木綿のハンカチーフと私の母親

木綿のハンカチーフという曲がある。

歌っているのは歌手の太田裕美さん。

誰もが一度は耳にしたことがあるタイトルと歌い出しのサビのメロディ、昭和歌謡の名曲中の名曲だ。

沢山の人々に愛されてヒットしたこの楽曲、過去にも様々なミュージシャンにカバーされ、ここ最近ではエレカシの宮本さんがカバーしているのも記憶に新しい。

さらに、それに合わせて近頃は、松田聖子の歌手生活40周年イヤーということもあり、松田聖子の楽曲の多くの作詞、それから冒頭の木綿のハンカチーフの作詞を手掛けた松本隆さんの書く歌詞の素晴らしさと世界について再注目されているそんな昨今。

実は、私、お恥ずかしながら
つい最近までこの木綿のハンカチーフという曲をしっかりじっくり聴いたことがなかったのだ。

なんとなく一番まではぼんやりどっかで聴いたことあるかなという程度で

正直、今まで特に気に留めたこともなかった。

新古問わずに音楽が好きだと豪語しておきながら基本の名曲をおさえていないのは如何なものか・・・

私のTwitterのフォロワーさんにも木綿のハンカチーフが好きな人が多々いらっしゃるのをお見受けすることもあるし

ここはいっちょこれを機に木綿のハンカチーフをしっかりじっくり聴いてみようと思い立ったので、聴いてみた・・・・・

めちゃくちゃ良い曲ですね・・・!!!!!!

なんなんですか!!

とにかく歌詞がヤバいの一言に尽きる。

この曲を語る際にとにかくよく言われているが、木綿のハンカチーフというタイトルの伏線回収が最後の最後に見事に利いている。

そして、多くの説明が書かれておらず無駄の無いシンプルな言葉だけで綴られているにも関わらず、歌詞の情景や登場人物の心の移ろいが無限に何十通りも手に取るように見えてくるのだから

やっぱり松本隆ってものすごい天才だ。

そう思わざるを得ない秀逸さ。

一言で言うとこの曲は失恋の曲。

それを、都会に上京していく彼氏と地元に残る彼女の遠距離恋愛の果てを、この2人の手紙のやりとりの掛け合いで展開されていく構図になっているのだけど

まず、一番の終わりでの彼女の言葉

都会の絵の具に 染まらないで帰って 染まらないで帰って

できたら、聴き手である私達も結末はそうであって欲しかった。

だがしかし、もしそうなっていたとしたら
この曲は木綿のハンカチーフというタイトルにはなっていなかったし、全然違う内容とタイトルの曲になっていたに違いない。

一番が終わった時にまず思うのがこの部分で
それを思うだけでも胸が詰まりそうな思いに駆られる。

その後も歌詞は2番3番へと続き
3番の冒頭、彼氏の言葉だ

恋人よ いまも素顔で口紅もつけないままか

これは、彼の気持ちが離れてしまっているのが分かる決定的な一言でありながら

この何気ない一言は、地元に残っているこの彼女のことを悪気無く無邪気に傷付けているなと私は思っている。

毎日刺激的で楽しい都会での新たな生活
目に写るもの全てが新鮮で
地元では決して味わえないようなことで溢れていて

日々、一緒に居る周りの人達も彼にとっては刺激的だったに違いない。

地元には居ないような流行やオシャレに敏感な同世代の若者達。そしてお化粧して綺麗に着飾る女の子達・・・彼ら彼女らの存在だけでも彼には新鮮で、知らず知らずのうちに影響を受けてしまっていたのだ。

故郷と親元を離れ、少しずつ今まで知らなかった世界に触れ少し大人びたような気にもなって見栄を張って彼女にかっこつけたかったのだろうし、きっとこの彼氏なりにそんな自分を受け入れて貰いたかったから見間違うスーツ着た僕の写真まで同封してしまったのだろう。

そういった背景が色々重なり合った故の悪気の無い無邪気な

「いまも素顔で口紅もつけないままか」

私はここのフレーズがいつも聴く度にズキンと自分のことのように胸が痛む。

それに対して彼女側の言葉が
いいえ草に ねころぶあなたが好きだったの と望んでいるのはそんなものではないとハッキリと伝えている。

この時点で、故郷と都会の物理的な距離なんかよりもずっと遠くに気持ちが離れてしまっているようにさえ感じられて、とても寂しい。

きっとその事実に完全に気づいて一番察しているのはこの彼女なはず。

それなのに、3番の最後の歌詞はこのように続く

でも木枯らしのビル街 からだに気をつけてね 体に気をつけてね

私は個人的に、ここのフレーズが一番精神的にきてしまって、口ずさむだけでも涙ぐみそうになる。

だって、これどんな思いで言ったの?

もう気持ちが離れてると分かっている相手に対して
それでも気遣うような健気さとも取れる一方で

それでも私はまだあなたを好きだよ 遠くからでも変わらずあなたを思う私をしっかり見て という思いが込められた、彼女なりの精一杯のすがるような抵抗と最後の足掻きにも見えるこんなにも悲しい「からだに気をつけてね」があっただろうか。いや、あってはならない。こんな思いさせちゃダメですよ。

そして4番では互いに別れを確信する2人。

確信した、というよりか
もう別れてしまった後のようにも取れる。

そして、最後の彼女の言葉
あなた 最後のわがまま 贈りものをねだるわ
ねえ涙拭く木綿の ハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい

ようやくここで、タイトルの木綿のハンカチーフが登場したと同時に、木綿のハンカチーフってそういう意味だったんだー!!!ってなるところ。

冒頭でも触れた見事なまでの伏線回収

お後がよろしいにも程がある・・・

木綿のハンカチーフをしっかりじっくり聴いてみた結果、このような思いに駆られまくって、仕事終わりの帰り道、つい最近まであんなに危険な暑さと言われ猛暑続きの日々だったのにいつの間にか冷たくなった夜風に当たり自転車漕ぎながら私は泣いた。

人知れず泣いた。

それはそれは泣いた。

ウォンウォン泣いた。

ヴォイヴォイ泣いた。

いや、お前が今すぐ木綿のハンカチーフ使えよ。

そして今更ながら、木綿のハンカチーフの歌詞の素晴らしさについて今すぐ誰かと語り合いたいという衝動に駆られたのだった。

一旦、私がこの「誰かと語り合いたいモード」にスイッチが入ってしまうともう止まらない、我ながらとても厄介なのである。

できればこの感動と熱量が冷めてしまわないうちに誰かに話したい!!!

誰が居る??

うむむ・・・

この曲の歌詞ではないけれど

私にも居る遠くに住む恋人か・・・

共通の音楽が好きなことがキッカケでお付き合いを始めてもうそこそこになるのだが

確かに私と同じく音楽好きな、いやそれ以上に耳の肥えた音楽オタクの彼なら、こういったジャンルを問わない音楽談議をするにはまさにうってつけの相手だ。

しかし、今このタイミングで突然
木綿のハンカチーフについて熱く長文で私がLINEを送りつけたところできっと向こうは今のこの私の熱量には付いていけないだろうし、送られてきたところで

「え!急な木綿!!??」

ってなるだけだ。

一般的に男性というのは長文のメッセージが苦手な人が多い傾向にあるとよく言われているし、これに関しては私の彼も例外ではない。

きっと私の熱量に対して
「おう、いいよね」と一言だけ返信が来て、思ったリアクションが返ってこなかったことに対して私がイライラして終わるオチが目に見えている。

てか、私も仕事終わりにそこまでの長文打つのは

単純にだりぃ!

だからと言って電話もなんだか違うんだよなぁ~。

そんな訳で彼とはまた次に会う時に直接面と向かってじっくり語り合おう。その方が絶対に有意義で濃い談議が交わせる。

じゃ、そしたら他には誰が居る!!??

誰も居ない・・・

あ!そうだ!!居るじゃないか!!!

私の母親だ!!!

母ならちょうど世代ぐらいで木綿のハンカチーフを知っているだろうから、手っ取り早く話せる一番の身内が同じ家の中に居るじゃないか!!!

そんな訳で
早く木綿のハンカチーフの話がしたくてたまらない私は
母がパートから帰ってくるのをまだかまだかと待ちわびて

21時前後、ようやく帰ってきた母に「おかえり」もそこそこに「ねぇ!!クソクソ今更なんだけど、木綿のハンカチーフの歌詞ヤバくね!?」と話し始める

「あぁ、昭和歌謡だからねぇ、いいよ」なんて言いつつも初めはウンウンと、上に書いたような私自身の考察も交えた話を、なんならそれよりも熱く力が入りながら身振り手振りも交え口角泡を飛ばしブワーッと一気に語り尽くす私の話を一通り黙って聞き終えたのちの母の放った言葉が

「でもさぁ、たった半年で変わっちゃうようなそんなチャラい男どーせ大した男じゃないよ!!見間違うスーツ着た写真クソいらねー!!!!」(60歳/パート主婦)

このひと言で見事に片付けられ、木綿のハンカチーフ談議はあっけなく終了した。

さすが、姉と私2人を産み、
明るく元気に絵に描いたような日本の肝っ玉母ちゃんとして長年パワフルに生きている者はたくましさが違う。

このくらい、終わっていく恋に対して引きずるどころか蹴散らしていくくらいの強気で居たほうが、きっと自分で自分の人生を楽しませることができるのかもしれないな。

うん、やっぱウチのお母さん最高だわ・・・

なんだかさっきまで熱くなって泣いてた自分がバカらしくなってしまった。

最後の最後で本筋の木綿のハンカチーフからは逸れてしまったけど

そんなお話です。

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