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2023 三日月ロック その3 天動説クラッシャー

スピッツの楽曲にSSを書く 2 三日月ロック その3

天動説クラッシャー

 六月のデザイン科の課題は「身体を使った表現をする」だった。
「出たよ、ふわっと課題」
「パワー系よりはマシだけどなあ」
 パワー系とは、一ヶ月でクロッキーを五百枚とか、組み写真を百組つくるというような、分量の多い課題のことを指す。講師の御手洗はアクリル絵の具を透明水彩のように薄く塗って幾何学模様を描くという緻密な作風の作家で、シビアな評価をすることで定評があった。
 課題の概要をレジュメで作ってくるという授業で、御手洗は黒いTシャツから生えた剛毛の腕を振ってレジュメの束を振り回した。
「お前らヌード好きすぎ。ヌードの企画は却下。最初からやり直せよ」
 黒板にヌード禁止と書いた御手洗は、その言葉をチョークでぐるぐると囲った。
「じゃ何すればいいんですか」
 四宮が金気を帯びた声で聞く。王族のように品のある顔立ちのわりに、四宮の声は鋭く響く。机を叩く四宮の指を見て、朽木は怒ってるなと苦笑を浮かべる。
「身体を、ってのは「身体を使って」と「身体をモチーフにして」の両方の意味がある。それでもう一度考え直してみろ。お前ら、指先一本で物事を済ませがちだからな」
 四宮は却下組なのか、眉間に皺を寄せて御手洗を見ている。「最初からそう言ってくれ」。四宮の思考はいつもわかりやすい。自分の都合で周囲を振り回してきた子供特有の無邪気さと残酷さがある。
 後の時間は自習となった。学生たちがそれぞれ集まりながら、課題の相談をしている。
 美術大学に来た学生たちは、座って講義を聞くのが苦手だ。手を動かしたほうが早いと考える人間も多く、そういう学生はクロッキーブックに何か落書きをしている。
「朽木は何やる?」
 四宮が近づいてきて聞く。ロングコートチワワが目をきょろっとさせて首を傾げている。周囲の人間は、王族の息子のような四宮がなぜ朽木を追いかけているのだろうと思っている。ふだんは自分に恋する女を思い通りにしている四宮が、なぜ地味で無口な朽木になついているのだろうと。
「四宮は却下されただろう」
 四宮は堰を切ったように文句をまくしたてる。
「俺は写真だったんだよ。モデルの了解は得てるし、ヌードも身体の一部分だけだからって言ってもダメだった。なんでダメなんだろう」
「肖像権ヤバいんじゃねえの」
「最初から言えばいいのに」
 チワワは鼻息荒く文句を言いつつ、ちらっと朽木を見上げる。この視線を幾度感じたかわからない。そして四宮はたぶん、自分がそこまで朽木を見つめていることに気づいていない。
「ダメなものはダメだ。考え直せ」
「めんどくせー」
 四宮は隣の席に座り、机に突っ伏してユラユラと揺れている。見上げる目つきが駄々っ子だ。朽木と視線を合わせると、四宮の顔にほんのり照れが浮かぶ。なんでこいつはこんなに俺が好きなんだろう、と朽木はチワワのような黒い目を見て考える。
「なにかネタないかなあ。あー、映像にしようか」
「何を撮る?」
 四宮の目元の赤みが増す。
「月……を取る人々」
「なんだそれは」
「いろんな人に月を取る手段を実演してもらう。水面の月とか、飛び上がって月を食うとか」
 四宮の顔の赤みがだんだん増してくる。口元を歪めて、
「今お前俺のこと馬鹿だと思っただろう」
「漏れてたか」
「ダダ漏れだ」
 口元を引き締める四宮が怯えるように朽木を見上げている。かわいいと言えなくもない。しかし男に感じる感情じゃないよな、と朽木は自分の好意を心の奥深くに沈めておく。
「朽木は虫取り網で月を捕まえる係な」
「勝手に係を作るな」
「じゃ口のなかに月を入れてポーズ取って」
「めんどくせえ」
 なんで、と四宮はつぶらな目で朽木を見上げる。こいつはこの目で周囲の人間を自分の思い通りにしてきたのだろうと思う。泣きわめくことで母親の愛情をもらう子供のように。
 俺のそばにいて、とチワワが全身で訴えている。その波動にイライラする。
 チャイムが鳴って、授業が終わった。それぞれ次の教室へ散っていく人波に動かされて、朽木も立ち上がる。
 そのシャツの裾を四宮が掴む。
「月に向かってジャンプしてくれる?」
 こいつが本当にチワワだったらここでぷるぷる震えているだろうな、と思う。
「しない」
 言い捨ててバッグを取ると、朽木はひとりで教室を出て行った。
 四宮がここまで朽木に執着するのは、朽木が自分の思い通りにならない人間だからだ。
 心おきなく周囲を振り回してきた人間が、朽木に虐げられ振り回されるのが楽しいからだ。
 自分のために世界が回っていると思っていた子供が初めて気づいた、悪魔の存在。それが自分だ。
 朽木が否定し続けなければ、四宮はあっという間に自分に興味を失うだろう。
「俺はアトラクションか」
 自分の言葉に気分が悪くなる。
 朽木は教官室の掲示板に張り出された講義の予定表を眺めながら、次に四宮に会う講義の日時を確認した。

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