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3話:末代までたたられた、私の話

2025年、終戦から80年後の今年。ここで祖父の話を記録しておくことにした。
私だって50歳になり、いつまで生きていられるのか分からないから。衝撃的な内容で、躊躇しない訳ではないが。

例えば、祖父が心臓にナイフを突き立てたら、血しぶきを噴き出しながら走り去り「末代までたたってやるぅーーーっ!!!」と叫んでバタッと倒れた方の話。

当の末代である私は、本当に苦労の多い人生になったと思う。戦時下で亡くなられた中国人の方々の供養を出させていただいた。タタリが原因ではなくても。ご冥福を祈らずにはいられない。

生き残るための、戦時下の行いとはいえ、祖父のしたことは酷い。聞いた私にとっても怖い話だが、想像するに、祖父はナイフを突き立てた感触が、いつまでも手に残っただろう。きっと祖父にとっても、ずっと誰にも言えずにいた、忘れられない出来事だったのだろう。

とある洞察力の高い方から言われたことがある。
「戦争体験というものは、身近な人に語られることは少ない。我が子には言えないものだ。孫に語ることも通常は無い」と。
それは私も、そう思っている。いくら何でも、こんな話、孫娘に聞かせる…?って。

祖父はなぜ、孫娘である私にだけ、詳しく語ったのか。私の兄弟、父、父の妹も聞かされていないというのに。

40代になってから気づいたから、私は人から告白されることが多いのだと、ここ10年ほどは認識している。
おそらく私の性格や雰囲気、在り方…言語化しにくい何か。
なぜだか選ばれるのだ。

4人の祖父母のうち、一人は私が1歳で亡くなり、一人は内面がシンプルで何も秘めていないタイプ。残りの二人からは身の上話や体験談を聞かされている。両親も私にだけは、そういう意味では甘えた。長い人生、大人だって、聞いて欲しい時があるのだ。いや、大人だからこそか。

出産後、ママ友からも色んな身の上話や悩みを打ち明けられた。人生で誰にも言えずにいた話を初対面で話し出す人たち。遠方から久しぶりに訪ねてくる友人から語られる打ち明け話。気の利いたことは言えないし、男性っぽい、忖度のない語り口調なのに。

今では、神様からのギフト、そういう才能なのだと思っている。まだ活かし方は定まっていないが。
例えば小説家、漫画の原作者、スナックのママとか、プロ奢さんみたいなコンテンツなどが向いているのかもしれない。私の中に溜まった、膨大な身の上話の数々。各世代の秘密。いつの日か、誰かの共感や安心につながるのかもしれない。もしかしたら。

祖父の話に戻る。
ギャング団の親分となった祖父は、ヤクザ家業の長兄の真似をして自分の組織に密告性を布(し)いた。ギャング団を支配するためには、それに見合ったルールが必要なのだろう。親分に内緒でコソコソと組織のお金を盗む奴や反乱分子を排除するためだ。

祖父のために、親身になって働く気の良い一人の子分が、ある仲間のルール違反を密告してきた。ルール違反していた者を処分する手配を済ませ、日が沈んだら祖父は密告してくれた子分を呼び出し二人で散歩に出かけた。月明かりの下、のんびりと並んで歩く。
「今日はありがとうな。お前のおかげで助かった。なんで気づいたんや?」などと語りながら。
だが、彼は悲しそうな声で「…親分は、俺を殺そうと思ってるのけ?」
「いやいや!なんでや!そんな訳ないやろ!これからも頼むで。」
しまった、殺意がバレたか…
そして、冒頭のエピソードである。

10歳の私は思わず祖父に聞いた。「えー!なんで?教えてくれたのに殺したん?おじいちゃんの味方やったんちゃうん?」
「密告者は消すのがルールやったんや」
あまりにお気の毒で、私には、心底、意味不明のルールだった。

会ったこともない、祖父の長兄とは、一体どんな人物なのだろう。後年、地方政治を脅かすほどの影響力を得て、大人達みんなが怖がって、噂されてる人。

孫の私にとって祖父は、厳しいけど家族想いで、真面目に良く働く人物だったが、諜報活動ではギャング団の親分らしい行動に徹していて、長兄のように非情だった。

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