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なんで骨で絵を描いてんの?

そう友達に言われた

当然の疑問なので
骨でせっせと絵を描く自分に至るまでを書き散らしておく

確かに画材を知らなければ「地味な絵」「かわいい絵」
知ったら知ったで「不気味」「なにもそこまでせんでも」「絵やめたら?」とも言われてきた

だが、私としては今のところ一番しっくりきた画材だ
むしろ探してきたのだ、何年も


最近(2024年)の絵

2024年『土地の記憶』

こちらの絵は実家の土や石でほとんど描いている
灰色は実家の植物の灰で描き、白い部分はで描いている
青い部分のみ既製品の新岩絵具で描いたが悔いが特に残る箇所だ

同時期に描いたのが下の絵

(左)2024『しみ』
(右)2024『散らばる君をみる』

左の絵は植物の灰で描き、右の絵はだけで描いている

2024『繋ぎとめるもの』

こちらは紙も実家の雑草から自作し、絵具も実家の土、石、灰に骨で描いている
左の絵の壁掛けも拙いながら葛で編んで作った

過去に「死を軽く扱う姿勢に動揺する」とも公募展で評されたこともある
極めて個人的な経験によるものだが、軽いつもりはなかった

メイキング動画▼

https://www.youtube.com/shorts/p0XUdfkgvrQ

https://www.youtube.com/shorts/QFZyq1OA8z0

https://www.youtube.com/shorts/SDj_x29Rk3s


経緯、体験が表出する


幼いころ飼っていた大切なうさぎを自分が殺してしまった
母となったうさぎだけでなく、生まれた子どもまで

高齢出産が体に負担と知りながら、こっそりオスうさぎとメスうさぎの部屋の鍵を開けて家を出た結果が最悪の事態となった
▼詳細

他にも一緒に暮らしては亡くしたペットたちを畑に土葬してきた

毎日通る家の敷地にみんないる
自分の部屋からずっと見える位置に畑がある
畑でできた野菜は大きく育ち、おいしい

私が原因とは思わない家族、いつも通りの学校
罪悪感を背負いながら生きるのが苦しかった
事あるごとに自分が許せなくなって極端な結論に急ぎたくなることも多かった

気持ちの行き場がなく、園児の頃から好きだった絵に縋りついた
絵を描く時間だけ自分の罪に向かい合えた
向き合うたびに苦しいが、それが呼吸ができる心地でもあった

透明水彩、油彩、アクリルガッシュ、様々な手段で表した

2012年『死んだものを画面に閉じ込めること』
和紙、骨
2014年『告白』アクリルガッシュ
2016『ぬけない』アクリルガッシュ

大学生の頃、酔って絵具のチューブからうさぎが出てくる落書きをした
小さな落書きを見て泣いた、うちのこは絵具なんかではない、おかしい

私の体験、気持ちの行き場だとしても既製品の絵具で描くことに違和感を覚えてしまった

とはいえ、他の画材をあまり知らない
日本画の知識は不十分だが、他の画材よりは親近感湧くのでちゃんとやりたいとはぼんやり思いながら、安価なアクリルガッシュで絵を描き続けていた

年に1回の展示を続ける中で私は様々な経験や知識を持つ人達に出会っていく

知識がある程度集まった

日本画は膠の扱いに自信もなければ、知らない生命だったものがうちのこの画面に入ることへの違和感があった

そんなことを思っていた時期に、恩師や日本画を続ける後輩たちと展示をグループ展をした。
恩師が「アートレジンってものが最近はあってね、これなら日本画の画材が扱いやすいと思う」と教えてくれた。
膠でしか定着させられないと思っていた岩絵具が使えるようになった(2020年)

岩絵具って天然の岩か…なら身近な石も砕いて絵の具にしよう(2023年)

いままで勤めていた仕事を辞め、やりたいことに時間を費やし、岩や土から絵具を自作するようになった。

2020年『もたらすもの』
岩絵具、新岩絵具
2023年『いつでもいる』
新岩絵具、岩絵具、実家の石、伊古部海岸の化石、

見知った石や土は既製品より色数が少ないものの、居心地がよかった
土の絵の具に水を入れたときに覚えのある香りになり、塗った画面は見知った場所の色に近づく
私があのこたちを暮らし、亡くした場所だ

絵の具を作る工程は自分の経験と噛み合いエスカレートしていった

骨と出会う


「へー、絵具から作ってるのか」
「本当はうちのこの骨使いたいんですけどね、日本の土は酸性でしょ。埋めてから20年近く。うちのこ溶けて跡形もなくなってますよ…」
2023年に開催した個展に来た先輩にそうこぼした
「ここでジビエの骨をもらってる人いたっけな」と、先輩がある猟師さんを教えてくれた

うちの子じゃない生き物の骨か…と考えてみる
実家に土葬した大切な子たちが20年近くもたてば分解され跡形もなくなっている虫に菌に分解され、養分は植物を育て繁殖を続けただろう
ならば隣の山の鹿ならそれを口にしたかもしれない
うちのこは地続きの世界にまだいる、ならその骨は私の大事なものかもしれない

なくなったと思っていたうちのこを蒐集しはじめた

▼骨から絵具を作る

大事な子のかけら、その先の生物を集めることで私は自身を許さない空間で生活できる。罪人である自分が苦しいと思いながら、手を汚していく。

足りない


2023年台風2号により実家の大事な畑が崖崩れで下の道に落ちた

大事な場所がなくなった
土地もいつか形を変えると思っていたが、こんなに早くになくなる覚悟ができていなかった
うちの土も石も砂も、その上に息づいていた植物もごっそり重機で知らない場所に運ばれていった(復興ありがとうございます)
溶け切ってない亡骸もまだあった位置の土地も
私は残っているものを焦るようにかき集め、画材に変えた

このころに描いたのが最初の方に紹介した絵だ

『土地の記憶』拡大
『土地の記憶』拡大

冒頭で紹介したように、この絵の青い部分は新岩絵具を用いて描いている
できるだけ使わないようにしていたが、植物の灰のグレーでは画面に合わないのでしぶしぶ使ったのだ

これを後悔していた

この絵を描いて1か月後、実家の植物を用いて骨を染める試みをしてみた
最初はうまく染められなかったが、草木染めの仕方を調べながら実験を続けている

最初に試してみた実家のスイバ
試行錯誤中

どうしても青は作れなかった

そんなある日ギャラリーに遊びに行き作家さんと話していたら、染色をされる方を紹介していただいた

作品の事情を話すと、「ご実家の草でないと意味がないのよね、なるほど」と理解を示し、後日ギャラリーにまた来てと伝えられた。
約束通り行くと、藍染めに用いるタデアイの種をオーナーさんから渡された。染色をされる方が届けてくださったのだそう。

すぐに実家の土で育てる準備をし、数カ月葉を摘み取るために育てた。
▼青色ができるまで

実家の土で育てたタデアイの青で、大切なうさぎの目が塗れた

2024『いたるところ』
実家の土、石、植物、骨、タデアイ

青まで全部実家に縁のあるものにできた

2024『散らばる君をみる』
骨、植物

色数も増やせたことに喜びを覚えつつも、生きるためじゃない、自分のどうしようもない身勝手な部分で描きたくてたくさん手折ってしまったことにはまた罪悪感を感じる
でもまだ、試したいことが多くて止まれない
結局殺した日から変わらないのだと突きつけられる

幼いころからうちの子たちには教えてもらってばかりだ

制作の一連の行程は楽しくもあり、苦しくもあるけどやめる理由は私には一切ない



【企画展参加のご案内】
「KANZEN-完全-」
2024年9月4日(水)~9日(月)
最終日は18時終了
伊勢丹新宿店 本館6階催物場

「日本画展」
2024年9月11日(水)~15日(日)
13:00~18:00
Gallery hana輪
大阪市平野区背戸口5-6-20フレンズビル1F北号


▼こんな自分だからやってるオーダーメイド作品


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