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閑話休題ー悲しみについて

一つ前の話で、怒りの表現が足りな過ぎることに気付いた私は、「ショックです」「驚きました」で練習して、今では「それ、私だって、怒る(傷付く/嫌だ/いい気がしない)よね・・・」と思う瞬発力や対応力がアップしたと思います。

でも、ボディブローのように聞いてくるものもあって、「あ、アレがけっこう辛かったんだ」というのが時差で訪れたりもする。

今日、ちょうどそんな話を、友達としました。
母娘のようで、姉妹のようで、親友のようだとお慕いしている、
10年来、良い時も悪い時も、私をよく知ってくれているお姉さま。

途中で送ってくれた写真(学びメモ)に、この部分を書きながら、
「Mちゃんが、感情無くしてたって話してたなぁって思い出してました。」
ということを知ってくれている人。

正確には「友達とした」ではなく「友達にした」。
緊急気分で泣きついてみた。
「こんな気持ちになっちゃった時、◯◯さんだったら、どうする?」

・・・
私の心の変遷に寄り添ってくれてすっごいすっごいいろんな話をした後で、
彼女の場合「心に悲しみの置き場を作る」ということを教えてくれた。

そうか。私は
1)怒り=悲しみをないものにしていた時期
2)怒り/悲しみを感じられる(積年分の解消・・・)
3)怒り/悲しみを感じられる(2−3ヶ月の時差で)
とちょっとずつは成長しているのね笑。

今回の辛さの原因が何だか分かっている。
アサーティブ学習のintermediate(初学〜中級)の私は、アサーティブ的に展開するとしたら、どう構文を組み立てたらいいのか、書くことはできる。
でも、悲しみを悲しみのまま、置いておくという作戦もあるのだ。

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