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belongingとリーダーシップ開発授業

ワシントン州立大(University of Washingtonとはまた別)の全学プログラムの人たちの発表を聞きました.リーダーシップ授業をとっている学生がそこを居場所(の一つ)を考えること(belonging)が重要であると力説して,居場所と感じてくれる学生を増やすために大小さまざまな介入のしかたを整理していました.大きいほうでは,クラスを少人数したり双方向に運営すること,小さいほうでは,授業中に,出身州や出身国の同じ人で集まってちょっと話すとかでもbelongingを促すし,さらに軽微なものとしてはその日に同色系のトップスを来ている人で集まるのですら教室を温めるのには有効という話があって,これらはアイスブレーキングとしてはよく使われる手法ですが,belongingという意味なのかと納得しました. 確かに立教でも早稲田でもリーダーシッププログラムの授業を「居場所」と認識する学生は少なくなく,学期が終わってからも後輩の授業を見に来たり手伝ってくれたりする人がいつも居ます.そしてこれは,学部で展開するのでなく全学対象の場合(立教GLPとか早稲田LDP)に特に観察しやすく(現象として識別が容易に)なります.ここで興味深いのは,リーダーシップ授業はbelongingを提供しやすいということだけなのか,それともさらに進んで,リーダーシップ授業にはbelongingが効果的なので教員も意識的にそれを促進するような介入を行うべきなのかということです.私は両方YESだと思います.というのは,リーダーシップの習得には自己開示とフィードバックが不可欠なので,それを促すような環境といえばbelongしている場所のほうが良いと思われるからです. ところで,大人数授業ばかりの大学で,学部のゼミが唯一belongingを提供する役目を果たしていることも多いと思います.その意味ではゼミは重要になりうるのですが,ゼミの問題点は,せっかく学生がbelongしている意識になってくれたのにそれをいっそうの学習のために意識的には活用されていないことがどうやらとても多くて,学生がbeloningを感じていること自体が目的になっていることすらあることです.学生がせっかくbelongしてくれたのなら,安心してフィードバックを交換できる場に誘導することくらいはしないともったいないです.ただそれには教員が自ら学生からのフィードバックを重視することについて率先垂範する必要があります.実はこれは職場でも同じで,「学習する組織」を作るためのリーダーシップと言えるでしょう.

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