2020 わたしはわたしを愛していない
■2020.07 わたしはわたしを愛していない
こんな題名の小説を書いたらどうか、と小説さんからお便りが届いた。
私がふだん書いているボーイズラブ(BL・男同士の恋愛を描いた作品)ではない。ギスギスした現代物だ。
私たちはありのままの私を愛してはいけない社会のなかにいる。
私たちには余計な脂肪や毛穴があってはいけないし、歳を取るとナチュラルに増える白髪や皺やシミがあってもいけない。
私たちはいつまでも白く、若く、か弱く、美しくなければならないし、私を構成する要素を外部から摂取しなければならない。
スイーツを吟味しながら、体重計に乗って自分の体重を心配し、ダイエットメニューで自分の体型を維持しなければならない。
男性誌のグラビアの女性の化粧は、女性が本来持っているパーツの素材を引き立てるナチュラルなメイク、女性誌のモデルの化粧は、同性にマウントする、あるいは同性を威嚇するサイボーグ的なメイクだと、どこかで読んだ。
私が持っている洋服やバッグ、アクセサリー、没頭している趣味、摂取する食事などを「見せる」ことに事欠かないメディアたち。私たちは斯様に人の目を意識して生きている。人の目、人へのマウント、人への威嚇にこんなに敏感にならずにはいられない社会を、人類は初めて経験するのではないだろうか。
それは私が日本にいるからで、最低限の生きる保障がなされているからだ。こんなに個人が意見を発表できる機会を、私たちは今まで持たなかった。他人への承認要求が人へのマウントを生み、序列を生む。私たちは子供のころから学力によってカースト制に取り込まれ、大人になればまた別のカースト制に巻き込まれる。
ありのままの私を受け入れよう。
これがマニフェストになる背景には、「ありのままの、さほど美しくも賢くもない私を受け入れてはならない」という社会の無言の圧力がある。
あなたは美しさや賢さを「外部から」「商品として」摂取しなければならない。
そしてあなたは自分の美しさや賢さに「永遠に」満足してはならない。
あなたは自分の成長のクエストをインターネットやリアルで記録し、全世界へ向けて発表する。
この世にひとりしかいない、かけがえのない、ありふれた私の記録。
それをオリジナルのものにするために、私はやはり「外部から」「商品を」摂取しなければならない。
「商品」は形あるものとは限らない。英会話や活け花などのスキルかもしれないし、各種運動や登山などの経験かもしれない。
そしてあなたは「商品」によって変わった私にさらに成長のクエストを課すのだ。
だから私は永遠に外部を摂取して変わり続け、自分の満足する「商品」を消費しなければならない。
クエストに疲れた私には、「スローライフ」「シンプルライフ」「田舎暮らし」などの癒やしの商品を。
仕事や育児に疲れた私には、各種ご褒美を。
自分の「外部」を消費して、「外部」の競争の目に晒され、「外部」の承認を求めること。
永遠にありのままの「かけがえのない、ありふれた私」を愛さないこと。
それが現在の相互監視社会の命題であるような気がする。