49/100 手と手の距離

文字書きさんに100のお題 034:手を繋ぐ

手と手の距離

 この話は、「14/100 最後の選択」のつづきです。

 十二月の放課後、芹沢楓と駅で別れたあと、冬木整は教会へ向かうバスに乗った。
 楓とは偽装で付き合っていたが、自分と付き合っていることにしているあいだ楓が何をしているのか、整は知らなかった。
 ――冬木くん、ホモなんでしょ?
 核心を衝いてきた楓の言葉を思い出す。楓は家を空ける口実が必要だと整に言った。整は楓と付き合うおかげで同性愛者であるという噂を払拭できる。楓は親に内緒で行動する時間ができる。そういう取り引きだった。
 しかし、楓は自分と別れたあと何をしているのだろう。偽装する理由を聞いたほうがいいと牧師の麻生敏幸には言われた。牧師を思い出すと、整の心はすこし晴れやかになる。牧師は自分以外で初めて見つけたゲイの男性だった。
 ――僕は君の仲間です。
 自分の告白を聞いて、牧師も自分の秘密を打ち明けてくれた。牧師のことを考えると、心臓がコトンと跳ねて、身体の奥で血が熱く巡り出す。
 クリスマスの電飾で彩られた桜の並木道をバスが走っていく。いつもは何か牧師のところへ行く口実をひねり出さなくてはならないが、今日は嬉しい。教会へ行く口実がある。

 最近は夕方になるとすぐに日が暮れる。整が教会へ着いたときの空は真っ暗で、教会のガラス扉の向こうから温かい光が洩れていた。
 教会の内部へ入る。降誕祭の準備をする信徒や子供たちがにぎやかに劇の書き割りを作っていた。ペンキの匂いが充満する教会を出て、牧師館のほうへ足を進める。
 牧師は牧師館にいた。紺色のアランセーターを着たすらりと背の高い牧師の姿に、整は水鳥のようだと思う。
「クリスマスのリースを取りに来ました」
「準備はできているよ。ちょっと待ってて」
 牧師は部屋の奥からリースの入った紙袋を持ってくると、整に手渡した。
「二三日前、市内で君を見たよ」
 牧師は黒いフレームの眼鏡越しに整に微笑みかける。
「女の子と手を繋いで歩いていた。恋人というよりも、姉弟みたいだったな。あれが芹沢さん?」
 楓といるところを牧師に見られていたと知って、整は戸惑いを抑えた。何か自分が悪いことをしているような気分になった。
「そうです」
「女の子といるときは、もっと楽しそうにしたほうがいいよ」
 自分が楓といても、牧師は何も感じないのだ。整は胸に焦げるような感覚を覚えて、胸元を押さえた。
「好きでもない人と手を繋いでも、楽しくないです」
「でも君は芹沢さんと付き合っているんだから」
 牧師は楓との付き合いが偽装だと知りながら、整をたしなめるようなことを言う。
「……先生といっしょだったら、もっと楽しいです」
 本音が口をついて出た。整は自分の言葉に顔を赤くした。後悔しても、言葉は口には戻らない。
 牧師は軽やかな笑い声をあげると、整のくせっ毛をぐしゃぐしゃと掻き回した。
「君みたいな若い子を侍らせたらきっと楽しいだろうね」
「先生だってまだ若いじゃないですか」
「僕はもう三十近いですから。まだ十代の君とは違う」
 整の頭に手を置いたまま、牧師はすっきりした唇の笑みを深めた。
「手を繋ぐだけで楽しかったころは、遠い昔なんです」
 牧師館の扉が開いて、女の子が牧師を呼ぶ声がした。牧師が女の子と連れ立って牧師館を出て行く。
 以前牧師に恋人がいるかと聞いたことを思い出す。
 ――いたよ。結婚したけどね。
 牧師を捨てて結婚したという牧師の恋人に、整はどす黒い感情を覚えた。
 自分だったら、牧師を捨てて結婚なんてしないのに。
 だから牧師は東京を捨ててこの町に来たのだろうか。
 いままでの自分をすべて捨てて。
 牧師と同じ町に生まれたかった。同じ歳に生まれたかった。
 でも自分は牧師と十二歳離れた、たんなる日曜学校の生徒に過ぎないのだと、整はリースの袋を提げた肩を落としながら牧師館を出て行った。

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