出会いたい奴は金を使え
金で女を買えという話じゃありません。
高い飯をおごってプレゼントで釣れって話でもありません。
お金をいっぱい使えばモテるというものでもありません。いやモテるかもしれないけど。
使うべきお金はちゃんと使いましょう、という話です。
どう考えてもケチな人は好かれません。
倹約家とケチは別物です。
使いどころを見定めて無駄な出費をしないのが前者、
とにかく自分の手元からお金が離れていくことに固執するのが後者です。
メッセージをやり取りするためのポイントすらケチる人いますね。
お話にならないです。
メッセージ一通何十円ってものでしょ。
気にするなよ、そんなん。
会えるか会えないかもわからない、自分にとって得になるかわからない相手に1円だって使いたくない
みたいな精神の人もいますね。
なんのコストもかけずに、リスクも負わずに、投資をするでもないのに、リターンを求めるんじゃないよ。
まるで自分と会うことが相手にとって最高のリターンだ、と言わんばかりのその傲慢な自信はどこから来るのか。
そういうこと言ってるからモテないんだぞ。
謙虚であれよ。
例えポイントを買って送ったメッセージが実を結ばなくてもまるで無駄なわけじゃないはずなんです。
メッセージをやり取りしてた時のトキメキを買ったと思いましょう。
ラリーの数だけコミュニケーションスキルが向上したと考えましょう。
結果がダメだったとしても何がダメだったか反省の材料が手に入ったと考えて改善のきっかけにしましょう。
考え方が貧しいから「損をした」とか思うんじゃないですか?
経済的な貧しさよりも精神的な貧しさの方がより惨めであることは、過去に触れてきた何某かの作品(漫画でも映画でも小説でも)で知ってることだと思うんですけどね。
そういやデート代の奢り奢られ論争が炎上案件になってるみたいですね。
なんでそんなことが炎上するんだろって思うんですが、そこにも精神的ケチが絡んでる気がします。
ケチは余裕がないんですよ。
自分が何を得られて自分から何が離れていくのか、そこしか見てない。
だから奢って当たり前、奢られて当たり前、どっちも気に食わない。
気に食わないから意見をぶつけるとそれに大して「正論言いたいマン」が現れて燃え出す。
正義の敵は悪ではなく別の正義、ってのはホント言い得て妙だと思います。
奢られて得した。奢って損した。自分の分は自分で出すべき。金持ちが負担すればいい。
別に何でもいいよ。どれかに決めなきゃいけないものでもないし。
そんな私の感覚は、
デートであれば飲食代は出すかな。
チケット代とかは自分の行きたいところに付き合わせてる感じだったら出す。
さすがに交通費まで出してたらなんかお世話してるみたいだからそこは出さない。
あ、でも終電なくすまで遊んでたらタクシー代渡すかな。
ホテル代は出す。部屋は選ばせる。「どこでもいいよ」と言われたら二番目に安いとこにする(一番安い部屋は何か悔しい)
「いいよ、私も出すよ」って言葉が嬉しいときもあるし、「いいよ、気にすんなよ」ってときもある。
その場の感覚じゃないの、こういうのって。
ただね。
狙ってるんならちょっとは良いかっこしなよ、とは思う。
別に金を出すことがすべてじゃないけど、せめて金くらいは出せ、とも思う。
だって狙ってるんでしょ?
お金の出し方がスマートだといい男に見えるもんですよ。
相手にちょっと貸しを作った方がその後の交渉が有利になる、という下品な計算が見透かされて何が何でも割り勘に持ち込まれたのを自分への好意と勘違いして突き進む男、みたいなのが近くに居たらずっと観察してしまうかもしれない。
結局お金ってのは何かの対価なので。
ご飯を奢るって言っても、あなたと食事したこの時間、共通の経験にお金を払うって感覚だと思うんですよ。
当然楽しければ気持ちよく払えるし、お互い払いたいってなったらじゃあ次回ね、なんて言える。
逆に言えば、自分から割り勘を求めてしまうと「イマイチだった」宣言と思われる可能性があるので、上に書いたように狙ってるなら出した方がいいと思うんですよね。
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