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27杯目

     「ああもう…緊張した」

人生初の大仕事って言ってもいい程思い切った行動をした。
私、ちゃんと歩けたよね。
私、ちゃんと渡せたよね。

ガクガクとする足の震えが止まらないまま、エレベーターは上階まで、ぐんぐん階数を上行していく。
部屋のルームキーを開けると、生けられたアレンジメントフラワーからの清々しい花の香と、窓からの陽の光にクラクラする。  

フカフカの白いベッドに、うつ伏せに身体を投げ出した。熱った頬に白いベッドカバーの冷たさが調度心地いい。
仰向けに体制を変えて白い室内の光に目を細めた。
飾られた生花 猫足のソファー 
赤茶色のヨーロピアン風のインテリア

このスイートルームを予約したのは、BOCKLER のアップライトピアノが置いて有る事が理由だった。

私が、彩人君の家庭教師を突然辞めた理由は、
“普通じゃない自分”に自信が無くなってしまったからだった。

5歳も歳下の、しかも家庭教師で関わった高校生の男の子を本気で好きになってしまうなんて…
私にとって、とても受け入れられない心境だった。

“普通”を、何より優先して、“普通”を演じる事が常識だった私の生き方に疑問が生まれた。
“普通”って、一体何だろうと必死で考えた。

私なりの答えを探したくて、通っていた大学を休学して、半年間パリに留学した。
家庭教師のアルバイトで貯めた少しのお金を持って、現地で働いて生活…
自分でもすごく思い切った行動だったと思う。

日本を離れて、パリに行って知ったのは、
人それぞれ違う“普通”を持っているって事だった。
それぞれの違う“普通”を、ただ認め合って生きる事が幸せなんだって…
誰かと比べた幸せに意味はないって…
私はそんな、ささやかで大きな答えを見つけて日本に帰国した。

私は私のままでいいし、私は彩人君の事がとても大好きで離れたくない存在なんだと、自分の気持ちを認める事が出来た。

自分の気持ちを、自分の為に伝えようって決めてこの部屋を取った。

もしかしたら彩人君は、この部屋に来ないかもしれない。その時は、きっぱりと諦めよう。

私の恋心を無視しないで進む為の、大きな一歩にするんだ。

 「綺麗…」

大きな窓が夕陽色に染まっている。





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