牛すき丼を食べた日
吉野家の牛丼が好きで長く食べている。
大好きでたまらないというわけではないのだが時々食べたくなる味である。
その味には思い出も詰まっている。
ここにも書いたことがあるが、まだインターネットなんて影も形もないのんびりした時代だった。大学四年の晩夏、夏合宿を終えて下宿に帰って来たが疲れ切って何もする気は起らない。でも腹がへった。その特にふと思い出したリクルート社から送られてきた昼寝の枕代わりにしていた就職案内のぶ厚い冊子だった。各社の案内に付いているハガキを送って私たちは就職試験を受けに行ったのである。その時の株式会社吉野家の求人案内には牛丼、みそ汁、漬物の無料券が付いていた。合宿で持ち金を使い切り、スッカラカンの私はそれを千切って吉野家に行ったのである。その時の牛丼の美味さと吉野家への感謝の気持ちは忘れることは無い。それからずっと吉野家のファンなのである。その後何度か自分で牛丼、豚丼を試作したがあの味には到達しない。永遠の憧れの先輩のようであり、永遠に慕い続ける片思いの女のようである。
そもそもご飯の上に何かが乗っかっている料理が好きなのである。中華料理で言うなら会飯(ホイハン)、中華丼や天津飯、麻婆豆腐が乗っかっているのも好きである。和食ならば丼、天丼、かつ丼、子どもの頃は不味いと思っていた鰻丼も好きである。郷里豊橋は浜名湖の近接、近所の同級生ハルチンの家は養鰻業者、母に千円札一枚を手渡され目の前で一番デカい鰻を捌いてもらい串に打ってもらって持って帰った。それを母がいつもメザシを焼いてた網で焼き、母の即席のタレで食べた。だから、美味いはずがなかった。洋食で言えばやはりカレーであろう。顔の色が変わってもおかしくないほどこれまでカレーは自分でも作って食べて来た。
近鉄八尾駅高架下の吉野家がリニューアルオープンしたと聞き行ってみた。耐震補強工事を長くしていた。老朽化したインフラ、トンネルや橋が日本全国に7,000カ所とNHKが報じていた。朽ちかけたインフラはトンネルや橋ばかりではないであろう。鉄道・道路もそうであり、私たちの生活基盤を成り立たせている水道・ガス・電気を供給する網は人間で言えば高齢・疲労の末に動脈硬化を起こしている。国は予算を取ってコンクリートの構築物、学校など公共の建築物の耐震補強も進めてきたが、防衛費などの予算増を考えるならば、思い切って建替えて地下にシェルターを設けたり自然災害を含めた非常時に安心して避難できる堅牢堅固な施設にすべきだと思う。そこで私たちの税金を潤沢に使って経済を回し、活性化させて欲しいものである。
などと改修後の店内を眺めつつ菊地正夫さんの記事を思い出し、気がつけば初めての『牛すき丼』を注文していた。そして、牛すき丼を食べながらいろんなことを思い出していた。
食べ物と思い出、『食』と『記憶』はセットなのである。
それは私ばかりの事ではないと思う。