ディファレンス・エンジンを読んだ

タイトル通りです。読むのが結構大変な部分が多かったし、詳細な感想を書こうと思っていたのですが、もうなんかうまくまとまる気がしないので、雑感をまとめていきたいなと思います。

ディファレンス・エンジンって僕はスチームパンクの始祖みたいなものだと思っていたのですが、実のところ全然そういうことはないらしく、そういう異常に発展を遂げた19世紀中葉~末期を舞台にした歴史改変小説みたいなものはそれ以前から結構色々あったらしい、というのを読み終わってからWikipedia見て知りました。

そうはいっても、この小説のもっとも大きな印象は、「これってあれの元ネタだな」が結構見あたるところで、『屍者の帝国』(伊藤計劃/円城塔)などは、本当にかなり露骨にディファレンス・エンジンをオマージュしている作品なんだというのが分かったり…
あと『ニンジャスレイヤー』(ブラッドレー・ボンド/フィリップ・N・モーゼス)の(訳文の)文体って黒丸尚訳の(これはニューロマンサーとかモナリザ・オーヴァードライヴとかのサイバーパンク小説のほうなんでしょうけど)オマージュなんだな…など。作中で森有礼がローレンス・オリファントを「オリファント=サン」と呼ぶのですが、そのたびに頭の中に赤黒のニンジャが去来するのでちょっと大変でした。

それはそれとして『ディファレンス・エンジン』は言わずと知れた…と思っていたけどそれほどでもないっぽいSF小説です。普通に知人とかに聞いたら知らんって言われました。でも大体どんな本でもそうかもな。
著者はウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングという人で、どっちもSFジャンルにサイバーパンクを流行らせて名をあげた人たちですね。

というよりは、この作品で一番大きな歴史改変要素はそのまんまコンピュータであり、簡単に言えば19世紀前半にチャールズ・バベッジが蒸気コンピューター「階差機関(ディファレンス・エンジン)」を完成させた別世界のイギリスにおける1855年ごろに色々起きるという話です。色々というのは一応一つのアイテムを巡って色々な事態が発生するというプロットではあるのですが、まあ二冊分通してほんと色々…という感じだったのでまあ色々ですね。

作中にはメタ構造があったり様々な実在人物や少しばかりの虚構の人物が混淆するのですが、そういうところに尺を取っても割としょうがないというか、それそのものが楽しい作品なのかというと正直わからないというところです。森有礼がサムライの構えをとるところは面白いけど。

個人的に印象深かったのはそこではなくて。
スチームパンクってまぁ簡単に言うとガジェットポルノジャンルなわけじゃないですか。必要性のないごてごての装備とかそういったのがビジュアルとしてのスチームパンクがオタクに人気な部分なんじゃないかと思うし。僕もまあ割と好きです。『鋼鉄城のカバネリ』の馬鹿みたいな蒸気圧銃とか…あれはスチームパンクというか近世日本風異世界だけど…
ディファレンス・エンジンが完全にそうでないかというとそんなことはなく、当然ガーニー(蒸気自動車)とか、キノトロープ(蒸気映像)とか、巨大蒸気コンピュータとか、ピラミッド様の古生物学宮殿(!)とかいった異常な事物は頻出します。
ただ、そのうえで携帯されるようなデバイスのようなものにはあまりそういった要素が多くなくて、他の部分でも異常な事物よりもむしろ、本来20世紀にならないと登場しないだとか、そういった「時代の針が早く回っている」ことを目的とした演出が多いように見受けられました。

特に銃、中盤の主人公マロリーが色々あって携帯することになる「バイェステル・モリーナ」という銃など。
史実ではコルト1911をモデルにアルゼンチンで安く量産され、WW2を背景にかなり捌かれた銃(Wikipediaより)らしいのですが、作中ではフランス領メキシコで量産され大英帝国に密輸されている銃ということになっています。
マロリーの語りではこの銃のショートリコイル(弾丸の発射の反動で自動で次の弾が装填される)機構に対する衝撃などが語られますが、製造時期から分かる通りこの銃はいっさい19世紀っぽくもなく、ヴィクトリア時代を描いたスチームパンクアニメとかに出てきたら興ざめもいいところだと思います。

実際、作中を通して見せられるのは流血革命と産業急進党の躍進で発展したはずのロンドン、しかし地下鉄は硫黄臭に耐えなければいけない乗り物のまま、テムズ川はお話にならない濁流、浮浪児はそこら中に居て、工場の煙突は煙を田舎に流すために野放図に高くなっていく、巨大な蒸気コンピューターですら、それを動かしパンチカードに打刻されたデータを見る実働要員は使い捨てに近い底層労働者、そんなままならなさが多いです。
中盤にはロンドン中が悪臭に覆われマスク無しでは耐えられなくなる最悪の現象「大悪臭」が発生し、それに乗じた共産主義者や無政府主義者が民衆を扇動して蜂起するという大混乱が発生するし。

で、結局これらを通してみると、技術の急速な発展とかに人や社会が振り回されるっていう現代の現象を、19世紀中葉という舞台に転写することで異化しているんだということですよね。
同時に、国民与信(クレジット)で決済ができる(そしてそのログをクラッカーなら監視できる)世界、個人の電信文すら政府のスパイならログを辿って解析できる世界っていう、この世界ではこの後もっと加速していきそうな監視社会も描かれている。

そういう点で、『ディファレンス・エンジン』は思ったよりもガジェットポルノではなく、異常な19世紀世界を利用した現代社会の在り方の描写とそれへの警鐘を軸に置いた作品であり、結構その辺は意外なところでした。

それとはちょっと別軸で。
小説っていう文字媒体におけるモノの描写っていうのもまた色々と考えさせられるものだなあと思いました。「バイェステル・モリーナ」みたいな実在のモノにしか出せない響きみたいなものがあって、例えば漫画なら当然みたいな顔して滅茶苦茶存在しない感じの銃をそのまんま出しても特に話はつっかえないしイメージもそれが画像であるから何の引っ掛かりもないわけですけど、例えば小説でそれを出そうとすると(架空の名称)+説明…みたいなことをしても、具体的にバシッと絵が出てこないというか。作中における蒸気コンピュータ群や古生物学宮殿などの架空の事物は描写から想像するしかなく、その他の(本来その時代にないものであっても)生活感に基づいたものとはやはり一歩引いた存在になってしまっているように思いました。
創造に任されるところは良い点でもあるのですが、難しさもあるな、と。余談です。

まあ、何が書きたいのかわかんないような感想になりましたが、基本的に思考をまとめるのが苦手な人間なので仕方ないと割り切ってお送りしています。
これを読んで読みたくなるかというと微妙なところだとは思いますが、スチームパンクもののアニメとか漫画とかで、ちょっときれいすぎないか?とか、そんなにガジェットがゴテゴテしててもな…とか思う瞬間が一瞬あったりした人は一度読んでみるといいんではないか、そんな感じの本でした。
ありがとうございました。

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