82/100 Happy End
文字書きさんに100のお題 074:合法ドラッグ
Happy End
誰もが験担ぎでやっていることがある。ドアを出るときは左足から、おでんを食べるときは卵から。
私の場合は、帰り道をかならず一本間違えて帰ることだ。
小学生のころから二十六歳になった今まで、その習性は続いている。
首都高の車線を間違えて、横浜へ行くつもりで渋谷線に行ってしまったときは、旅行先を変更した。
――ええ、何でこうなるの? ここどこ? 無事帰れるの、私?
私は人工的な迷子であって、方向音痴ではない。自分の座標が頭に入っていないと、心おきなく迷子になれないからだ。
道は間違えることで覚えていく。だから私は、皆が嫌う駅前の、一方通行が多い細い路地が大好きだ。
くねくねとあみだくじのように本来のルートから外れていく。本当に行きたいのは向こうの角なのに、とやきもきするのがわくわくする。
するりと目的地に辿り着いてしまうと、忘れ物をしたような頼りない気分になる。何か大切なものを道に忘れてきてしまった。今すぐそれを取りに戻りたくなる。
猫のパトロールは同じ範囲を巡る。猫もその道で新しいアイテムを見つけているのだろう。
猫も私も、新しいものを放っておくのが嫌なのだ。欲張りなのだろう。面白いものを見落とすのは損だと思っている。
みさちゃんの家の前で、ムーミンの木を見かけた。みさちゃんはムーミンと言っていたけれど、どう見ても太ったモアイのような庭木だ。
モアイの鼻にピンクのバラが咲いていて、鼻ピアスみたいだ、と私は思う。
五歳の女の子の双子がいる家から、かえるの歌が聞こえてくる。
庭で水遊びをしているのか、双子たちが水の跳ねる音とともに悲鳴をあげている。
双子の女の子のかえるの泣き声を聞いて、私も心のなかで輪唱する。
歌声やカレーの匂いや焚き火の煙など、歩いているといろいろなアイテムを拾う。
灌木の向こうに、天に昇りそうな急な坂道が見える。住宅地を左右に分ける大通りで、雨上がりのアスファルトが夕焼けを浴びて金属のように輝いている。
いつかあの頂上の景色を見たい。
そう思いながら、私は行かなかった。坂の向こう側を知りたくなかった。
知らなければ、いつまでも坂の向こう側に憧れていられるからだ。
実際に確かめに行って、何もなくてつまらなかったと思うのが嫌だったのかもしれない。
人もそうだ。いつまでも憧れるだけでいれば、失望せずにいられる。
そう思うから私には今まで恋人がいない。悪い癖かもしれない。
空に向かう発射台のような坂道だった。
いつか山の向こうに、空の果てに、道が終わるところに辿り着こう。
でも道はどこまでも続いていて、小学生のころの私は道の終わりを見つけられずにがっかりした。
終わらないからどこまでも歩いていられる。
道の向こうに何があるかわくわくできる。
だから私は今日も、わざと曲がり角をずらして歩く。
いつまでも味のあるガムを噛むように、欲張りな楽しみに爪先を躍らせながら。