ツバメが運ぶしあわせ
私の勤務先の最寄り駅、駅舎に巣作りしたツバメ、子たちは成長し、今にも羽ばたかんとしている。
この写真を見ながら話をしていると「つばめは幸運を運んでくれるんですよ」と教えてくれる人がいた。
ずっと忘れていた子どもの頃母が読み聞かせてくれたであろう『幸福な王子』を私は思い出していた。
王子の像はある街に立っていて、街を見渡し生活に困っている人々を見て心を痛めていた。
南の国エジプトに渡る予定のツバメがその旅の途中に王子の像で休憩をしたことから物語は始まった。
細かい内容は憶えていないが、王子は困った人たちに自分の身体を飾るルビーやサファイア、そして金箔をはがして分け与えてしまう。
その運び屋がツバメである。
サファイアの目玉をはがして目が無くなってしまった王子を粋に感じ、ツバメはエジプトへ渡るのをやめてしまい、王子の目となり街の情報を集めることもする。
そしてその作業の終わった頃には寒い冬がやって来てツバメは王子のもとで幸せを感じて死んでいく。
その後、心無い街の人々に王子はツバメとともに燃やされてしまう。
でも燃えずに鉛の心臓とツバメは形をこの世に残し、天使に運ばれ天国に行くのである。
作者オスカー・ワイルドは人間の無知と利己、そして愚かさを言いたかったのかも知れないが、今日私が思ったのは母が子を思う心、母性であった。
障がい者の施設で働くようになって知った日本の人口における障がい者の割合である『7%代』は私にはショックだった。
多さに驚いた。
全てに当てはまるわけではなかろうが、その7%には母がいて父がいて家族がいる。
どれだけ多くの方々がそうあることを望まずに生まれ出てきた命に心を痛めていることか。
この王子がお母さんに思えたのである。
できるものなら代ってやりたい。
はがせるものならこの身のすべてをはがしてこの子にやって欲しいとどのお母さんも思っているに違いない。
でも、知ってもらいたい、7%はそれなりに生きていける。
私は認知症になった母と付き合う中で、ある時期から「母がまともだったら、どう判断するだろうか」でいろんなことを決めたり踏ん切りをつけてきた。
冷たい息子だと思う周りもいたに違いない。
母が子を思うように子も母を思う、子も母の不幸を喜びはしない。
行きつくところはそこしかない。
最後まで面倒を看れる親はいないんだから子の可能性に賭けるべきだと思う。
きっと大丈夫ですよ、あなたたちの子なんだから。
これが六十年間、望まぬ障がいを持ち続けた兄との付き合いで思ったこと、十数年間アルツハイマーで苦しんだ母と付き合って思ったことです。
幸福な王子はいません。
いるとすればそれはあなたの子どもに違いありません。