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29杯目


彩人君と向かい合って座ってる2人のこの時間が、まるで止まっているように息を潜めている。

彼のセンター分けの髪から覗く額に、西陽が当たって、薄茶色の瞳が薄く光った。

  彩人「好きだって…ずっと言えなくて」
  美咲「うん…」
  彩人「ちゃんと伝えたかったのに、
     俺は言えないダメな子供だった」

前よりずっと大人びて見える彩人君は、両手で顔を覆って言葉を絞り出すようにそう言った。

彩人「…突然会えなくなってパニックになった。俺のせいで、美咲を傷つけたんだって、自分の未熟さを…ずっと責めてた」

美咲「私も、どうしていいか分からなかった。生徒だった彩人君を好きになっちゃって…」

彩人「好き…
今、俺がどれだけ嬉しくて喜んでるか分かる?」

美咲「ふふっ、そんな風に声を震わせてたら、喜んでるようには見えないよ」
時間が空いた分、変わってしまったら寂しいと思っていたけど、根本は以前と何も変わっていない彼に安心して少し笑った。

美咲「いつかショパンのノクターンを弾いてくれるって言ってくれたから、ピアノを置いているこの部屋を取ったの。ね、彩人君、弾いて?」涙を拭いながら伝えた。

彩人「え?、今?」

私は頷いてから、チョコレート色のアップライトピアノの蓋を開いた。


彩人「このピアノは…ベックラー」
そう言って真っ直ぐな眼差しでピアノを見た。

美咲「私だけの為に弾いて下さい。ピアニストさん」

「え?」と、私の言葉に少しだけ笑ってから彩人君は、いつくしむように鍵盤を指で撫でると、猫足の椅子に座った。 

彩人「それじゃ、今は美咲だけの為に…」



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いつの間にか薄紫色に変わった空に、白い月が
浮かんでいる。

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