古い記憶ほど鮮明になっていく不思議
音を頼りに、一番古い記憶を辿ってみた。
3歳の幼稚園に行く日の朝。
幼稚園カバンの質感や大きさ、中に入っているもの、車のシートの色や質感、車のロック、
下駄箱に貼られた自分のシール(薄紫のボーダーの帽子を被った猫)、名札、園長先生のアクセサリー(シャラシャラと音がした)、母のメガネ、エレベーターのボタン、好きだったおもちゃのブロックの色や形、質感、それが入っていた箱、幼稚園の先生が着ていた服、友達の髪型、話した内容、廊下の色、壁に貼られたポスター、、、
細かい情報があまりに鮮明に想起される。
過去の時空が目前に3Dで広がって、停止したり再生したりを繰り返す。細部を見たかったら停止ボタンを押して、近づいて見てみたらいいだけだから、簡単。
自分は忘れっぽい人間だと思っていたけど、音で物事を記憶しているらしいことに気がついてから、音を頼りに記憶の探索をしてみると、逆になにもかもを記憶して、頭の中に保存しているようだ、ということに気がついた。
それにしても、細かい。鮮明だ。いま目の前に広がるように、記憶が再生される。
過去であればあるほど、より鮮明になる。
昨日の夕飯や自分が着ていた服より、30年以上前の3歳のある日の昼御飯の方が鮮明。
どうなってんの、私の頭の中??
ある場面を思い出すのには、まとまった時間や1人の空間が必要。ある種の瞑想状態になるんだろう。
過去の記憶の探索は、なんだか遊びみたいなものになってきた。
現在の体験、記憶、は、たぶん明日や明後日みたいな近い未来より、10年後、20年後に、もっと鮮明に近く感じられる記憶になっていくんだろう。
そう考えると、「ひととの別れ」が、寂し過ぎなくなってきたのは、いいことかなあ。
ひととの別れが寂し過ぎて、ひとと関わること、思い出を深めることを避けてきた節がある。
でもきっと私の頭は、目の前に起きる出来事や風景なにもかもを記憶して、記憶の貯蔵庫に収めていっている。
美味しいワインが熟成するには時間がかかるように、私の記憶が鮮明になっていくにも時間がかかるんだろう。
記憶は、いい記憶も悪い記憶も区別なく記憶していってしまうから、願わくば、いい記憶で頭が満たされていくといいな。。
ただし、記憶をずっと覚えておく、すぐにパッと取り出す、能力は低いんだと思う。
もしくは、解離だかトラウマだかの影響で、記憶方法に問題を抱えてるか。とにかく、かなりセンセーショナルな体験だったはずのことが、なぜかすっぽり抜けていて、忘れられていた事実にびっくりしたり、時系列の距離感を咄嗟に感じられなくて、日付で整理してようやく前後関係が理解できたりすることがある。
記憶力が良くて、頭がいいなら、何かの役に立ったんだろうけど、、、😅過去の古い記憶の鮮明さの生かし方はよく分からないままだ。