2025 bubblesさんへの返信 『懺悔』の女性嫌悪(ミソジニー)について

bubblesさんにこちらの記事で私の文章を引用していただきました。
ありがとうございます。

私もずっと探していて見つけられなかった雑誌の短編小説のご感想です。
引用していただいた私の文章はこちらです。

現在はBL(ボーイズラブ)と言われる、男性同士の恋愛の創作物に関する文章です。
bubblesさんがイタリアの方ということでさらに驚きました。

若い方は特に、BLの前身であるJUNEを知らない方も多いと思います。

コメントをbubblesさんのページに書いたのですが、長くなりすぎて投稿できなかったので、こちらに書きます。ではどうぞ。


文章のご紹介ありがとうございます。千住白です。
この『懺悔』は私も読みたいと思って探していたのですが、見つからなかった作品です。よく見つけられましたね。
一番日本の本が収蔵される国立国会図書館(National Diet Library)にもなかったです。
お話のあらすじを知ることができてよかったです。

bubbles さんがおっしゃるとおり、女の子ふたりの愛憎劇ですね。
JUNE好きの女の子の妄想を男の子たちに押しつける身勝手さと、実際にひとりの男の子がもうひとりに好意を持っていたという偶然が重なって、ファンタジーと思えない現実感、ヒリヒリする痛みがありました。

中島氏は、今まで須和さんが書いていた小説は、男同士の恋愛というファンタジーを好む同士にしか共有できないものだったと語っていらっしゃいました。
これを中島氏はサナトリウムの夢と言っていました。

その夢、ファンタジーを突き破る現実感が『懺悔』にはあったと思います。

そして『懺悔』を書いたあと、ファンタジーを書くか、現実のヒリヒリした痛みを書くか、その選択肢を中島氏は須和さんに示したように思います。
「BL」というファンタジーに行くか、「文学」に行くかという選択ですね。

JUNE、BLには女性が自分の性を否定して男性という仮の皮を被ることで、自分の女性としての性を受け入れるという性質があると思います。
女性によるミソジニー(女性嫌悪)をうまく回避して、自分の女性性を解放するための道具ですね。

日本は特に男性が優位の社会なので、女性として生まれただけで人間として劣っているような、出生の呪いを背負ってしまいます。
中島氏、須和さん、そして野村史子さんたちが生まれたときのほうが、強く呪縛されていたと思います。

『懺悔』の女の子たちも女性嫌悪の呪縛を強く受けて、自分の妄想を現実にしてしまいます。
それが男の子たちを深く傷つけてしまったこと、その責任を相手に押しつけることで、自分の本当の痛み、自己否定感を見ないようにしているように思います。

自分の一番醜い思いを、他人が持っているものとしてそれを攻撃する。
三好への啓子の思いは、心理学の投影(Projection)だと思います。
そうすれば、啓子は自分の女性嫌悪や自己否定感を感じずにすむからです。

そして、啓子と同じ女性嫌悪と自己否定感を、BLよりもJUNEが好きな私は今でも持っています。
自分の未解決の傷としてですね。

長くなって申し訳ありませんでした。
自分の原点を振り返ることができてよかったです。
ありがとうございます。





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