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ラスコーの壁画

 ラスコーの壁画が「コズミック フロント 記号(BS NHK)」で放送されていた。ラスコーの壁画については、学校で学んだ程度には知っているが、番組ではバイソンなどの動物の壁画のほかに、謎の記号が描かれてあるという。カナダの女性研究者が発見し、他の洞窟でも同じように発見されたという。その謎の記号の数は32種類で、どうも洞窟周辺の風景や地図らしきものも描かれてあるらしい。
 
 ラスコーの壁画は、現在わたくしたちが見ても感心するほどの描写であり、どのような人々が描いたのか想像を掻き立てる。壁画に関して説明の多くは、現在のわたしたちの日常的に絵を描く行為から類推されていたものが見受けられるが、ラスコーの壁画などの原初的な行為の説明にはいささか説得力に欠けるような気がする。素人の推理では幼児のようにその場所に降り立つというところから始めるほうが近道のように思われる。
 
 壁の凸凹がバイソンの形に似ていたので描いたのではなく、バイソンそのものがそこに蠢(うごめ)いているのが彼らの眼には見え、それをなぞって描いたというほうがラスコーの壁画などではないかと推測される。現代の音楽や絵画、文学などで語られる表現(者)という主体者の視点は、近代になってからの視点であり、原初的な地点からは遥かな時間が経過し、つい最近のものである。
 
〝洞窟感覚〟で紡ぐ物語
 村上さんは授賞式が行われたイタリア北西部のアルバで「洞窟の中の小さなかがり火」と題して講演した。共同通信の報道によると、この中で、彼は「小説―すなわち物語を語るこーの起源ははるか昔、人間が洞窟に住んでいた古代までさかのぼります」と述べ、「物語」の根源的な普遍性について語っている。以下、要約しつつ共同通信の記事を引用する。
 その昔、太陽が沈むと人々は危険な暗闇を避けて洞窟に隠れ、長い夜を過ごした。そこでは水さな火が燃えていて、誰かが物語を語り始める。
 
 物語は、恐怖や空腹をたとえ一時的であるにせよ忘れさせてくれます。語り手はみんなの反応を見ながら、少しずつ物語の流れを変えていく。(中略)恐らく、世界中の洞窟で同じことが行われていたのでしょう。
 
 それから長い時を経て、小説という表現が生まれ、今ではデジタル画面で小説が読まれるようこなった。
 
 しかし、そこで語られている物語は、本質的には洞窟の火の周りで語られた物語と同じ成り立ちのものです。私たち小説家は、洞窟の語り手の子孫なのです。
村上春樹をめぐるメモらんだむ2019~2021 大井浩一
 
 想像するに原初の人々は、洞窟の中で「小さな火が燃えていて」その光が洞窟の壁に影をつくり、火の揺らぎに誘発されるかのようにバイソンや動物が蠢いていたのだろう。幻覚や幻想であるといえば、そうともいえるが、驚きなのは、人々がすでに幻覚や幻想を見るまでの能力を有していたということである。おそらく死者という観念も持ち合わしていたのだろう。見えないものを見る能力、それによって人間が人間になった分岐点であり、飛躍である。
 
ラスコーの壁画についてのノート
「最古の文字なのか?」女性人類学者ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガ
はじめに 太古の人類が残した記号
第一章 何のために印をつけたのか?
第二章 人類のはるか以前に道具を使った者たち
第三章 死者をいたむ気持ちの芽生え
第四章 言葉はいつ生まれたのか?
第五章 音楽の始まり
第六章 半人半獣像とヴィーナス像
第七章 農耕以前に布を織っていた
第八章 洞窟壁画をいかに描いたか?
第九章 欧州大陸に到達以前から描いていた
第十章 唯一の人物画
第十一章 遠く離れた洞窟に残される共通の記号
第十二章 それは文字なのか?
第十三章 一万六千年前の女性の首飾りに残された記号群
第十四章 壁画は野外にも残されていた
第十五章 最古の地図か?
第十六章 トランス状態で見える図形なのか?
おわりに データベースを世界の遺跡に広げる
 
情報化・同一化の欲望
 これについては古くから人類学ではかなりはっきりわかっていて、いわゆるホモ・サピエンス・サピエンス、新人の能力です。おそらく、それ以前の人類から一番区別できることは感覚から離陸してしまったということでしょう。感覚から離陸すると独自のものをつくり出します。しかも直接的な感覚から離陸しないとラスコーの壁画は描けません。なぜなら絵と現物は違うからです。絵に描いてあるものがバッファローだと了解できなくてはいけません。バッファローと絵を交換できる、同じとみなす必要があります。その初歩的能力は、確かに動物にもあります。しかし、赤色で書いた「青」という字を「青」と読むなんてことは人間にしかできません。それは結局「あなた色なんて無視してるでしよ?」ということなのです。
「神は詳細に宿る」養老孟司
 
物そっくりのエネルギー 
 芸術の中でも音や言語は痕跡が残らないので絵ということになるが、いわゆる原始時代のアルタミラやその他の洞窟画である。あれは呪術的な要因によるものと思われる。人類が夜は暇だから描いたということもあるだろうが、それはやはり敵であり食料である動物たちをイメージするために描いたのだろう。そこに関わる呪術的な要素というのは、自分たちの安全と勝利へ向けての生産性をもっている。しかしイメージするための描写となると、いわば現実に対するときの練習、当時のことでいうと狩猟のシミュレーションみたいなことにもなるわけで、それが肥大して芸術となる要素を含む。
 しかしそれより古いものとして、平面上の映像まで至らないただのオートマチズムのような線の跡が残されてあるという。粘土質の壁に人類の指の先がぐにゃぐにゃと子供のイタズラみたいに残っているのだ。それが人類最古の文化的痕跡らしい。
 研究家によると、それは壁面の影をなぞったものではないかという。すでに火を持っていえ人類が洞窟の中でそれをともすと、壁面に不定形な影ができる。それがあるときふとマンモスの首に似ていたりして、それをなぞるようにして指を這わせたのがその粘土質の壁の痕跡ではないかという。
 つまり現実の練習というか、その影に「本物そっくり」の価値というものをはじめて意識したわけで、その前に昼間の地面に映る影を見ていた基礎があるのだろう。
 つまりそれは本物に代わるイメージの肥大であって、芸術が、本物そっくりの影を作ろう、演じようとするところからはじまっているのは、不思議なことだ。
「芸術原論」赤瀬川原平
 
 ちょっと余談になるが、なぜ村上春樹はノーベル文学賞を受賞できないか、不思議に思っていた。ある時、ノーベル文学賞を決定する評議委員(?)の女性の方が「村上春樹の文学は、文学ではない」と語っていていたのをテレビか何かで聞いたことがある。素人なので「文学」という定義そのものが理解できず、そういうものなのかとその場をやり過ごしたが、でもなぜ村上春樹の作品は世界の人々に読まれているのだろうか、という素朴な疑問は残った。あくまで私見になるが、西洋的な文学概念では文学とよべなくとも、物語を紡ぐ人であるには変わりない。同様に音楽や絵画、自然、人間、建築などについても同様なことが起きており、それに関連するノートである。
 
ヴァーチャル奉祝記事 内田樹
 村上文学の世界性をかたちづくっている要素は何か。私はそれをある種の「神話性」だと思っている。
 人類すべてに共通する物語がある。「昼と夜」とか、「男と女」とか、「神と悪魔」とかいうのはそのような「世界に秩序を与えるための物語」である。それらの物語が語られたことによって、世界は分節され、整序され、有意化され、いまあるようなものになった。もしそれらの物語が語られなかった場合に世界がどのような相貌を示すことになったのか、私たちは想像することができない。「夜のない昼」とか「いまだ性化されていない世界における女性」というようなものを私たちは思い描くことができない。すでに物語的に分節された世界に産み落とされた私たち人間は「分節される以前の世界」には遡ることができないのである。
 けれども、ある種の人々は世界が分節され、有意化され、今あるようなものになったその生成の瞬間に切迫したいという法外な野心をもつことがある。根源的に思考する自然科学者や哲学者たちがそうだ。彼らは宇宙の理法や存在の彼方について(えら呼吸しかできない魚が空気中に身を乗り出すように)許容された棲息条件を踏み超えてまでも思考しようとする。同じように、作家たちの中にも物語がいかなる作為も予断もなしに純粋状態で流出してくるその瞬間に-つまり世界が意味をもって顕現してくるその瞬間に-立ち会うことを切望する人々がいる。
 
 この作家が「私たちはなぜ物語を必要としているのか」という根源的な、ほとんど太古的な問いをまっすぐに引き受けているからである。人間が人間であるためには物語が語られなければならない。このことを村上春樹ほど真率に信じている作家は稀有である。
 
日本の古典 内田樹×安田登
 まず無意識のうちに身体に刷り込まれている「工学的イメージ」を全部消去する必要がある。そういう近代的な構造物のイメージを払拭したあとにようやく何か別のものが見えてくる気がして…。
 
 「分かる」は「分ける」です。僕たちは分からないことは不安なので、「ああ、これはこうね」と自分の知っているどれかの範疇に分けて、解決したくなります。…とかく僕らは「分かること」を中心に世界を理解しようとするクセがありますが、これは無数にある世界の理解の仕方の一つにすぎず、「分からない」という理解の仕方もあるということも大事なのです。
 
 今までの日本文化は何かということを考えなきゃいけないんじゃないかといろいろ考えていたのですが、…世阿弥のいう「ものまね」というのが日本文化の一つの特徴ではないかと思ったんです。
 
 何より有用なのは他者の心身の同期する能力です。それによって「共身体」を形成する。「共身体」というのは僕の造語ですけれど、複数の人間たちの身体が、一個の多細胞生物のように癒合したかたちのものをイメージしています。
 
 「個人」とか「自我」とか「主体性」とかいう邪魔なものをどうやって消すのかがプログラムの目標なわけで…
 
 被感染力というのは、言い換えると「憑依される能力」のことですけれど、そういうことって、人間以外の生物にはできない。だったら、他の動物にはなくて、人間たけに豊かに備わっている「人間的な本能」なるものがもしあるとしたら、それは個人を超えて、集団として生きることができるという点だと思う。
 
おもかげとしての型
類似者の再帰
世阿弥が観阿弥の口述を記録し編集した芸能論『風姿花伝』
型を学ぶことが重視「物学条条」
学(まな)ぶはもともと真似(まね)ぶ
稽古 古(いにしえ)を稽(かむがへ)る
 師の舞も謡いも決して完全に同じものを反復できているわけではありません。舞も謡いもその都度わずかながら変化するはずです。それでも弟子はそこに師の舞、謡いの型=おもかげを見、それを体得していく。
 
 われわれはその都度かならずしも同一ではない師の表出する形象を不断の反復と接触とによってひとつの形として肌を通じて肉体の奥深くに体得していくのである。
向井周太郎「原像の崩壊」『デザインの原像―かたちの詩学2』
 
私の知らないことに満ちた「私」
 西洋で「私」という場合、それは私の「自我」とほぼ同義です。西洋の「私」は、他者とは明確に区別された、固定的なものとして捉えられています。一方、日本人にとっての「私」は、自他が浸透し合った、流動的なものではないかと著者は指摘します。
 
 個性は一定・不変ではありません。西洋ではこれを、自らの努力で形成しようとします。今の自分にないものや自分とは対立するものを取り入れ、統合して、豊かなものにしていくのが西洋でいうところの「個性化」です。
 しかし日本人の場合は、形成するというよりも「発見する」に近いといいます。自分でも気づかないうちに、自分の中の「無力」的要素が動きだし、「自然」といわれるように、独自性の自然発生を「驚きつつ味わう」のであって、自分の意志と力で個性をつくり上げるという感じではない、ということです。
河合隼雄 100分de名著

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