私の人生と陸上
自己紹介でも書かせてもらった、
陸上人生について少し語らせてほしい…
(完全自己満足note)
0.私の身体について
私は1998年5月に誕生しました。
当時体重は1100g程、いわゆる未熟児です。
成長しても身体の弱さはピカ1で、
風邪をひけば喘息・肺炎で即入院でした。
なので、通院するたびに
激しい運動はやめるように言われ続けました。
ただ、
やんちゃだった私はその言いつけを守らず、
鬼ごっこや追いかけっこをして
よく怒られたものです。笑
その後、体調を崩し即入院。笑
そのため、幼稚園(特に年中)は
ほとんど通園できませんでした。
小3は2週間ほど入院し、
皆にサボりといじられました。笑
1.陸上との出会い
そんな私が陸上競技と出会ったのは
小3の時です。
学校のマラソン大会すら不参加だった私に、
体育の先生が陸上に誘ってくれました。
その先生は私の身体が弱い事
も知っていました。(以降S先生)
S先生の授業は受けたことなく
あまり話したことはなかったけど、
母親には黙って始めることにしました。
(心配はかけたくなかったので。)
何かのきっかけになると思ったんです。
小3は出れる試合が少ないので、
主に体力づくり、身体ほぐし運動が中心です。
この時点で普段から沢山運動できない
私にとってかなりの運動量でした。
小4には人並みに走れるようになり、
少しずつ足も速くなりました。
ここまでくると選手になりたい欲も
出てきました。
けど、夢も儚く選手にはなれず。
この悔しさをシャトルランにぶつけたら
今まで10回程だった記録が
50回越えを果たし、母親に褒められました。(陸上はばれていない)
小5になって
どうしても選手になりたかった私は
ハードル走を始めました。
(人数が少なくて、選手になりやすかった)
しょうもない理由でごめんなさい。。。
ただその分練習は本気で取り組みました。
そのお陰か支部の大会では入賞できました、
初の体験です。
(母には遠足と伝えていた記憶があります。笑)
小6になり、ついに支部大会では優勝、
県大会、初出場で初優勝できました。
そして全国大会出場権まで獲得。
しかし、全国大会に参加するためには
健康診断を受け、
その結果証明を提出する必要がありました。
病院の先生に怒られる。
一人で病院にいけないから親にもバレる。
意を決して母親に伝えましたが、
なんとなく察していたようで
病院には連れていってくれました。
褒めてくれたけど、同じだけ叱られました笑
病院の先生にはかなり驚かれました。
ここまでよく身体を鍛えたと
褒めてくれました。
無理はしないことを条件に
初めて、運動禁止令がちゃんとに
解除された日になりました。
全国大会は準決勝で敗退となりましたが
いい思い出です。
2.中学陸上
中学に入学すると
陸上部の顧問が部活に誘ってくれました。
(以後H先生)
練習はきついし、言われることも鋭いし、
大変なことも多かったけれど
今思えば楽しかったです。
高校も続けようと決心しました。
個人戦で全国入賞したいなぁと。やんわり。
3.高校陸上
高校では文武両道を目指して、
特進クラスを受験しました。
無事合格し、私立高校生になりました。
陸上も勉強もとにかく楽しい。辛いけど!
定期テスト、よく頑張ったなぁ...
今までずっと楽しくて走ってきましたが、
初めて欲が出ました。
ちゃんと優勝したいと思いました。
だから大学も陸上を続けようと。
4.大学陸上
初めて陸上で勝ちたいと思いました。
今までは 楽しいからやる だったのに...
環境を変えるべく、
地元千葉県から離れました。
親への感謝も感じつつ、
1人暮らしの楽しさも味わいました。
しかし、大学の陸上生活は思うようにいかず、
1度も自己ベストを出せませんでした。
勝つための陸上は私には厳しかったようで。
楽しく陸上がやりたいなと強く思いました。
楽しく走る自分が1番好きだなぁと。笑
5.社会人陸上と今
今私は塾講師として生徒の前に立っています。
陸上から得た事を勉強に還元し
少しでもプラスに働いて欲しいなと。
社会人になってからは
自分のやりたい時に
やりたい練習をしています。
勝つためじゃなくて
自分のための陸上ができているな
と思います。
今年から社会人チームに所属が
決まりました。
少しずつ大会も復帰する予定です。
大会応援のお祭り騒ぎ、
スタートの時の静寂さ、
走り終わった後の爽快感、
どれもまた味わえるのかと思うと
26歳となった今でもわくわくします☺️
次の投稿では
私がどのようにして陸上を
乗り越えてきたのか。
身体が弱くてもここまでやれた理由を
取り組んできた事、
大学で学んだこと、
かなり赤裸々に語りたいと
思います。
もしよろしければお読みください^ ^
長文失礼しました🏋️🏋️