壺の中の大きな岩について

・壺の中の岩に関する話を読みました。話の概要はネットで調べればすぐに出てきます。自分のオンラインノートなので、最後にコピペを載せます。

・今日は、自分にとっての岩は何かについてメモします。

・候補①「睡眠」10代の時も30代になった今も変わらず、昼まで寝ること有り

・候補②「嫁さんとの、たわいも無い会話の時間や外食、旅行経験」

・候補③「家でダラダラしたり、銭湯・サウナでリラックスすること」

・候補④「夜にゆっくりウイスキーなどお酒を飲むこと」

・候補⑤「音楽を聴いたり、興味のある本を読んだり、映画を見ること」

・まず、趣味かそうでないかという点で切り分けると、③・④・⑤は趣味の一部

・ここに後で取り戻せるかどうか、修復可能かという視点を加える。

・すると、やはり③銭湯は明日でもいける、④お酒は明日でも飲める、⑤音楽と映画は明日でも楽しめる、ということになる。

・但し、この判断はいずれも明日も元気に生きていて自由に行動できることが前提になる。なぜなら、それぞれの体験をした後のリフレッシュ感や異世界経験、気分の高揚や沈静化はその日でないと感じられないものなので。

・この前提が崩れた場合、つまり明日死ぬ場合は、全部やりたいということで復活してくる。

・しかしながら、逆に考えるとそれ以外のことは明日死ぬとしてもやらなくてもいいとも考えられる。つまり自分が究極的にやりたいことは上記5点。

・友人に会いたい気持ちもある、家族に会いたい気持ちもあるが、それよりも自分の快楽を優先すること;知的好奇心を満たすことが大事らしい。また、血の繋がった家族以上に、妻のことは大事に思っている自分に気づけた意味で、この話は自分にとって意味のある話だった。

【壺の中の大きな岩の話】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ある大学で、こんな授業があったという。
「クイズの時間だ」。教授はそう言って大きな壺を取出し、教壇に置いた。その壺に、彼は一つ岩を詰めた。壺が一杯になるまで岩を詰めて、彼は学生に訊いた。
「この壺は満杯か?」
教室の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツ一杯の砂利を取り出した。そして砂利を壺のなかに流し込み、壺を揺すりながら、岩と岩のあいだを砂利で埋めていく。
そしてもう一度訊いた。「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。ひとりの生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取出した。それを岩と砂利の隙間に流し込んだあと、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれで一杯になったか?」
学生は声を揃えて、「いいや」と答えた。
教授は水差しを取出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。「僕がなにを言いたいのかわかだろうか?」
ひとりの学生が手を挙げた。「どんなにスケジュールが厳しくときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」君たちの人生にとって”大きな岩”とはなんだろう、と教授は話しはじめる。それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家族であったり、自分の夢であったり・・・。ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとっていちばん大事なものだ。
それを最初に壺に入れなさい。さもないと、君たちにとってそれを永遠に失うことにあんる。もし君たちが小さな砂利や砂で、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「なにか」に満たされたものになるだろう。そして、大きな岩、つまり自分にとっていちばん大事なものに割く時間を失ない、その結果、それ自体を失うだろう。           ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以上

2020/3/26

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