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52/100 食べてしまいたい人

文字書きさんに100のお題 041:デリカテッセン

食べてしまいたい人

「『千と千尋の神隠し』で千の両親が屋台の食べ物食って豚になるじゃん? あれって豚に失礼じゃねえ?」
 義国が変なことを言い出したので、充はデッサンをする手を止めて背後の義国を振り返った。
「あれは豚みたいに食べ物を貪り食ったら豚になって食われてしまうぞって、教訓じゃん?」
「そうか?」
「でも本物の豚や鶏や牛は、俺たちにどれだけ食べられても人間を呪ったりはしない。だから豚になって食われるのが怖いっていう人間より偉くない?」
「知らないうちに呪われてるかもしれないぞ」
「だったら人間が滅亡していてもおかしくないじゃん。なのに俺らが好き勝手に肉が食えるっていうことは、やっぱり呪われてないんだよ」
 義国がデッサンのモチーフの牛骨の頭部を指差す。確かに自分が家畜の豚に転生したら嫌だとは思う。が、だからといって菜食主義になろうとまでは思わない。充は自分が描いた牛骨の黒い眼窩を眺めながら、やはり義国は変な奴だと思った。
「もし誰かひとり呪い殺してもいいって言われたら、誰を殺す?」
 義国がケント紙に鉛筆を走らせながら、物騒なことを訊く。
「憎い人を殺す? それとも好きな人を殺す?」
「好きな人を殺すなんてありえないな」
「そうか? 俺は好きすぎて殺したいと思ったことがあるよ」
 自分たちは高三の美大受験生だ。たぶん人生が始まったばかりだろう。なのに義国にはすでに殺したいほど好きな人がいるんだな、と充は感慨深くなった。
「殺してしまったら二度と会えないだろう」
「食っちまえば一生自分のものになるだろう」
「そういう感覚はわかんねえな」
「充は闇落ちしないもんな」
 義国がガリガリと自分の頬を掻いているさまを振り返って眺める。義国が不快そうに目を細める。
「充の太陽の下で歩いてますって感じ、俺は死ぬほど嫌い」
 充は義国のような珍獣を見ていると楽しいので、義国の言葉はそれほど胸に刺さらない。
「充の絵も嫌い」
「はいはい」
 充は目を平たくして義国を一瞥すると、自分のデッサンのほうへ向き直った。
「すこしは傷つけ、ばかやろう」
 背後から凶器のような声が飛んでくる。充は牛骨の角の影を描き込みながら、いったい義国は誰を食べてしまいたいんだろうと考えた。

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