写真は『記録』
皆さんにとって写真はなんでしょうか?
思い出、記憶、アート、芸術、作品、多種多様な呼び方がありますよね。ただ、超個人的な話をさせてもらうなら、僕の中では『記録』でしかないと思っています。(個人の思想でいいと理解はしてます)
元々の性格なんですが、言葉や物事に「こんな意味もあるんだよ」「こんな意味も含まれてるんだよ」みたいな、後付でつけてますやんみたいなことが大嫌いだったりします。そんな意味ねぇよ辞書引け辞書をと思っています。
それもあって、写真がアートって言われるのがすごいわからない。僕がアートな写真を撮れていないだけと言われればそこで話は終了です。ありがとうございました。
ただ、今デジタル写真の時代になったからこそ強く記録だという意識が強くなっています。僕はIT界隈出身なので、写真をデータとしか見てないからかもしれません。
ひねくれていますが、僕も人の子なので写真をみて「あ、この写真アーティスティックだな」と思うことはあります。でもアートだなという事はないと思います。あくまでアーティストが作ったアートな世界を「記録」した結果が写真であるということだと認識してます。
じゃぁ写真をアートと呼ぶなということ?ということは実は僕も思っていなくて、あくまで僕はそう呼ぶことはないだろうという話です。
ここでなんでこの話を言語化してるかというと、最近「写真”は”〇〇だ」「写真”は”〇〇でなければならない」という感じのニュアンスがちらほらある気がしてます。特にヌード界隈なんて、ヌード写真はアートですって言わないと街中引きずり回しの刑にあいそうな空気感まであります。
でも、写真って答えなかったよね?無理に高尚な意味を持たせても生きづらいですよね?という気持ちで言語化してます。ここ最近は、インフルエンサー型のカメラマンさんも増えてきて、ファン層も形成してるので、その方々が言ったことが100みたいな風潮も感じるので、余計に息しづらく感じることも多々あります。
僕はポートレートを専門にしてるので、その人の時間を記録する。くさい言葉でいうと「キリトル」ということが一番しっくり来る感じです。しっくり来る言葉を自分で持つのはいいのですが、カメラ・写真データから見ると「事象や場面の記録」であることは現実です。ましてや他人に強要するものでもないので、自分が芸術だ!と考えるなら見ている人が「あ、これは芸術で間違いないね」と思ってもらって初めて芸術となるんだと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?