83/100 キーライムアンドクリーム
文字書きさんに100のお題 080:ベルリンの壁
キーライムアンドクリーム
「ベルリンの壁が崩れたって」
りのちゃんが放課後、いっしょに帰ろうと窓際の私の席まで来た。
「日本にそれ関係ある?」
「平和になるんじゃないの?」
「受験がなくなったら平和になるけどね」
りのちゃんは県外の大学は受験できない。双子の弟がいて、弟にすべての運を持っていかれたとりのちゃんは言っていた。
私は一人っ子で、一人っ子の幸運と重圧を背負っている。
「冬期講習、東京なんだ」
私が言うと、りのちゃんはすごいねとさらさらした髪を手で押さえながら笑った。
「みんな夏期と冬期は東京に行く。東京の美術予備校に」
「上京して?」
「そう。浪人生がいるから、勝てる気がしない」
私は東京の美術大学を受験する。人生をかけて毎日絵を描いている浪人生の圧力にいつも負けている。
私にあの未来はない。美大受験を失敗したら、普通の大学に行けと親からは言われている。
「タイムマシンがあったら、って思ったことある?」
りのちゃんは空に書いてある文字を辿るような目を雲に向けた。
「ない」
「私はある。でもあったらって、思わないようにしてる」
「あったら面白いよ」
「あったら何度でも人生をやり直せるから、ないと思っておく」
りのちゃんにはやり直したい過去があるのか。今までそんな深刻な話は聞いたことがない。
秋の空なのに、色が濃い。わたせせいぞうのイラストみたいに、原色っぽくフラットでさわやかな空だった。
「わたせせいぞうの絵を見ると、ホテルカリフォルニアを思い出す」
私が言うと、りのちゃんは首を傾げて、わたせせいぞうと関係あったっけ、と斜め上を見る。
「ホテルカリフォルニアのお話が、わたせせいぞうのキャラクターで動くの」
「出ていけない」
「どこにも出ていけない」
東京の大学に行く。地元に残る。
あいまいな放課後のあいまいな空間を、ブラスバンドのマウスピースの音が埋めていく。
来年、私たちはここにはいない。
りのちゃんとは高校を出たらもう会わないかもしれないし、五十年先の同窓会までいっしょかもしれない。
「キーライムアンドクリーム」
りのちゃんは私の机に頬杖をついてにやにや笑っている。
「アイス食べたいなって思ってたでしょ」
りのちゃんとの未来を考えていたんだよ、とは言わない。
「りのちゃんが最初に好きだって言ったじゃん」
「それしか食べないのはそっちでしょ」
ハーゲンダッツのアイスパーラーでりのちゃんと食べたキーライムアンドクリームにはまり、私は一夏のあいだそればかり食べていた。
りのちゃんは私を頑固だと笑う。
りのちゃんは席を立って帰ろう、と私を促した。私も鞄を持って立ち上がる。
りのちゃんといっしょに帰れなくなるから、本当は東京に行きたくないな。
そう思い始めたのは、ベルリンの壁が崩れた十一月の初めのころだった。