プロの人に共通する法則
※あくまで個人的な見解です。
学術的根拠など一切ないので
アトラクション感覚でご覧ください。
あなたは何かで自分のことを表現していますか?
音楽でも
絵でも
芸術をしている人なら誰でも考えるであろう
作品に人が『感動』することについてお話します。
今回の話は特に芸術をしている人には
当てはまると思います。
まず、何かを表現することに必要なことは二つあると思っていて、
表現をする手段
と
表現の内容
です。
この二つがどういうことなのか説明します。
・表現をする手段
これは実際にやっていることはなんなのかということ。
絵を描くのか
歌を歌うのか
小説を書くのか
どんなことをして表現をするのかということですね。
・表現の内容
これは簡単に言えば『自分の想い』です。
喜怒哀楽のどれを作品に込めるのかということです。
もしかしたら『世界平和』のような
喜怒哀楽という単純なものではないかもしれないですね。
『表現をする手段』
と
『表現の内容』
の定義はご理解いただけたかと思うので本題に入ります。
芸術をやっている人なら一度は考えたであろう
『プロになる』ということ。
作品の『質』を図る世界共通の指数などこの世に存在しません。
よって、プロとして認定されるラインなどありません。
ですが、プロになる人には法則があると考えています。
それは、
『表現をする手段』と『表現の内容』のバランスです。
何かしらの芸術のプロは
このバランスがしっかり取れています。
『表現をする手段』に注力しなかったら技術が高まることはありません。
技術が足りない状態というのは味は良くても見た目が汚い料理を出すようなものです。
それでは、中身の良さを100%伝えることは難しいでしょう。
逆に
『表現の内容』に注力がなければ中身のない作品になってしまいます。
プレゼントの箱がどんなにいい箱でも
中身に何も入っていなかったらがっかりするだけですよね。
私は元々音楽をやっていたので音楽の話になってしまいますが、
ライブハウスで演奏している人のほとんどがとても感動するには程遠いものです。
なぜなら、彼らは『表現をする手段』と『表現の内容』のバランスが偏り過ぎているのです。
ほとんどが人に認めてもらいたいという想から生まれる
『表現の内容』への注力がほとんどで
『表現をする手段』への注力が感じられません。
これは下手だとか上手いだけで片付けられる問題ではありません。
実際プロといえるほどの実力ではない芸術に感動したことはありませんか?
例えば卒業式の学生による合唱など。
彼らは決してプロではないですが、
不思議と感動する人も少なくないのではないでしょうか?
それは親や学校への想いの強さ、つまり『表現の内容』と
日々の鍛錬の積み重ねである『表現をする手段』への注力のバランスが取れているからです。
仮に卒業式の歌をプロの人が歌ったとしても
『表現をする手段』への注力が高くても
彼らの内面にある想い、『表現をする内容』の強さはどうしても弱くなりバランスが取れないでしょう。
このように『表現をする手段』と『表現の内容』のバランスは必要不可欠なものなのです。
そして、人が感動する良い作品を生み出し続けられるプロは
この絶妙なバランスを維持しながら高めていくことができる人です。
今回は芸術にフォーカスして話しましたが、
もしかしたら他の分野のプロでも応用できるかもしれません。
もしあなたが何かしらでプロを目指したいと思ったら
『表現をする手段』と
『表現の内容』のバランスを考えてみてください。
あなたの人生と芸術の関係がよりよくなることを願っています。