見出し画像

伊東豊雄 「最後の講義」

 結構、親しくおつきあいさせていただいている建築関係の方といつものお寿司屋さんで歓談しているとき、どういう経緯だったのか、伊東豊雄さんの「せんだいメディアテーク」のお話になった。お話をするのにも簡単なラフスケッチを描くにも用紙もなく、話せば際限がなさそうな気がして、後日建築家という人たちは、どんなことを考えているか、ノートから引きずり出してお送りした。
 それから一か月もたたない頃、伊東豊雄「最後の講義」がNHKeテレで放送されるのを知り、先日の方に、興味があればご覧になってみてはいかがですかと連絡をとった。直接、触れることがお送りしたノートより理解が及ぶのではないだろうかと思ったからである。
 熱心に伊東さんの建築を追いかけてきたというわけではないが、「八代市立博物館」でコルビジェなどの近代建築にいったん整理をつけ、「せんだいメディアテーク」で新たな建築を試行し始めていると当時を振り返ると感覚的にとらえていたように思う。いささか傲慢だが、「せんだいメディアテーク」のプレゼの図面を見たとき、私の力量ではおよびもつかない建築だったが、時間をかけ丁寧に向き合っていけば、いつしか言葉にできるようになると思えたことを今でも覚えている。
 そんな経験もあり、時々に書き留めた備忘のためのノートである。出所不明なものや、いつものように建築以外にも寄り道をしているが、おそらくそのようにして、私なりに納得し、言葉にしようとしているのだろう。
 
裏返しの<中野本町の家> 伊東豊雄
 <下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館>の設計が、ほぼ完了した頃、藤森照信氏に模型の写真を見せたことがある。このプロジェクトが指名のコンペディションで、その企画に関して彼にアドバイスしてもらっていたからである。
 模型写真を見るなり、藤森氏は「こりゃ裏返しの中野本町だね」と言った。中野本町とは、私の初期の住宅<中野本町の家(ホワイトU)>のことでる。
 それまで全く意識していなかったのだが。言われてみると確かによく似ていた。<中野本町>の片流れの天井が降りてきて回り込み、壁に連なっていく内部の断面は<諏訪湖>のアルミ張りの外形を想像させた。平面的に大きく湾曲していく様も同様であった。後に内部をCADで描いてみると<中野本町>のインテリアと見紛うほどであった。藤森氏の瞬間的な印象を言葉に置き換える才能の冴えに改めて驚いた記憶がある。
 <中野本町の家>を設計したのは17年も前のことである。しかもこの17年間、私はこの住宅を出発点にして、いかにこの住宅から離れられるかを考え続けたつもりであった。この空間のもつ強い閉鎖性や完結性は閉じた世界、コスモロジーの表現そのものだからである。
 
 <下諏訪>のプロジェクトでは、<中野本町>とは逆に、圧倒的に外部空間に大きな意味が与えられている。まさしく藤森氏の指摘するとおりである。何故ならこの博物館の置かれる環境に対していかにこの建築を積極的に位置づけかは大きなテーマに思われたからである。
 
 こうして生じた方向性はエレベーションによってさらに強められる。外側の大きなコンクリートの壁面は、高さ方向においても中央付近で盛り上がり、」先端方向へ向かって緩やかに下降する。逆方向では下降はごくわずかにとどめられる。かくして空間は平面方向でもまた立面方向でも重心を偏りを生じて、強く流動しはじめる。
 
 したがって<下諏訪>の建築は、博物館という直接的な昨日からは物理的に閉じられた空間を要求されるけれども、船や山」というイメージの動き、すなわち博物館に付加されたもうひとつの社会的機能によって環境に開かれている。同様に空間の流動性をテーマとしながらも、このような環境に対る表情は大きく異なっている。「裏返された」ことの意味は、私にとって限りなく大きい。
 
モダニズムと異なる建築の進化 藤森照信
 昔、伊東さんが面白い話をしていたんです。大きく湾曲した面を考えると、その壁で隔てられる二つの空間が、カープの仕方だけで様相が反転すると。つまり、凹になっている側が内部だと感じられていたと思ったら、連続的に凸になると、いつの間にか外と感じられる。ボックス的なマッスの考え方ではなくて、もっと面の現れ方で相対的に空間が生まれるような見方をしているわけ。
 この発言を聞いて、伊東さんが空間の反転を考えていたことが判りました。それは「下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館」(一九九三年)で強く感じたんです。そこであらためて、一見インテリア的な「中野本町の家」(一九七六年)の内部は、外部に反転させていると思ったんです。そんなことをやった人はそれまでいなかった。そして、「せんだいメデイアテーク」(二〇〇一年)でさらに洗練させていきます。
 空間概念の基本として、伝統的な考え方として、内、外があります。モダニズムは、そこを等価に扱おうとする内外の一体化という空間概念を発明した。それは、日本の伝統建築から学んだことだと思う。まず、ライトが日本建築から学んで実践し、そのプロジェクトを「フランク・ロイズド・ライト作品集」(ヴァスムート社、一九一〇年)で見たグロピウスたちが、苦労の末に成功させていく。つまり、伊東さん以降の日本の建築家が考えている空間は、すぐれてモダニズムの本流に乗っている。一方、ゲーリーの建築的テーマは、近代的な空間性にはないわけです。
 内と外の一体化が生まれた後、伊東さんによって内と外の反転が行われる。そして、「せんだい」で、内なのか外なのか判らない、「虚の空間」が生まれました。具体的に言えば、「せんだい」のチュープ柱。あのチュープが内なのか、外なのかという話です。
 
意識的に考えたモノにローカリティはない 藤森照信
 冬場には湖面が凍るので、スケートなどで遊んでいたらしい。だから、伊東さんは絶対音感と同じような「絶対水平感」を持っているんだと思いました。
 
 「オレの水面はグルッと山で囲われていて、それが背中まで回り込んで閉じているんだ」と。これこそ、伊東建築の原点だと思いました。
 
 だから、建築をつくるということは「自分の無意識の中に溜まっているものを、どこまで外化できるのか?」の勝負だとも言えますね。
 
惑わされずに見る 藤森輝信
 「ジャコメッティの彫刻の人の足が、何であんなに身体の割合に対してデカイのか、ずっと気になっていたんだけど、今日の伊東さんの作品を見ていて、それは「祈り」に結び付いているんだと気付いて納得した。仏教でも仏足石があるように、足は「祈り」の形なんですね」
 
思想 五月号(2011年)岩波書店 
建築家の思想 伊東豊雄 山本理顕
 「寝るところは寝室だ」と別に決めなくても、人はどこだって寝られるし、日本の家はそうなっていたのです。暑い時は北の部屋で寝て、涼しくなれば南へ出てきて縁側で寝る、そういうゆるさがあった。
 
 「機能」というのは本当におかしなことを考えたものだな、と最近は思うようになりました。近代建築の機能主義は、ここは寝室、ここは台所、というように切り分けられた空間です。公共建築も機能で切り分けられて、これは学校、これは図書館、というように作られる。(中略)「槻能」とは違う概念があると思うんですよ。それは古い言葉で言えば「作法」というような言葉かもしれない。「作法」は特定の相手とのあいだで成り立つのだと思います。つまり、「作法」は常に相手との距離感を前提としています。(中略)建築は本来、作法のための空間なのです。一定の作法が成り立つためには、相手と同じ空間の中にいる、という意識が必要です。そういう空間を作るのが建築家の仕事なのだと思うのです。
 
付記 東日本大震災に想う 伊東豊雄
 三陸の漁村が一瞬にして津波に呑み込まれていく姿を見ながら、戦後六〇年近く築いてきた日本の近代とは何だったんだろうと思いました。江戸時代に津波によって村が消えたという話と全く同じ事態がくり返されたからです。
 
 今回の災害報道において度々「想定外」という言葉が聞かれます。「想定」とはk建築や土木構造物、機械等を設計するに際して定める「設計条件」です。地震にしても津波にしても、その震度や波の高さを設定し、その範囲内なら耐えられる安全性の基準です。
 このような条件設定をして設計することによって新幹線のように機能的で便利なシステムや高層建築物等が実現しました。私達がその恩恵を蒙ったことは否定できません。
 しかし福島原発の事故を見ていると、このような設計方法自体に大きな落し穴があると感じざるを得ません。今回の地震や津波が「想定外」、つまり設計条件を超えていたのは事実かもしれませんが、それだけでこれ程の危機的状況に陥ったとは思われません。土地や海や風など絶え間なく変化する自然環境との関係を断ち切って。「完結した機械」として設計したその機会主義的思考にこそ危機を招いた大きな要因があるように思われてなりません。条件さえ設定してしまえば、後は閉ざされた枠のなかでの要素の最適な組み合わせによって設計が完了してしまうという方法ほど危険なものはないと思います。
 こうした機械主義的方法の問題は、今日の建築の設計において日々痛感していることです。公共建築も住宅も、建築は自然なままの土地や風土との関係において存在しているのに、我々は数量可能な条件のみを定めて抽象的な枠組みのなかだけで設計行為を行ってしまっているのです。一見客観的、理性的に見えるけれども、人間不在の無味乾燥な人工環境ばりを営々と築いてきたので。
 建築は決して機械ではない、自然や社会との親密な関係の下で生きる人間の活動を視野に入れて息づいている環境の下で建築を考えない限り、人間にとって真に快適で安心できる建築は生まれないように思われます。
この際私達は「想定」の条件を見直すのではなく、「想定」という設計の方法自体を見直すべきなのです。
 今回の大地震は多くの人びとや家や車や道路などの土木構造物を呑み込んでしま居ました。しかしそれは近代の機械主義的思想まで吞み込んでしまったのではないでしょうか。
 2011年3月28日
 
現代的なプリミティヴさの実験 伊東豊雄 
人間は木の上か、洞窟で暮らしていた。いろんな建築家と話し合っても、みんなそこに行き当たります。
 
人間が海から地上にお目見えするとき
「鳥」になり、「人間」になり、「魚」となる
人間は「樹上」で暮らし、地上には弱い動物であり夜間行動をした    
地上に降りた「人間」は「洞窟」で暗闇と「火」を自由に操り暮らすようになったのではないか
 
「プリミティヴ」を意識した途端、「樹上」や「洞窟」に向かうものなんですね。
 
にほんの建築家 伊東豊雄・観察記 [著]瀧口範子 [掲載]2006年03月26日 [評者]鷲田清一
 個々人の情熱、企業の財務、行政との押し問答が複雑に絡まりあうその渦中に立ち、数日の出張でベネチア、ミラノ、パリ、あるいはバルセロナの建設現場や展覧会場を回り、帰国すればこんどは、日本地図を縦横斜めに切り裂くかのように事務所と現場と学校を飛び回る。そんな移動生活のなかで、ひとり、ずっと、だれも考えたことのない空間をあたまのなかで感じ、組み立て、しぶとく発酵させている……。かくも頑固で緻密(ちみつ)、それでいてじつにノンシャラン(力が抜けて無頓着なのだがどこか物憂げ)な男。本書は、建築の最前線で爪先(つまさき)だっている男の、言ってみれば密着取材記である。
 70年代は、広間が白く円弧に続く「中野本町の家」、80年代は、内/外の境を溶解させた半透明な「シルバーハット」というふうに、都市と消費社会の変容に真正面から向きあってきたこの建築家は、いま、柱ではなく外壁に構造の役を担わせる布のような建築(たとえば「トッズ表参道ビル」)、あるいは内と外が反転するチューブのような建築(ゲント市文化フォーラム・プラン)にはまっている。「道を究める」のが嫌い、「茶碗(ちゃわん)をなでるように、洗練させていくだけのような建築のアプローチは嫌いだ」と言い切る伊東らしい、大きな旋回である。
 その伊東に密着して、事務所での議論、施主との対話、講演や授業をつぶさに観察したのは瀧口範子。細胞が増殖するかのようなうねる曲線だらけのスケッチをのぞき込み、会話の端々に注意し、顔面に走る微細な異変を鋭くキャッチし、ポップとシックをきわどいところで両立させるその服装をぬかりなく報告し……というふうに、伊東の建築とおなじくディテールにこだわりながら、それでいて彼がいま建築のどんな問題にぶつかり、どんな刃を研いでいるかを、距離を置いて思想的にきちんととらえる。
 とんでもないことを考えつく、だれも即座についていけない、激しい怒りがいつ発火するかわからない、そんな緊張感と、ただ居眠りしているだけともみえるポーカーフェース。瀧口はこの静かな革命家の肖像をスリリングに描ききった。
 
現代建築の屋根 伊東豊雄 *1
現代のコスモロジーを表現する屋根
結局は「無菌室の中に人間を住まわせる強制」を行っていたのかもしれません。
それは、ナチスが主張していた、純血主義の危険性にも通じます。集合住宅を考えるにしても、一望監視を前提にした全体主義的な空間を、ついつい提案してしまいかねない。それは、本当に凍るような美しい世界ですからね。
 
かつて「屋根をつくる」という行為は、コスモロジー(=集落や家族)の表現は直結していたと思うのです。
ところが、モダニズム的な思考では、「もはや、コスモロジーは存在し得ない」という捉え方が前提になりました。
 
設計のプロセス 伊東豊雄 *2
「何重もの入れ子状の世界」
 
近代建築は時間を凍結する空間を目指している部分もあるから、より自然とのギヤップが大きくなりますね。
 
現代建築の境界面 伊東豊雄 *3
ニューヨークに行くと、鉄とガラスで覆われたビルの外壁から、街の喧噪がキンキンと反射してくる感じがして、落ち着きませんでした。
 
ぼくには、吸音的な街の方が身体に合うのです。
都市の印象を形づくるものとして、未だに「音」が大きな比重を占めています。アルミという金属は光の反射が鈍いと同時に、「鋭角的に反射する音」も感じません。
*1・*2・*3はGA JAPANより
 
■補足資料
考える身体 三浦雅士
内と外の反転
 身体は芸術において失われただけではない。いまやメディアの先端において抹消されているように見える。人は、身体を飛び越して、他人の頭蓋にじかに接しているようにさえ見えるのである。そこでは、まるで内が外になり外が内になっているようだ。
 けれど、内が外になり外が内になるというこのトポロジカルな反転そのものが、かつて人間がその身体を介して行なった複雑微妙な反転の劇、他者に住み込むことによって自己を獲得するという反転の劇に酷似しているのである。
 
内面とはすなわち外部
 ヨーロッパと日本では、身体についての考え方が根本的に違うと言うべきだろう。身体観、さらに言えば自然観が違うのである。
老いは身体の自然である。自然を操作し支配しようとする姿勢と、逆に、おのずから生成消滅する自然の声に謙虚に耳を傾ける姿勢との違いが、老いをめぐる考え方にもそのまま反映しているように思われる。
 
 日本人の身体の急激な変化の背景にあるのが、このイデオロギーである。のびのびとした自然な身体こそもっとも素晴らしいというイデオロギー。 
 
 頭脳で記憶していたというよりは身体で記憶していたのだ。その身体が、夏の暑さの去らぬある日、風の思いがけない爽やかさに触れて、ひとつの意味としてこの歌を蘇らせたのである。
 
 意識は内側からやってくるというよりは、身体と環境からやってくるというのである。
 
 人は手足の痛みも心の痛みもはじめから同根のものとして習っているのだということになるだろう。体得するに多少の早い遅いがあっても同じことだ。その体得を内面化という言葉で表すならば、内面とはすなわち外部にほかならないのである。
 
孤独の発明 三浦雅士
 ほんとうは、身体が外部なのではない。自己という現象のほうが外部なのだ。にもかかわらず、人間は逆に考えるのである。
 
私という現象 三浦雅士
 人は誰でも、自分が何者であるかをいいきかせながら、ということはすなわち何らかの「役割」を引き受けながら、この世を生きてゆくほかない存在である。
 
 死の観念の発生と物語の発生とはおそらく一致している。自己を対象化したとき人は死の観念を引き寄せている。逆にいえば死の観念は自己を対象化せずにはおかない。対象化するということは自己の像を自己の外にもつということであり、心のなかに自己の姿を描きだせるということである。
 
 物語るときには、どうしても時間がいる。なぜなら、物語とは時を区切り、区切られた時をつなげる行為だからである。
 
 母がまず子の身になって、子の身になったその母の身になった子が、私という現象なのだ。語はこの原初的な入れ子構造―他者の成立基盤―から始まったのであり、そうである以上、入れ子構造いわゆるリカーションをその性質の第一とするのは当然のことなのだ。
 したがって、相手の身になることができるようになった瞬間、人はこの入れ子構造が無限に続きうるということー母、その母、その母の母、つまり自己の背後には無数の死者がいるということも会得してしまっているはずなのだ。現実にはしかし、この会得は、ただ、私という現象が、私から離れた視点、第三の視点なしには成立しえないという事態に代替されてしまっている。
 
かけがいがないもの 養老孟司
 建築と解剖というのはある意味ではまったく逆のものです。私は解剖学者で解体屋ですが、反対に建築家はつくる人。しかしよく似ているのは、ともに構造を扱っているということです。
 
 よく見るとレオナルドは骨を二個描いています。二個の骨の中心に何があるかというと、関節があるのです。
 
 すぐに片持ち梁の設計をして、学生に計算を命じました。そして基本的に最小限の材料で最大の強度を出すという点で、じつは骨も橋も同じであることがわかったのです。
 
 それが発展して、もう少しあとで、人間は、身体の中にある構造を外部に投射している、写し出しているのだという考え方が出てきます。
 
 このような例は新しいんですが、「我々のつくり出すものというのは、じつは我々の身体を無意識に外に出したものではないか」という考え方はすでに一九世紀の終わりに現れてきました。
 
 私は外部の自然が失われていくことと、我々の心の中から自然が失われていくのは、ほとんど並行していると思います。外の自然がなくなるから人間の心の中の自然が失われていくという面もあれば、逆に、人間の心の中から自然が失われていくにしたがって、外の自然が失われるという面もある。私は両者が並行した現象であると考えています。
 
 人間が人工的につくったものを、かけがえのないものと私は呼びません。自然というのは人々がつくりえないもののことです。
 
 私は「かけがえのない」という形容詞は自然に付く形容詞であると考えております。逆に自然というのは「かけがえのない」という性質を必ずもっております。
 
原 広司
 はじめに閉じた空間がある。その死んだ空間に孔をあけ、生きた空間に転化すること、それが建築である。
 
デザインのまえに、そしてあとにくるもの 石山修武
 「工藤山荘」…何故ならこの建築は、原(広司)さんの一連の建築的思考の文脈からひとつだけはずれて見えるからだ。しかも重要な建築だ。
 
 1970年代当時、この建築=家具の観念の跳躍力に気づいていたのは3人だ。毛綱と原と倉俣史朗である。…箪笥や手箱の引き出しにも空間があることに気づいていた。…毛綱の今の密教的世界への入り口は箪笥の引き出しにあったのだ。原さんはそんな毛綱の反住器の存在を知ってその引き出しに飛び込むのを断念した。イヤ、したのではないか。ヤラレタとおもったか、ヤバイと思ったのか知らない。
 
中間領域の起源 原初的な内外の感覚 藤本仕介
 インドに行った時に感じたのは(中略)。どうも昔の人は内部空間をつくる意識より、より快適な生活環境をつくる意味で、囲まれた庭や陽が遮られた外部などをつくっていたのではないか。その並びの一つという程度として、内部、部屋をつくっているように感じたのです。
 
 まずは動物が入ってこないように塀を立てたとか、ぬかるんでいる土地の水はけを工夫して乾かしたり、平らにしたり。そういう「外を整える」ところから建築が始まっている気がします。そうして徐々に、だいぶ経ってから内部空間ができてきたのではないでしょうか。
 
創作の根底にある孤独 石山修武&藤森輝能
石山
僕は藤森さんの著作のなかでは「タンポポの綿毛」が一番いいと思っている。あの全編に流れているのはとてつもない深いノスタルジーでしょ。あなたのふるさとや諏訪という場所に対する愛情は、現代人にはないものだよ。ノスタルジーの本体は歴史につながるんだよね。それで僕は、以前から藤森さんの著作や創作に、ある種の孤独、一人ぽっちというのを感じている。
藤森
鋭い人だね。
石山
赤瀬川さんたちと路上観察をやっていても、あなただけが浮いているんだよね。面白がってはいるけど。
藤森
死というのが子どものころから一番の関心事だったんだよ。小学校の高学年くらいかな。死について真面目に考えてね。自分がいなくなった後も世界は変わりなく続いていくということが、なんだかよくわからないし、暗闇のなかに一人で立っているように思えて、空恐ろしくてとても嫌な感じがしたの、それで親父に、死ぬってどういうことかって聞いたら、その問題は昔の人も考えた、豊臣秀吉という人も考えたんだけど、結局答えはでなかったって言って、僕は妙に納得したんだ。
でも、今でも夜中にふと、冷たいところにぽつんと一人でいる感覚に襲われることがある。そのことは、僕の造形的な関心なり知的な関心に深く関係していて、ものが存在するとはどういうことだろうってずっと考え続けてきた。それを哲学で考えたのはハイデガーで、デザイナーで考えたのはイサム・ノグチ。僕はイサム・ノグチの一連の仕事、特にスタンディング・ストーン状のを見て、ものが存在するというのは、寝ているものが起ることだと思った。寝ている石を起こして初めて、存在が表現される。建築も同様だという答えに行き着いて、今はその問題に対しては心安らかなんです。
石山
イサム・ノグチは一番気に入っていた石を立てて、自分の墓にしたんだよね。
藤森
僕がインテリアに興味がないのも、そのことと関係しているのかなと思う。外観にしか興味がない。もっと言うと最近は、形よりも素材にしか興味がない。現代建築の流れからは完全に逆行しているけれど、その根底には孤独感というか、存在することへの関心があるんですよ。
 
「空虚」を中止にして人間の運命は形成される 内田樹
「起源の不在」を起源とすることが可能だということを知った霊長類の一部が人類になったという言い方の方がより厳密であろう。
 
ルイス・カーン
かつてあったものは常にあったものである。
今あるものも、常にあったものであり、
いつかあるであろうものも、つねにあったものである。
ビギニングスとはこの事だ。
 
自然でもつくれない物を、
人間はつくることができるのだ。
 
神話化雑感 渡辺豊和
 無制限に増殖可能な、典型的な分節型プランニングであった。
 
 カーンの独創的なのは、建築に入れ子手法もたらしたことだろう。正方形を「同心角」状に構成するのだ…小さな空間を大きな空間が包み込み、これが幾重かに繰り返される。…即ち、外郭から芯まで、それぞれの壁にあけられた開口部を通して中心が見えるが、各開口部の形が違うため、種々様々なパターンが折り重なっている。…その紋様のむこうに闇が見える。コルビュジェ…場所によって建築の構成を変え、形も変えた。カーンは、…建物の基本の構成形態を殆ど変えない。常に多重包み込み型平面と、厳格な幾何学をとる。
 
 カーンはユダヤ人だと聞く。放浪の民族には、場所の違いに着目する意識が生まれ出ることはないだろう。唯一絶対の観念が先行する。
 
「建築=自然」という夢 伊東豊雄
自然との同化を目的にしない
自然そのものになることを目的にしない所に、建築たる所以がある
 
アルヴァ・アールト
古いものは何も生きかえりはしないけれども
完全になくなるわけではない。
かってあったものは、つねにある新しい形をもってよみがえってくる。(1921年) 
 
建築も生物も「流れて」いるから生きている 福岡伸一vs隈研吾
生命はゆるゆるでヤワヤワ
 「生命は、部品を据えてその欠落によって異常が起こるような、単純な機械的なメカニズムで成り立ってはいない。生命はむしろ、流れているようなものだ」ルドルフ・シェーンハイマー
 
 黒川紀章さんたちが1960年代に唱えたメタボリズムっていうのは、機械論の突き詰めた形なんですよね。…やはり遮断したものの中でその関係性を考えたり、機能を考えている。基本は閉じている。
 
 20世紀の機能主義建築っていうのは要するに、器官はそれぞれ機能に対応していますっていう、極めて素朴な器官主義建築ですからね。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?