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54/100 バードウォッチング

文字書きさんに100のお題 043:遠浅

バードウォッチング

 僕は大学の授業が終わった夕方、米本と山津海岸を訪れた。山津の干潟に野鳥を見るスポットがあると米本が言ったからだ。
 山津の海浜公園には横に細長い窓がくりぬかれた野鳥の観察スポットがあり、人々がベンチに座って干潟に来る鳥たちを眺めている。
「ここで海に潜る野鳥のケツを見るのが楽しいんだ。プリプリしててかわいいよ」
「ふうん」
 米本とベンチに座って観察窓を眺める。夕方の光が落ちる干潟に、黒い影を落とした海鳥たちが波にふわふわと漂っている。
「バードウォッチングが趣味とは思わなかった」
「ハマると金がかかる趣味だから、ハマらないようにしてる」
「金?」
「写真を撮ったり、遠征したりするからね」
 穏やかな米本に似合いの趣味だと僕は思ったが、米本はそう考えていないようだった。柔和な笑みを浮かべる米本の顔から視線を外す。
 米本は僕の想いに気づいているが、僕を遠ざけはしなかった。端正な顔立ちで人の目を覗き込む癖がある米本は、女の子や男からも想いを寄せられていた。首を傾けて人の目をじっと見つめる米本には、人を恋に落とすふしぎな磁力があった。人に好かれ慣れている米本は、自分の魅力を熟知した猫のように、それを当然のこととして受け止める懐の深さがあった。
「三輪もゲームやってないで、たまには外に出たらいいじゃん」
「だから今こうして外に出てる。でも昼間は駄目だな。身体が溶ける」
「三輪は肌白すぎだよ。たまには日焼けしろ」
「やだ。溶ける」
「溶けないよ」
 米本は柔らかい茶髪を髪になびかせて、滑舌のよい笑い声をあげる。
 男が気になるなんて、初めてのことだ。米本の隣は居心地がよくて、誰もが米本は自分を特別に扱っているのではないかと錯覚する。
 どこまでも泳いでいける遠浅の海のように、米本は人の想いを受け止めてくれる。
 しかし米本は誰のことも特別に想ってはいないのだ。
 それに気づいたとき、僕はひとりで南極に取り残されたような思いがした。
 米本の胸にひっかき傷を残すのは、いったいどんな人なのだろう。
「三輪」
 米本が物思いにふける僕を現実に引き戻す。
「最近ぼうっとしてることが多いな」
「もともとだよ」
「ちゃんと傷つけないと駄目?」
 米本は海風に目を細めながら、唐突に話を切り出した。
「俺は三輪とダラダラいっしょにいるのが楽しいけど、ちゃんと傷つけないと駄目かな」
 僕は米本がこの話をするために山津海岸へ来たのだと気づいた。水をかけた雪のように、僕の心が硬くしぼむ。
 いくら人に好かれ慣れているとはいえ、米本は僕に好意を寄せられるのが嫌なのだろう。
 そりゃそうだ、と僕は心のなかで呟いた。米本も僕も男なのだから。
「傷つけなくても、わかってる」
「そうか」
 米本はじっと僕の目を覗き込んで、目を細めながら生真面目に頷いた。
 いつか米本の目を見ても心がざわつかない時が訪れる。
 その瞬間を僕は待っている。今は心がグラグラと揺れているけれど。
 日が落ちるまで、僕らは波に浮かぶ水鳥たちの影を見ていた。米本は水鳥の影を追う僕の隣に座って、辛抱強い犬のように静かにしていた。

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