読書ノート:ハッピークラシー(著:エドガー・カバナス、エヴァ・イルーズ、訳:高里ひろ)
はじめに
企業が、会社組織の利益を出しつつ社会に貢献するという態度は、心理的に健全だと思っていたし、そのなかで個人の自己実現が達成されるということは、企業と個人の相互依存の形としては有りなのでは、と思ってきたが、本書は、個人の幸せというところに焦点をあてて、個人の幸せなのに、それが企業や社会に利用されて、何かを奪われている様を明らかにする。さあその状況を打破するプラクティスは何か?
課題の設定
この本は「幸せ教」に入っていることは、本当に幸せなのか?を問うている。
ナイーブには、成功すれば幸せになれる、というだけのことが、なぜか、幸せは成功に先んじるという考え方に倒置され、それが様々な企業文化を通じて、企業の課題を個人の責任に押し付けるロジックになっている。心理学的には、相反するナラティブ、よりよい人間になるという約束と、人は本質的に不完全でつねに何かがかけていいるという前提が押し付けられ、結果、個人の幸せが商品化され、「自己実現」や、(個人のスキル変換に矮小化された)リスキリングが商品化される。
対比的に語られるのは、現実の状態に疑問を投げかけること、新たな目で見ること、自分たちのアイデンティティや日常の行動を形成する過程、意味、習慣をよく知ることであり、これは、社会学の批判的思考とも通じる。
さあ、「幸せ」firstでない、何が我々に必要なのか?
あらすじ
2章 よみがえる個人主義
ポジティブ心理学と個人主義
国の経済発展が幸福度の上昇につながるのは、人々の生活水準の向上や購買力の増大より、個人主義的文化が形成され、それが人々に個人的目標の追求を促したことである(ポジティブ心理学者、アーロン・アフィーバ)、P60
幸福の方程式
H(永続する幸福のレベル)=
S(その人たちに予め設定されている幸せの範囲)+
V(自発的にコントロールする要因)+C(生活環境)
(「ポジティブ心理学が教えてくれる、ほんものの幸せ、の見つけ方」、セリグマン)、P61
40%の解決法:幸せを増大させるには、環境を改善するより自分自身に商店を合わせるよう促す。(「幸せがずっと続く12の行動習慣ー自分で変えられる40%に集中しよう」、ソニア・リユポミアスキー)、P62
カーネマン、「ポジティブ心理学は、生活環境を一切変えることなく、あなたは幸せなのだと説得しようとしているように見える」、P66
内なる殻に閉じこもる
危機後の新自由主義社会に生きる個人は、「自力で立ち上がり、経済的衰退の波に抗うのに必要な意志力を見つけようとするならば、自分の内を探さなければならない」という信念を持つようになった。(社会学者、ミシェル・ラモン)
第3章 仕事でポジティブであること
幸せな組織の準備室
人間性心理学の理論は、管理手法を「仕事志向」から「人間志向」に変えるために重要だという。この「人間志向」の考え方は、仕事自体が個人の動機、感情、情緒、および社会的欲求を満たすように調整されるべきだというものだ。
マズローの「欲求段階説」は、個人の基本的な欲求と幸福を重視し、その最も重要な場の一つが企業だとし、この理論が企業の経営方針を裏付けたという。マズローの理論は、企業のニーズを満たすために人間の行動モデルを提供したため、成功を収めたとされる。
新しい労働倫理の特徴的な変化として、個人の責任が非常に強調されるようになったという。過去には「キャリア」という概念があり、安定した給与や昇進が保証され、優秀な労働者は終身契約で雇用されるものだとされていた。しかし、これが次第に「プロジェクト」の連続に置き換えられたとされる。
プロジェクトとは、体系化されていない道筋や目標を持ち、リスクに満ちた事業の連続だという。これにより、個人は「学ぶことを学ぶ」必要があり、フレキシブルで自主的かつクリエーティブであることが求められる。これが「本物の自立性」につながると考えられている。
しかし、プロジェクトの出現により、1960年代の「いつわりの自律性」は、自己認識や自由選択、自己啓発に基づく「本物の自律性」に置き換わることが期待されたが、実際には多くの不測の事態や矛盾が労働者に転嫁され、市場の不確実性や競争の重荷を個人に押し付ける形となったという。
結果として、キャリアの道筋がなくなり、マズローのモチベーション理論に対する異議も増えた。そのため、この理論が労働者の「主体性」を説明するモデルとしての有用性を失ったとしている。
そこで登場したのがポジティブ心理学だという。ポジティブ心理学は、人間の欲求と幸福を重視し、マズローの「欲求のピラミッド」に逆さまのアプローチを取る。つまり、幸福であることが成功に先行するという考え方だ。この新しい視点は、「幸福優位の7つの法則」でも示されているように、幸せが変化への対応、遂行能力の増進、不確かな環境での柔軟な成功のために必須だとされている。
ポジティブな組織行動
外的コントロールからセルフコントロールへの移行は主に、企業文化という概念を通じて行われたとされる。
トップダウン統制の代わりに、労働者は企業文化、すなわち企業の原則、価値観、目標を能動的に内在化し、体現し、再生する機能単位として位置付けられたという。
企業文化は、労働者が専門的なプロジェクトを開発したり、職務に没頭したり、困難に直面してもやり抜くように動機づけることを狙っている。また、労働者が職場を「活躍する」ための特別な場所だと捉えるように仕向けるという。
個人が最も充実するのは、仕事に対して「天職志向」で取り組んでいる場合だとされる。これは、やらなければならないからではなく、好きなことだから、自分が活躍できるから仕事をするという考え方だという。
永続的な柔軟性
組織構造の柔軟性は、低コストと利益を企業にもたらす、柔軟性は組織の不確実性という重荷を、労働者に肩代わりさせることを正当化し、ポジティブ心理学は、個人が感情的・認知的適応に取り組むのを助けるという役割を担う。
組織が、レジリエンスを重視し、レジリエントな労働者を育てるというのは当然だ、
しかし、
柔軟性=レジリエンスは、今日の厳しい労働環境を前向きにうけとめることを労働者に強いる、心理的湾曲表現として認識される代わりに、労働者が、自己啓発や自ら変わっていこうということを、労働者の素晴らしい能力、最善の方法として指示されている。
自律性のパラドクス
労働者に対する要求、自己管理を拡大し、リスクや不確実性に対処いて、日々の失敗をポジティブで生産的なやり方で合理的に解釈することである。
パラドクス、
ここで、パラドクスとは、片方の手で肯定し、もう片方の手で否定する、
企業は自社の労働者に、自律を求めるが、それでいて企業文化には同調してほしいと思っている。
自律性が幸せと自己啓発に密に関連していると提示することは、しばしその本当の目的、組織の失敗の責任を組織内部のどこかに転嫁すること、を隠すことになる。
4章 商品棚にならぶ幸せな私
幸せはネガティブさの不在ではなく、ポジティブさの不断の改善とされた。
幸せは連続体。つねに改善の余地があるというのが前提になっている。
相反するナラティブ、よりよい人間になるという約束と、人は本質的に不完全でつねに何かがかけていいるという前提をもつ。
そして、相反するナラティブによって幸せは、幸せを求める人々の貪欲さと、継続的な消費を結びつけた市場にとっての理想的な商品となった。
それらの商品の前提であり標的であるのは、ハッピー市民の心理が、
感情の自己管理、自分らしさ、持続的幸福の3つの特徴があるという。
感情の自己管理
自己管理にこだわることは、個人が自分の人生を意志でコントロールできるという、間違っているがイデオロギー的には調整された主張に対し、その結果自分に起きた出来事はすべて自分にあるという考えに陥りやすくなるという。この点について、フーコーの仕事を支持する著者は最も批判的だ。
実証主義に基づく見方では、自己制御は個人の技能であり、心理的特性だとされる。そして、それを正しい心理学的な技術によって訓練し発達させることができるとされている。
自分らしさ
「自己が真にあるがままの自己であること」(ロジャーズが語る自己実現の道)
ポジティブ心理学者、自分らしく振る舞う人は、「得意なことに集中する結果として」、ポジティブで大きな成果を達成する。
自己管理技術、本当の自分を見つけることを目標とする自分らしさの技法は、深刻な心理的な問題や、トラウマや、ネガティブな側面には対応しない。
自分らしさ2.0
幸せにならなくてはならないという考えは、新しい世代の間に無差別に浸透している。ソーシャルメディアや、ユーチューバー、などの仕組みを通じて。
ビューディパイ、「自分らしくなろうとうするな、ピザになれ、ピザはみんなに愛される」(「この本はあなたを愛している」)。パイの自分らしさとしてよく売れたが、たとえその自分らしさを嘲笑するものであったとしても。
持続的幸福
「幸せ心気症病み」、つねに自己形成しつづける自己形成人の登場。幸せの追求は、自己についての相反するナラティブの上に構築され、それをささせる主要な二本の柱は、同じコインの表裏。
一つは、投機的なナラティブ、自己が心理的に広がり発展して、最高の自分になろうとする。
もう一つは、自己の根本的な不完全さ、あるいは永続的な「自己未実現」のナラティブ。
これらは、幸せを完璧で貴重な商品へと変える土台となっている。
第5章 幸せはニューノーマル
ネガティブをポジティブに捉え直すこと、問題なのは、ポジティブであることが専制的になり、人々の不運の大部分と事実上の無力は自業自得だと言い放つときだ。
現実の状態に疑問を投げかけること、新たな目で見ること、自分たちのアイデンティティや日常の行動を形成する過程、意味、習慣をよく知ることは、社会学の批判的思考の基本となる試みだが、幸せのイデオロギーはそれらすべてを無効にする。
ポジティブ心理学者が、ポジティブな感情や人生は、その人の置かれた状況に関わらず誰にでも、ホームレスの人や売春婦にも手に入ると公然と述べられるのは、根拠のない保守的な主張をする権力だけでなく、それを押しつける権力をも有している。
ネガティブな感情と思考の抑圧は、暗黙裏に存在している社会階層を正当化し、、、苦しみが正当であると認めず、、無駄なものであるとする。
結論
「腕時計の巻き方についての説明書の全文」(コンタサル)
彼らは君に腕時計を送るのではなく、きみが贈り物なのだ。
プロメテウスが人間に与えたオリュンポスの火のように、私心のない白衣を着た誰かが見つけて、人々を解放するために手渡そうと決めた貴重な宝物ではない、それどころか、コンサルの腕時計を受け取ったほとんどの人間のように、有益か否か、残念か否か、詐欺か区かに関わらず、なによりもまず幸せの真実を握っていると主張する者に好意的で有益なのだ。
ロバート・ノージッック、どんな楽しい経験でも望みのままに与えてくれる機会につながれることを想像するという思考実験。
問い:「人生より楽しい機械を選びますか?」
それは、現在我々を制御しよううとしている幸せ産業と同じだ、それは
自らの存在を形作る状況を把握する我々の力を鈍らせ、混乱させるだけではなく、その意義を失わせる。幸せではなく、知識と正義こそ、今後も我々の生活の革新的な道徳的目的であり続ける。
訳者による解説
本書は、
新自由主義的資本主義社会において、「幸せ」の追求が持つ意味やそれが権力を行使する仕方について分析(序)
「幸せの科学」(ポジティブ心理学)が、「幸せ」を「誰もが追求する目的、測定可能な概念」とみなし、「健康で社会的に成功し、最適に機能する個人のしるし」であるとした(第1章)
ポジティブ心理学は「幸せ」と個人主義を強固に結びつけた(第2章)。
幸せな人生を送れないのは、当人の努力不足であり、幸せになるためのスキルや能力が低い性樽というかたちで、「幸せ」は仕事や労働者に新しい意味を与える(第3章)。働く人が仕事や労働を通じて幸せになるのではなくて、幸せな人が職業的にも成功するという因果関係の逆転が生じている。
「ポジティブ心理資本」をもった幸せな労働者が、企業の生産性をあげて、労働者にとっては高いモチベーションをもち、レジリエントで楽観って気、「幸せ」でいること自体が仕事の一部になる。また柔軟さやレジリエンスは組織運営の不確実性という重みを労働者に肩代わりさせるのに役立つ。
さらに、「幸せ」は「エモディティ」として商品化され、新自由主義的社会の市民を、「サイチズン」に作り替える(第4章)健康やウエルビーイングに関する自己追跡アプリ。監視されながらセルフコントロールを行う人々。自分らしさの商品化であるパーソナルブランディング
感想
ポジティブ心理学は科学ではないのに、科学的に振る舞うことで人々をあざむく。
自己啓発なども、「幸せ」を中心にした、内省的な方向性であるはずなのに、それが組織に利用され、あるいはそれを強いるような権力的な使われ方をする。組織の課題を自己責任にすり替える。
批判的(クリティカル)な思考は、「幸せ」の前では無効化され、それは社会階層を固定化に寄与する(浮浪者もそのままで、心の持ち方次第で幸せになれるはずだ)。
知識と正義と、批判的思考の対極となる。
会社組織の利益を出しつつ社会に貢献するという態度は、心理的に健全だと思っていたし、今もそうだ。幸せの追求、ウエルビーイングの追求も同じノリで善であると思ってきた。一方、それは、心理学的には、二つの相反する(幸せになれる、欠陥をもっている)心理に支えられ、そこに、つけ込まれる余地がある。そして、「幸せ」への志向は、人の批判的思考や正義を無効化するのだという。
この本は「幸せ教」に入っていることは、本当に幸せなのか?を問うている。そして、幸せではなく、知識と正義こそ、今後も我々の生活の革新的な道徳的目的であり続けると主張する。
批判的志向は、批判がどこに導くのかがわからないし、正義も、それを唱える人や、コンテキストに依存するので、何の正義かを見えなくする、知識も人を欺くことに使われるだろう。なので、批判的志向も知識も正義も、絶対的なものではなくて、役割を担っているに過ぎないのではないか?幸せの欺瞞を暴きつつ、権力による人間の使役や搾取に抗うために。なので、どちらかがだめでどちらかが正しいとか言うわけではなくて両方大切だというのがもやもやした感想である。