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文字書きさんに100のお題 038:地下鉄
移動遊園地
人込みのなかがいちばん孤独、という歌があった。
隠れ家を求めて東京の大学に進学したぼくにとっては、だれも知る人がいない人込みがいちばん安全な場所だった。
知り合いばかりの地元は息苦しかった。同性愛者として、街のかたすみで透明人間のように生きていける場所を探していた。
月島に住むとどこへも行きたくなくなる、と月島の恋人はいう。月島は、東京の中心にある海の匂いのする下町だった。
月島駅を降りて数分の佃一丁目、佃煮屋の三軒うらの家に月島の恋人は住んでいた。猫の多い町で、せまい路地に近所の猫が数匹たむろしているすがたをよく見かけた。
昭和三十年代のようなタール塗りの木造家屋と、赤い欄干の橋のむこうに林立している近代的なマンションが、ガスがかかった空に溶け合っていた。
ぼくが実家へ帰ってからも、月島の恋人から年賀状が届く。東京から戻るさいに恋人との関係をすべて清算してきた。月島の恋人は合理的な男で、身体の距離がはなれたら心もはなれるもんだ、と呟いていた。そのかわりに、携帯にときどき猫や彼の友人たちの写真をメールしてきたりする。
新木場の恋人はプログラマーで、人気のない木材工場の近辺の古いアパートを転々と移り住んでいた。一箇所に定住することも、ひとりの恋人に落ち着くことも嫌いだという。海に面した製材置き場には、延々と丸太の柵がつづいていた。木を削る匂いはしても人気のない広い通りを歩いていると、夕暮れにひとりだけ取り残された子どものような気分になってくる。遮るもののない海風にいつも逆らいながら歩いていた。
新木場の彼は、ぼくに三人の恋人がいることを知っていた。人も街も通り過ぎていくだけだから、とぼくが呟くと、いま一緒にいればいいだろう、と彼は煙草の煙が目にしみたような顔で笑った。
葛西臨海公園の駅を降りて五分ほどのところに住んでいる恋人は、昔からの葛西の住人だった。子どものころは潮干狩りに行ったんだぜ、と水族館の干潟から海を眺めながらいう。
――人工の干潟なんて意味ないだろう。エコロジーっつっても、人間の役に立つとこしか残さないんだし。単なる勝手だよ。
葛西の恋人は一本気だった。新木場の恋人のことがバレたときに大学の友人だと嘘をついたら、葛西の恋人はすんなりと信じてくれた。信じることが愛することだったのかもしれない。
彼といっしょに生きていくことができれば、ぼくは楽になれたかもしれない。
甘えた空想のなかの仮定だけれど。
ぼくは東京の大学を卒業してから、実家のある根府川で就職した。
ほんとうは東京から戻るつもりはなかった。が、大学を卒業する一年まえに、ひとりで鉄工所を営んでいた父が心筋梗塞で死んだ。日曜日にゴルフへ行ったとき、父は気持ちが悪いといってひとりで家に帰ってきたという。台所で父は死んでいた。顔には苦悶の痕があった。
母がそのとき買い物に出かけていなければ、父はまだ生きていたかもしれない。父の悶え苦しんだ痕を見つけた母は、そのことを後悔しつづけた。母を放っておくことができなくて、地元で就職活動をして銀行へ就職した。
父はぼくに鉄工所を継がせる気はなく、父の代で鉄工所を閉鎖するつもりでいた。借金を清算したあとに残ったのは、父が二十年まえに建てた家だけだった。
東京で就職していれば、ぼくは誰かと幸せになることができただろうか。ぼくはただ、彼らのまえを通り過ぎただけで、彼らを愛したわけではなかった。地元よりもなつかしい東京のことも。
根府川から上京したとき、方向音痴だったぼくはいつも地下鉄の乗り換えで迷っていた。地下鉄のドアの向こうには騒々しい人と街、電車がうごいているのではなく、ドアの向こう側で街がめまぐるしく衣装を変えているような気がしていた。カーニバルのように、横に回る観覧車のように。
ぼくにとって根府川は出て行くための街だった。東京は通り過ぎるための街で、透明人間になったぼくに気づく人はいない。その自由さがなによりも好きだった。
一生透明人間のままでいられたらよかったけれど。
ぼくはおだやかな相模湾を横目に、オレンジと深緑の電車に揺られていく。
First Edition 2003.7.4 Last Update 2003.7.4
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