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文字書きさんに100のお題 040:小指の爪

王様の爪

「足の爪を切ってくれないか。だんだん巻き爪になってきた」
 病床の父に言われて、私は父の足の爪を切ることになった。
 父が肺気腫で入院して以降、母が父の面倒を見ていた。が、母は先日風邪で倒れ、一人娘の私に父の世話が回ってきた。分厚い皮膚に覆われた醜悪な顔から目を背けて、サイドテーブルの引き出しを開けて爪切りを探す。
 人の爪など切ったことがないから、どれだけ切ればいいかわからない。私は途方に暮れながら、父の黄色くなった分厚い爪に爪切りの刃を入れた。
 父は常に動かない人だった。翻訳の座業で腰を悪くし、痔を悪化させた。代わりに母が父の世話をして飛び回っている。父は灰皿の煙草の灰を捨てたこともない人だった。
 肺を患った父は、常に酸素ボンベを携帯して歩くようになった。父を散歩させるときも、母が父を車椅子に乗せて、車椅子を動かしていた。父は考えること以外何もしたくない人なのだ。だから母が父の身の周りの世話をして、疲れ切っている。私は母が倒れたことは自業自得だと思っていた。
 産業廃棄物のようにただ座っている父を私は嫌っていた。
 なのに父は私に身の周りの世話をさせようとしている。
 病室にパチリと爪を切る音が響いた。深爪してしまいそうで怖かったが、知ったことかという投げやりな気分になってくる。
 自分で爪を切らない父が悪いのだ。ひとりでは息もできない王様のようにふんぞり返っている父が。
「肉を掴んでる」
 父の冷静な指摘に、私は爪切りの刃を引っ込めた。
 このまま小指の爪を深爪させれば、父は自分で爪を切るようになるだろうか。
 おそらく父は文句を言うだけで、自分から動こうとしはしないだろう。私は父親の爪をやすりで整えながら、自分もまた母のように消費されていくのだろうかと思った。

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