#2_Why I write_HSP*HSS (20200306)
このタイトルの付け方は、ぜんぜんnote向けでないので、#5迄の限定のネームルールになると思います。とりあえずそこまでは、このまま。書くことも決めているので、淡々と書くだけ。
本当は、1の後、3つ書くことを決めていて(今も決まっているけれど)、書き伝えることの初発の気持ち?原動力?として残しておきたいと思うエピソードがあったので、2にすることにしました。
申し遅れましたが、このnoteは主に、HSP*HSS関連のことを中心に綴っていくことになる予定です。HSP*HSS、&Multipotentialiteのこと・・・
Multipotentialiteは、まだ露出少な目な印象ですが、HSP*HSSは、書籍はもちろんweb情報も豊富で、だいぶ情報にアクセスしやすいと思うので、見てみてください。*玉石は混交、かも。
追って私も、自分にわかりやすい形で、#3:HSP, #4:HSS, #5:Multipotentialite として、情報整理・投稿したいと考えています。
●なぜ書くことにしたのか
2/21−23「HSP/HSSが何なのかを学び、正しく伝えることができるようになる」という勉強会に通いました。*正確には21がオンサイト、22−23はZoom。Cさまの影響がここにも。
私自身は講座申し込み時「伝える」ということへのモチベーションはほぼ無でした。自分の理解を深めたいのが動機の10%ぐらいで、あとは受講生の皆さんと繋がりたい!という気持ちが90%。不純です。
新しいコンテンツを探しているでも、自分の商材にくっつけるでも、何でもなく、「もっと知りたい」という単純な知的欲求の充足。何より、昨年参加した2回のHSP*HSS関連のワークショップ(「自分の取説を作る!」と、「自分の強みを強みと認識する!」)の場の居心地の良さ・・・ボディトリートメントを受けたり、温泉に浸ったり、するのと同じ・・・かともするとそれ以上に!突然部屋の一室が温泉化/弥盛地(イヤシロチ)化したことにびっくりしたから。HSP*HSSの仲間と集いたかった。
とまれかくまれ。
伝える係になるつもりがなかったのですが、短期間に3が3つ揃ってしまったので・・・自分的に、やらにゃあかんかなぁ、と。整理・記録することにしました。
Ⅰ.自分起点で、印象的な3つの出来事があった。
Ⅱ.HSPを学んで心の動いたこと
Ⅲ. 自分との対話
Ⅰ.自分起点で、印象的な3つの出来事があった。
1)それって病気?
初めて接する方に自分を紹介するとき「仕事は◯◯で、最近の関心を持って勉強しているのは・・・」と切り出して、「HSPって聞いたことありますか?」と生まれて初めて言ってみた。
そうしたら「・・・?病気か何かですか?」と画面の向こうで、一気に戸惑った表情に(時節柄、zoom)。なんだかんだ、自分にとっては初めてのリアクションで。
自分ではこれら(繊細さ)を愛しているよ♡と思っているから、動じずに「ですよねー。聞きなれないですよねー。HyperSensitivePersonって言って・・・」「あ、知ってる。敏感な人だ」「そう、そうなんです。病気ではなく、物事の認知や刺激への反応の違い、神経や脳の情報処理の仕方の特性なんですよ^^」とすぐにリカバーできたけれど、
「え?病気なの?」と言われたり、思われたりしたら。ましてや、全然知らなくて、この世にたった一人の掛け替えのない自分のことや大切な家族のことを「HSP=病気」と受け取めてしまったら。
それは、全くもって寂しい!なので、正しく伝える・広める、ってほんとうに大事なんだと思った次第。自分のHSPとの初対面はクリスタルクリアにフラットだった(可も不可もない、単なる刺激への反応の仕方の違い!と受け止めた)から、そっか。人は知らないものことを、知らない/聞きなれない/馴染みがない、それだけで、悪気なくネガティブに/怪訝に、感じることがあるんだな。もちろん、その方との関係は、もちろんその後もますます良好。でも、忘れたくない初めての感覚。
2)ガサツなのって・・・
仕事先の仲良しの人とランチをしたとき、最近のトピックとして「実はこういうことに興味があって、勉強会に行ったんだけど・・・」とシェアしたら、興味を持ってくれた。ので、HSPの特性(受け取る情報量が多くて、非HSPの人が頭の上に10本ぐらいのアンテナを立てているとしたら、HSPの人は1,000本とか10,000本とか立てている感じ。何ならパラボラアンテナを背負っている感じ)を説明したら、
「じゃ、男の人の雑なの(ドンッとかバンッとかガンッみたいなの)とかも、けっこう辛かったりするの?」と質問を投げてくれた。(あ、今気がついたけれど、私は中高女子校だから、その点でもすごく楽ちんだったのかもな!)「あーーー。雑とか、乱暴なのとか、けっこう苦手。」と答えておいた。
ドアがバタンって閉まるのとか、けっこう怖い。みんなどうして平気なんだろう?と思っていたけれど、たぶんそれが無に受け取れる(平気、とかでなく、特に知覚されない。空気と同じ)のが普通(マジョリティ)。私はバタンとなる音が怖いから、だいたい必ず自分の手でノブを下ろして閉じる。
その様子を「丁寧だね」とか言われることはある。これらは、できるだけポジティブに受け止めている。ドアバタンとは違うシーンだけれど、「細かなことに目がいく」というHSPあるある。大人になって職場の先輩に「ぶりっ子」と耳元で吐き捨てられたのは、傷付いた。でも、これだって、彼女は吐き捨てたつもりがないかもしれない。彼女の10のパンチを1,000ぐらいに受け止めて記憶していたのは、HSPの私なのかもしれない。
逸れたけれど、「”男の人”の雑なのって言ったけれど・・・」男の人も受講しに来ていたよ。自分の気持ちの優しさや細やかさが、いわゆる「男らしい」とズレているように感じて・・・ずっと「エイっ」的な(伝わるかな?男子っぽい感じ)アクティビティに邁進していたのだそうだ。でもHSPを知って、男女に繊細さ発生率に区別がない(約20%)とわかって。すごくホッとした。それで勉強に来ていると話してくれた。
どれだけオープンでフラットでいることを意識していても、こんなバイアス・・・無邪気な錯覚や思い込みは、教育を受けても、気を付けるようにしていても、そこここに潜んでいる。それは、私だってそうだ。
3)許せるように・・・
そんなこんな日々を送っていたら、ご無沙汰している方のSNS投稿でHSPの文字が出てきた。これ自体は、HSPの特性とは別の文脈だけれど、
・「脳の構造が違う!を読んでから、だいぶ許せるようになりました」
・私に悪意があるからの行動じゃなかったのか!
「違いなんだ」という理解や、「あれは意地悪じゃなかったんだ」と自分の中で別の見方ができるようになること。それはほんとうに助けになる。(最初「誤解」と書いたけれど、「別の見方」に修正。刺激そのものを、どう受け止めるかは、その人が選択するものだから、そこに「正解」がないぐらい「誤解」はないね。)
相手も変わらないし、現実も特段変わらない。でも自分の気持ちがずっとラクになった、という経験が私にはあります。それは、どっちがHSPでどっちが非HSPだっていうことではなく、当っっったり前だけれど、単純に、人は違うんだ。ただ、その感じ方の違いが(HSPorNOTで言えば)、アンテナ10本かパラボラかということで。(正直、そこまで差があるとは思っていなかったけど笑。)
小さい頃、先生に怒られたことを全部記憶していた、という仲間がいた。「分かる分かる!」私もそうだった。大事にしまっておかなくていい記憶も、小さい身体にたくさん纏っていたんだろう。でも・・・10本かパラボラか、で言ったら、仮に大人が10何かを言って・・・子供に10伝わるとは限らないし、2−3伝わって、そのうち忘れるのかもしれない。でもパラボラの人は10のことも1,000ぐらいのメッシュで受け止めている可能性がある。そしてHSP特性「深く・長く受け止める」もあるので、記憶に定着。
記憶の書き換えは、辛いものであればなおのこと、けっこうステップがあると思うけれど(頭の記憶、心の記憶、身体の記憶、いろいろあるから)、でも「あ、何だ、私が思っていたほど気にしなくてもよかったのか」と思えただけでも、私はずっと楽になった。・・・真面目に受け止め過ぎていて損しちゃったよ!っていうより(いや、もっと早く知っていればよかったけどね笑)、なーんだ、そっかぁっという感じで、その瞬間からずっと気が楽になって行っているように思う。
Ⅱ.HSPを学んで心の動いたこと
1)己を知れば、かなり楽
講座の2日目の最後に、HSPの身体性の話があって。自分の安心な感覚を呼び起こす/自分を包むために、お気に入りのタオルや毛布を持っているHSCちゃんが多い、という話が出た(イメージはPeanutsのライナスの安心毛布)。あ・あ・あー!そういう人、身近に、いたじゃん!小さい頃、奇しくもPeanutsのシュローダーの絵のついたタオルケット、ずーっと持っていた人。
実は、HSPの講座の直前に、彼女と普段より頻繁にメッセージをやり取りした。職場のことで悩んでいて。思い描く介護福祉の在り方があるのだけれど・・・自分が本質的に大切だと思うことや貫きたい誠実さ、そういうものがチームの中で浮いている感じがするという話だった。なんかどこかで聞いた話。本当に正直で働き者で、素直で優しい。弱いものを守るためなら、自分を省みずにタックルしに行く勇気があるけれど、一方で気持ちが細いし、パタッと疲れ果ててしまう。・・・大人になってから、その優しさや正直さが、うまく活かせないでいるシーンがあるように感じていて。
もしかして・・・と、HSPの簡易診断のpdfを共有したら、23点中21点のハイスコアだったとのこと。「これ、何?私、病気?」いやいや、違うよ。直球の正論は、時に玉砕することがある。病気じゃないけれど、他の人は私たちが思っているほど、物事を重く深刻に受け止めていなかったりするんだよ・・・どちらが良い悪いではなく、ただ「違う」というだけなんだよ。
こんな風に、ずいぶん年を重ねるまで、ズレが出ないケースもあると思うし、それが分かって幸せかというと、急に突きつけられれば訳が分からず混乱することもあるだろうし・・・。何となく違和感を抱えつつ、まだHSPという言葉に出会っていない、隠れ/潜在の人も少なくないだろう。
違うと分かることと、現実が変わることには、いつもタイムラグがあるけれど、自分が悪いのでもないし、自分がおかしいのでもないし。同じように、相手も悪くもおかしくもない。そして、自分で自分を責めることをしないで欲しい。その優しさや細やかさを尊重してもらえて、しかもその才能が重宝になるような・・・お役に立つ場面があることを、大好きな人のために祈る。人のことなら心から祈れるんだ。同じだけ、自分のことも祈ろうと思う。
2)違う・違う・そうじゃない
講座の途中で、まさに頭を「ガツン」とやられたことがあった。
・・・え、なになに、HSPって、文脈的に「弱者」なの?少数派って、いきなり「弱者」扱いなの?
え・・・状況によっては「発達障害」に分類されたりしちゃうの?単なる個性じゃないの?
え・え・え〜!なになになに〜?「投薬」とかいう言葉が出てきちゃう世界なの?
それは、ほんとに聞き捨てならないよ!
仰天でした。私自身は、本っっっ当にラッキーだったと思う。今から思うと、そーとー変わった子供だっただろうと思うから。(これは#6以降で書こう。)
でも、ほんとうにたまたま偶然、自分の心地の良いモノコト、欲求の満たされた環境、感覚を脅かされない環境等に恵まれていたから、私は「変わったところもある。けど、基本的に困らない子」ぐらいの感じで過ごして来れた。環境や見る人によっては、いつだってその立ち居振る舞いが「困った子」と評価されたって、おかしくなかったと思う。自分の敏感さと程よい距離感で大人になれたことに感謝しかない。
最初に書いた去年通った2つのワークショップで皆さんと学んだ時間は本当に貴重で、人とシェアすることで自分の輪郭が際立つ。私はたまたま言語表現に強いタイプだったから、いわゆる当時の「学校教育」の中で、私は得をしやすい傾向があったのかもしれない。
当時の普通の学校教では、紙と鉛筆の時間が、かなり多い。だから、たまたま私に向いていただけだ。素材フェチとか、得意なものが「香り」とか、気持ちはメロディで表現したいとか。例えばそういう才能を持った子供たちがみんな、6歳の時点で自分にしっくりくるインプット・アウトプットに出会っているとは思えない。だったら表しようがない、表せなければ苦しい/違和感が出るだろう。でも、その苦しさや違和感に「苦しさ」や「違和感」とラベルを付けられれば、真因の解消はされずとも、整理される分、まだ楽だろう。それがあったってマシなだけで、出口のないエネルギーは消えない。
私は専門家でないし、苦しさを抱えたHSCちゃんの気持ち、その苦しさを間近で共にするご家族の気持ちは分からない。でも、そこで求められているのは「投薬」ではない気がする。「HSP」が正しく伝わる・広がることで、困っているという状況の解決に「投薬」が選ばれるケースが1件でも減ったらたら良いと思う。
何となく、だけれどHSPは、薬も効きやすいような気がする。私は、薬にも麻酔にもビタミン剤にも当たった経験がある。特殊加工の食品(具体的には低脂肪乳)も、大昔にダイエット目的で継続摂取していたけれど、ちょうど1年後ぐらいから刺激性の蕁麻疹を起こすようになった。蕁麻疹前後の違いで、思い当たるものがそれだけだったので、止めたら、その後1−2年で全く出なくなった。それ以来、カロリーオフ、糖質オフ、何にしてもそーいう加工(自分的に区分がある)のものは、分かる限り避ける。どれが良い悪いという犯人探しをするつもりはなくて、私の場合はたまたまそうだった(と思っている)だけで、そのぐらい見える部分も見えない部分も、刺激への反応の仕方も人それぞれなのかもしれないということが言いたかった。
投薬も通常の想定以上に「効き過ぎる」可能性があるし、何より投薬の前に試せるパッケージがあって欲しいと思う。
3)「もっと分かり合いたい」素直な気持ち
先日SNSでHSP関連の特集番組がシェアされてきた。
http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=1152
泣ける。詳しくはリンク先を参照いただきたいが、小6のHSCの男の子と、おばあちゃん。お互いをわかり合いたいともつれる二人。おばあちゃんは、男の子の繊細さが理解できなくて苦しい。男の子は繊細さからくる自分の体験をどうにもコントロールできなくて苦しい。お互い、お互いを大切に思うからこその、悲しいすれ違い。それが、番組のプログラム中を通じて、距離を縮めていくストーリーだったようだ。
お互いの目に映っている世界の違いを交換することは、とても意味があると思う。同じ場所にいて、そんなに違うものを知覚しているんだ、という驚き。そして、大切なお互いの世界をそれぞれに尊重したら良いと思う。
「人はそれぞれ違うから、永遠に分かり合えないと思っている。」と友達が言った。でも、その絶望は、同時に救いだ。私は結構、話した言葉は忘れてしまいがちでも(耳の記憶より、目の記憶が得意)これは本当に忘れない。分かり合えないから終わり、ではなく、その分かり合えなさを超えて、なお分かりたいと思う枯れない気持ちこそが愛で、生きる意味の一つではないかと、時を重ねて思うようになった。
HSPの勉強会を通じて、HSPをめぐるステークホルダーが多岐に渡ることを実感した。
当事者はもちろん、HSCちゃんの親御さん、HSCを調べ始めて自分がHSPと思うようになった親御さん、非HSPの親御さん、HSPのパートナーや家族を持つ非HSPの方、自分がHSPで会社の同僚もHSP、実家は全員非HSPだけれどパートナーの一家は全員HSPだから新鮮・・・等々。
話を番組に戻すと、最後には、おばあちゃんが男の子のお母さん、ご自分の娘さんに声を掛けるシーンもあったようだ。よかった。誰も悪くないのに「そこに違いがある」「家族でも一人一人違う世界を生きている」という当たり前ははたいてい容易に忘れられてしまいがちで、それは糸の絡まりやボタンのかけちがいを招く。
大切な人を分かりたいと思うこと、繋がりたいと行動すること。どこが起点であっても、それは必ず絡まりをほぐすきっかけになると思う。HSPを語ることは「違いを超えるコミュニケーションの架け橋/通訳」になれるのかもしれないと思っている。
Ⅲ. 自分との対話
私が何を書くか、は、HSP*HSS、Multipotentialiteのこと(でも、こと、って何だろう?)で。
あらためて私はどうして書くかについて。
私は自分がちょっと分かった気になると、オッケー(次)という気持ちになりがちで、良く言えばフットワーク軽く、悪く言うとつまみ食いが多い。表層的に舐めて、ホップしていく。
でも、自分の中では、そうしてストックしてきたことが、実際コネクトしていく感覚がある。ただ、お金になるでも仕事になるでも、何でもないし、自分に「コレ」というものがないことは、言いたくないが今この瞬間はコンプレックスだ(これだって、近い将来書き換わる可能性が多いにあるけれど!)
「まずは知ってもらうことが大事」これまで何度も聞いてきた。私の知りたい欲求は満たされるし、私はそれに思いを寄せ続けるけれど、提供側の「知ってもらう」ことへの期待に答えられていないような気がしていた・・・
でも、今回のことは、自分が当事者なんだよね。不思議な巡り合わせで、過去の自分の気持ちと出会う機会があった。
1)寂しかった
2)ホッとした
3)光が射した
私は、自分でそう言っていた。
自分を持て余す感覚にとらわれていた時、分かり合えない前提でこの世を知覚しようとことは、寂しいけれど救いだった。それでもなお、私はこの世界を生きていくのだと思うことは、ポジティブな諦め、勇気ある絶望、だったのかもしれない。でも、書いていて泣けてくる。それはやっぱり寂しかったよ。
それでも、私には、たくさんの良い友達がいてくれた。
私が声を上げなくても、心を寄せてくれている友達がたくさんいることを感じていたし、その「絶望」を携えて、目線を高く前を歩く友達がいることを私は知っている。私はなんて恵まれていたんだろう。
でも、講座の中に出てきた「本当に話のできる、友達と思える人が、一人もいない」というエピソードが耳を離れない。HSPは、よく察するし、「話のできない相手」というのは、苦手はあっても、基本的にいないと思う。でも、場が成立することと、心の充足があることは、もちろん別だ。
HSPだって、人はそれぞれ違うから*、「HSPあるある」に頷き合うことと、人生全体の経験とか大切に思うこととかの全てを「うんうん、分かる分かる」と言うこととは別だ。(でも、違いを尊重し合うことは常にできるよね。)
*これも、ワークショップや講座を通じて、みんなと話して分かったこと!ラベルが付くと無意識に一括りにしてしまっていた自分に気が付きました↓!
https://ameblo.jp/kumikokkkn/entry-12457052142.html)
でも、
・何も分からず漠然とした噛み合わなさが常に響いていた寂しげな時代(1)
・HSPだけではないモヤモヤを抱えつつ、本の中でHSSに出会って「これだ!」とホッとした瞬間(2)
・偶然SNSでMultipotentialitesグループ(Puttylike)に出会い、「仲間がいた」と感じたこと。その気持ちを「光が射した」と表現したこと(3)
リアルの友達、本、インターネット・・・様々なものを通じて得た、たくさんの助けに支えられて、私はこうして今います。だから、私も、誰か一人でも、私の発信で、ホッとする人がいてくれたらいいなぁと思う。
当事者目線や当事者家族の目線、仲間のリアルな声が、自分を相手の助けや癒しになることも体験した。私自身は、長年、親との関係に大きな課題があったが、自分をHSP*HSSと知ったことと、HSCちゃんを知ること、HSCちゃんを持つ親御さんのお話を知ることは、それを乗り越える時のほんとうに大きな力になった。そんな余波も、期待しないように期待したい。
長くなりましたが、
・正しく伝えることの意味・価値を、私は心から感じていること
・当事者、経験者、大人の私が語ることも、何らか意味があるだろうと信じること
ここに立ち戻って、地味なペースで、私にできる発信をしてみたいと思います。
以上です。
以下は自分メモ。
次回以降への課題
⬜︎もっと固有名詞を出していく。勉強会の名称とか、講師のお名前とか。友達名はもちろん伏せ。
⬜︎ポエム色を減らす。完全無は目指さないけれど、どちらかというと、普段よりも、機能性を意識した文章にする。
⬜︎とりあえず、手探りで続ける。まずは、記事のストックも。並行して、他のプラットフォームとの連携。