感情のソース
最近、文章を書く時に出典を気にし過ぎているきらいがある。ちょっと前まではインターネット上でもネタをネタとして受け取るような文化があり、「嘘を嘘であると見抜けない人でないと…」と言われていたが、今ではTwitterでちょっとでも間違ったことを書くと「なんかそういうデータあるんですか?」という画像と共に怒涛の反駁リプライが飛んでくる。確かに正しいに越したことはないんだけども、論文書いてるわけじゃないんだから間違っててもいいのに。好きなゲームをクリアした後にネット上の評価が良くなかった時なんかはなんとも言えない気持ちになる。客観なんて主観の寄せ集めに過ぎないのになんだか自分だけが負けた気分だ。「それはあなたの感想ですよね」でも大いに結構。全部が正しいよりちょっとくらい嘘があった方がたぶんおもしろい。
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