人間コミュニケーションにおける文明技術の役割 -バーチャルコミュニケーションで本当の私へ、肉体接触を超えて-
近年コミュニケーション技術の成果を盛り込んだメディアは益々発展している。特にインターネットの発達により、我々のコミュニケーションは大きく変化した。今回はインターネット上で行われるコミュニケーションが我々の生活にどのような変化を与えたのかを考察していく。
インターネットは情報発信とともに、TwitterやFacebook、InstagramなどのSNSによって現実世界で会ったことのない人達とも容易にコミュニケーションをすることができる。そのコミュニケーションは主にテキストベースで行われる。コミュニケーションにおいて、肉体接触は重要ではなくなったということである。インターネットについてモダニストは「自立した個人」という近代の理想が可能になると主張している。そしてポストモダニストはそうした「主体」や「自我」の抑圧から解放してくれるものだと考えた。つまりインターネットは人々を固定的な人間関係と役割に縛り付けている近代的空間から解放し、自らの望むアイデンティティを手に入れ自由に他者とコミュニケーションできる場所として機能しているのだ。
現在、身体は男性、恋愛対象者も女性だが、バーチャルYoutuber、VRチャットなどでは美少女のアバターになりコミュニケーションを行うのが流行っている。それは通称バ美肉(バーチャル美少女受肉)と呼ばれている。これの元祖として、70年代に流行した「MUD」というテーブルトーク型RPGをオンラインに移したもののコミュニティがある。そこでは文字によるユーザー同士の性交や女装など、身体を意識させるようなコミュニケーションが行われていた。また、オンラインコミュニティ、またSNSなどで恋人同士になった相手と実際に会ったら期待はずれでがっかりした経験をよく聞く。そうすると私たちはテキストによって実際に対面する以上の何かを伝え合っていることになる。それは何か。このことについて考えるためにコミュニケーションと言語の関係について考えていく。
実際に顔を合わせて対面でコミュニケーションする際は、言葉で伝えられるものの外側には様々な情報が練り込まれている。例えば、「面白いね」と言っていても目が笑っていない表情や、昨日までそんなこと言っていなかったのにという文脈など、言外に伝えられるものはたくさんの情報がある。それを含んだ上でコミュニケーションになるのである。インターネットのテキストベースのコミュニケーションでは年齢や時には性別さえも相手に伝えることを回避できる。要するに、意図していなかったことに対してでも、相手に自分についての情報を知られないことで抜け落ちた情報量を相手の想像力に補わせることが、テキストでのコミュニケーションと現実の姿のギャップを生んでいるということだ。
また、インターネットのコミュニティで出会い恋人同士になった人々が行うテキストセックスと呼ばれるものがある。それは決定的に身体性の欠落した性的コミュニケーションであり、その本質となるべき部分を失っている。しかしなぜそれが行われるのか。それはテキストによって、言語ではなく私という存在を送受信しているからなのである。身体性を欠落させたテキストベースの性行為や恋愛に人々が興奮する理由は、性的なこと以外に、「私」という存在の性別や見た目などを越えた本質的なところで交流できるところである。それは、バーチャルなテキストベースの交流によってなりたい自分の外見を気にすることなく自由に演じることができるということだ。肉体の限界を含めたあらゆるものから解放され、テキスト化された自己がオンラインで他者と融合できるというのが初期のバーチャルコミュニティにおける鮮烈な体験であった。現実世界では、なりたい自分を演じる場合どうしても性別の壁、身体的特徴の壁、声質の壁など、ハードルがたくさんある。しかしインターネットではテキストのみの情報なので好きな自分になることが容易なのである。そのことからインターネットでの演じは心地よい演じになり自分自身へのセラピーになるという。
これまで人間のコミュニケーションは肉体、外見に強く依存していた。電話が発明されるまでは、直接会うか、手紙を書くことでしか交流ができなかった。しかし、インターネットの出現により、自分の理想とする人格、またはアバターを作りあげて、他者と交流することが可能となった。インターネットは人々を固定的な人間関係と役割に縛り付けている近代的空間から解放し、自らの望むアイデンティティを手に入れ自由に他者とコミュニケーションできる場所として機能することが出来たのだ。なりたい自分になれる快楽値は高く、依存度も高い。それ故、そちらに依存しすぎて現実世界が疎かになってしまうことも多いという。そのためにはしっかりと現実の世界と向き合いながら、インターネットを利用していくことが大切である。性的マイノリティの方々や、その他の生き辛さを抱えている人々にとって、このようなバーチャルコミュニケーションが出来るようになったことは大きな救いになっていることは間違いない。今後もバーチャルコミュニケーションのようにあらゆる人々がありのままでコミュニケーションできる場が増えることを願う。
参考文献
池田理知子 『現代コミュニケーション学』 有斐閣コンパクト
佐藤直樹 『暴走する世間』 バジリコ株式会社
桜井陽子 『幻想する家族』 桜井厚
井上俊 『近代家族とジェンダー』 世界思想社
吉見俊哉『メディア文化論』 有斐閣アルマ
鈴木健介『ウェブ社会の思想 <偏在する私>をどう生きるか』 NHKブックス
長澤秀行『メディアの苦悩 28人の証言』光文社新書
池田理知子『現代コミュニケーション学』 有斐閣コンパクト
黒嵜 想 ボイス・トランスレーションーー“バ美肉”は何を受肉するのか?
https://realsound.jp/tech/2018/10/post-268888.html
https://realsound.jp/tech/2018/10/post-269907.html
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http://koshian.hateblo.jp/entry/20130303/1362290841