小松菜の夜に考えた
最近、晩メシは家で食べることが多い。どうも、生活の波やクセのようなものがあるらしい。夜に飲み歩き出すと毎晩それが続く。
向かぬ営業をやっていた頃は毎朝が二日酔いだった。付き合いが多かったのもあるが、一人彷徨うことも多かった。と、考えるとストレスの燃焼だったのかとも思う。
一昨夜、そしてその前夜、小松菜を食べた。特に大好きというわけじゃないが、嫌いじゃない。一昨夜の前夜に夕方スーパーに行くと毎日変わることなく野菜が高かった。一玉400円の愛知県産のキャベツにはどうも手が出ない。新しい生姜が入っていて一袋98円だった。まずは生姜をカゴに放り入れ、さて何を食うかと考えた。三尾108円のイワシを見つけ「早いもん勝ち!」のシールに心は奪われて二つカゴに投入。もう一度野菜コーナーに戻り小松菜に目が行った。同じ福岡産の二種類があった。たぶんどちらも当日入荷された物だった。でも、片方が色の濃い緑であって、もう片方のは元気なく見える黄緑に近い。同じ一パック138円、売れていくのは濃い緑であって、黄緑はたくさん残っていた。私もよく会うおばあちゃんに「兄さん、こっちがいいよ」と背を押され、濃い緑のを家に連れて帰った。
一昨日は雨の降り出す直前の帰りがけにスーパーに寄った。そこで私を待っていたのは前日私の後ろ髪を引いていた黄緑の小松菜だったのである。雨降り前で値引きされ一パック98円になっていた。二パックカゴに放り入れ、ついでに角のハイボールも放り入れて急いで帰宅したのであった。そのあとかなりの雨が大阪でも降った。角のハイボールを飲みながら流水でザブザブ洗った小松菜をゴマ酢で和えた。前日は豚コマと炒めた。火を通せばどちらも変わらぬ濃い緑に変身していた。
仕事を終え、家に帰ってメシの仕度をして食事ができることを幸せだと思い、こんな日が来るとは想像もできなかった過去がある。子を産み、子育てをし、毎日こんなことをやって来た母や、世のお母さん方には頭が下がるばかりである。
自分でやってみて初めて頭が下がるのである。
食育ってのは育ちいく子どもに対してのみ行われるものではなく、生涯を通して行うものであるべきじゃないかと思うのである。
「食」がすべてとは思わないが、食育は人格形成をなす大きな柱の一本として死ぬまで続くんじゃないのかな、と思うのである。人に感謝する気持ちや、食は人を裏切らず嘘をつくことの無いことを私たちに教えてくれ、日々をお天道様のもと胸を張って生きることができるようになるのである。
終身雇用は消滅し、年功序列が無くなって一本柱が無くなったような気がする。実力主義は理解もするが、私は人生の先輩を大切にしてきたし、これからもそうするだろう。
嘘は突き通せば本当になる。良き嘘ばかりか悪い嘘でもそうである。そんな噂話ばかりが流布されて皆が興味本位で時間を費やす、なんとも幸せな日本であることを私は胸を張って公言はできない。
しばらくインターネットのつながらない小松菜山にでも籠って晴耕雨読の世界に浸りたいのである。