共感覚者のブラックユーモア
文字に色が見えたり、音に色を感じたり、人に味がしたり、と五感を超越するカタチで知覚される共感覚。
主観的事実としての知覚様式なので、共感覚を保持していない人からは、疑われたり、奇異な目を向けられたりすることも少なくないようだ。
また、共感覚の種類によっては、カフェイン中毒や、薬物摂取時に起こる幻覚と似ているため、共感覚者にとっては、何てことない、日常的な経験でも、幻覚を見ていると受け取られることもあるらしい。
時代や地域によっては、自分の共感覚体験を語っただけで、話すのを止めるまで父親から殴られたり、セラピストに矯正されようとしたり、嘘つき呼ばわりされたり、と、過酷な偏見と自己否定につながる体験を持つ人もいるから、共感覚者に対する非共感覚者からの眼差しは、いまだ「取り扱い注意」な危険性を含んでいる。
海外の共感覚グループ内では、そうした眼差しを逆手にとって、笑いに変えるユーモラスな投稿が定期的に発信されていて、何度見ても笑えるので、紹介したい。
【photoAC取得後、自分で編集】
「カフェインめっちゃ摂った、、、音が見える、、、」
暗闇のなか目が爛々と光る動物の画像と共に
「今朝、エナジードリンクでエスプレッソ淹れた、、、だから、いま、文字に色が見える、、、」
バージョンもある😂
コメントには、
「私も見えてるわ、、、クラシック音楽の色が好きよ、、、コーヒーは飲んでないけどね、、、🌝」
「ウケる🤣いやいや、エナジードリンクでエスプレッソって😹からだ壊すやん😹」
「えっ、なんでカフェインそんな摂るの?文字に色がみたいから?えっなんで?🤔(真剣に謎)」
などが並ぶ。
曜日やアルファベットに色がついて見えるのも鉄板ネタで、とりわけ、色がついたアルファベットの画像と共に「全ての色が!間違っている!!」と憤慨してみせて、メンバーの笑いを誘っている。(Aに赤が見える人にとっては、青いインクで書かれたAには非常な違和感を感じるらしい)
ほかに面白かったのは、中世の王様の写真をのせて、
「これって私だけかしら、、きっとそうよね、、私でも変だとは思ってる、、でも、、でもね!いつ見ても彼は、牛肉のステーキの味がするの、。🥩誰が何と言おうが!彼は!ステーキなの!」
これには
「ウェルダン?レア?」
の真剣な質問が出て、
「レアね。間違いなく、レアだわ」
と返答があった。
まとめると、中世の王様は、いつだって、牛ステーキの味がします🐂焼き加減は、レア、です🥩
考えさせられたのは、
「最近シールドを観てて気づいたんだけど、共感覚者って、インヒューマンと似てないかしら。一人一人の能力は全然個別のもので、自分でもよくわかってない。保持者が少ないことで(最近は気づいてないだけで、そんなに特異じゃないともされてるけど)迫害されたり崇められたりもする。こんな風に感じるのって私だけ?」
同じように感じていた私は何回かコメントのやりとりもした。
「このアイディア好きよ。共感覚の有無で、高い低い、はあり得ないけど、構造が似てると思う。スカイが修行したみたいに、良いことのために共感覚を役立てられるように教えてくれる人がいたらいいのにね。あと、共感覚にとってのミストは何なんだろう。ちなみに私はコールソンの大ファン✌️」
相手からは、「コントロールできるものじゃないから、どう楽しめるかを見つけられたらいいな、と思ってるわ。ミストは、自分の感覚が共感覚だと知った瞬間じゃないかしら。その瞬間から、自分自身について知って納得して受け入れていく旅が始まるんだと思う」
共感覚体験について語って、まるでミュータントか霊能者か芸術家気取りの自慢屋か、のように扱われた感じがして疲れていた私は、なんなら自ずから、インヒューマンだと自称づけてしまうユーモアには、救われた。
それに、このユーモアにはかなりの真実が含まれている。事実、自分の持つ感覚が共感覚というものらしい、と気がつくのは、大人になってからのひとが多いし、気づいてからいろいろ調べたり、自分の知覚を観察してみたりして、自分自身について知っていく過渡期をへているようだ。私の見る限り、時代や文化に関わらず、多くの共感覚者が似た経過を経て、自分の共感覚に対して適切な距離感を見いだしている。
共感覚の学術研究が盛んになったのは1980年代以降。それまでは、病気とされたり、嘘つき呼ばわりされたり、差別の痛みに耐え、自身の共感覚体験を口にすることを恐れてきた人は少なくないようだ。ここ40年で共感覚の認知度があがり、こうして、共感覚者的なブラックユーモアが笑って受け入れられる時代がやってきたのだろう。
共感覚の認知度の低さや、内外からの過度な特別視が、人々の分断に繋がりかねないことを危惧するメンバーも多く、それぞれの場でもっとニュートラルに共感覚体験を語っていこう、と鼓舞する場面もよく見られる。
共感覚にまつわる、ある種の溝は、こうしたブラックユーモアが埋めてくれそうだ。
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