな2人から受け継いだ私の命。
(実際には数え切れない程のご先祖様から!)
私は私の命を持って子供達に私の生きる姿を背見せていきます。
以上!最後までお読みいただきありがとうございました!!!
次回は、「グランマ」の活動内容について!
追伸。
文章が雑で読みづらい。。。
上手になるようnoteに書き続けようと思います!