マダミスは劇薬だった。
私にとってマダミスは劇薬だったのだろう。
そして、これからもそれは揺るがない。
マダミスが日本に入り4-5年は経っただろうか。
私は2020年3月にマーダーミステリーを初プレイし、その魅力に取り憑かれた人間の1人である。「議論」「演技」「論理的思考」が好きな私にとってハマらない方が不自然に思えた。
その後数多くのマーダーミステリーをプレイし、そして辞めた。
理由がマーダーミステリーに触れることが辛くなったからだった。
マーダーミステリーをたくさんプレイしたことがある方ならお馴染みだと思う。このゲームはキャラクターの背景にセンシティブなものを取り扱うことが多い。それは殺人のための動機付けの部分として。
アニメ作品であれば1人で充分だよ!と思うような背景のキャラクターが一堂に集結しているなんてこともザラだ。この文章を読んでくれている方たちもきっと、数多の被害者となり加害者となりいろいろな世界を巡ったと思う。
マーダーミステリーの登場人物は全員容疑者である。ゲームという性質上、全員が疑われるような状況を作り出す必要がある。被害者に対する憎しみの感情は、殺人現場にして他人から疑われる要素の一つであるからだ。
私にとって
数多の人間が「センシティブ」に「エモーショナル」な触れ方をすること
そして私が「センシティブ」の被害者であること
がどうしても辛かった。
(マーダーミステリーをお休みしていた理由がそれだけではないことはここでお伝えしておきたい。マーダーミステリーを通じた出会いの中で人生観を変える出来事があった。2021年の2月、と言えば誰かに伝わるだろうか。)
ここではっきり述べておくと、私はDVの被害者である。男性からの暴力で骨も折れたし、毎日繰り返される暴力と数々のモラハラ、その果てに自殺未遂をしている。そして、加害者にあたる人間は1人ではない。
マーダーミステリー中に暴力の被害者を見るたびに、自分がそういう配役に当てられる度に、何も考えられない。頭が真っ白になって、暴力の一部が思い起こされて息ができなくなる。
エモーショナルな解決をされると、私にはそんな救いもなかった、殺せば私にもこういう未来があったのか、と苦しんだ。楽しめているプレイヤーが羨ましかった。この人たちは、少しでも間違えたら自分が死ぬかもしれないって思ったことはないのか、痛い怖い辛い苦しいことを感じることがないように感情が消えていく感覚なんて知らないのか。
誰かの感動のために「センシティブ」が消費されていくことがなによりも嫌だった。
私は常日頃より推理モノがやりたい、と主張している。
それは、私が根本的に論理的思考と推理が好きなのもあるが、推理モノはセンシティブな内容を扱っていてもそれをストーリーの主軸にすることはなくあくまでも犯人探しを楽しむエッセンスである場合が多く、楽しめる。(気がするだけかもしれない。)
エモはその逆でストーリーを主軸に添え、犯人探しがエッセンスである作品が多い。そしてそのような作品のキャラクターは、可哀想な悲劇的なキャラ付けとして「センシティブ」な要素を持つ。(これも私の体感による主観であることは誤解のないよう伝えておきたい。)
エモを苦手と答えるのは、「センシティブ」なものを消費する人間になることを恐れているからだ。
そんな私にも様々な変化があった。
家族ができたことは一番大きかったと思う。
また、私が自身の経験についてだいぶ整理がついたというのもあるし、素敵な作品にも出会えた。作者さんとプレイ後お話しする機会があり、本当にこの方は「消費」のために設定しておらず、真摯に向き合っているのが伝わってきて、プレイヤーとして、被害者の1人として、とても心が温かくなった。
最近ウズでマーダーミステリーをよくプレイするようになった。
4月から正社員として働くに当たって生活習慣を治したかったからだ。
私にとって朝に起きる理由として、マーダーミステリーがピッタリだった。起きなければならない理由にもなるし、他者と会話することでその後も目を覚まし続けなければならない。それがとても楽しく感じる。
(朝マダミス結構いいぞ!おすすめ!)
私にとってマダミスは劇薬だった。
エモより推理が好きなのも変わらないと思う。
前よりなんとなく楽しいと思える。
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