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キャラクターの一人歩き現象から見るGS美神



キャラクターの一人歩きとは

漫画、特にリアルタイムで長期連載されている作品において、しばしば作者の口から語られる言葉として「キャラクターの一人歩き」というものがある。
世界観を設定し、物語を紡いでいるのは作者であるのにも関わらず、時としてキャラクターが想定した方向とは真逆の行動をとったり、思いがけない台詞を発するといった現象がそう呼ばれているようだ。
これは、既にキャラクターが作者のコントロール下を離れ一人格として独立したとも、世に出たキャラクターが受け手である読者によって解釈され、そういったファンセオリー(多分に二次創作的な)が原作にフィードバックされたりして、キャラクターが作者の意図とは違った表情を見せるようなった結果とも言えるだろう。
特に2番目は「作品は誰のもの?論」※1にも展開していく話でもあるので、この記事でのキャラクターの一人歩き現象とは1番目の定義とさせてもらいたい。

GS美神とは

本記事で紹介するGS美神極楽大作戦(作椎名高志)とは、1991年から99年まで週刊少年サンデーにて連載された漫画作品である。全39巻。
あらすじはGS(ゴーストスイーパー)と呼ばれる現代のエクソシストが悪霊や妖怪と戦う、といったもの。
1993年にアニメ化もされ、今年はアニメ30周年になる古い作品だ。

左から幽霊のおキヌちゃん、中央が主人公の美神令子、右が中盤以降実質的主人公になっていく横島忠夫

基本的にはキャラものであり、ギャグ漫画であり、バトル・ラブコメもありと、当時の少年漫画において必須の要素を複数兼ね備えていた優秀な作品でもあった。
ではなぜ今回、キャラクターの一人歩きの例としてこの作品を取り上げるのかというと、個人的な好みも勿論あるのだが、この作品の終盤の混乱具合(と、あえて言わせてもらいたい)が、まさにこの現象をありありと体現していると思うからだ。

基本的な話の流れは、所謂単発のギャグ編と、美神一行が大きな事件に関わる長編の2本線である。
ベースが探偵ものと同じく、依頼を受けて事件(霊現象)を解決するというスタイルなので、本作は長期連載に向いている舞台設定と言えるだろう。
特にアニメ化された、単行本でいう9巻ぐらいまでの内容は、アニメをご覧になった方はおわかりだろうが、ある程度エピソードの順番を入れ替えても支障のない単発ギャグの色が強い作風であった。
もちろんレギュラー以外のキャラクターも多いのだが、基本的には上記の3人で話を回せるようになっているというのも特徴だった。

横島くんの飛躍

この流れが変わっていくのは、所謂GS試験編からだ。
連載当初は凄腕GSである美神との対比として、読者に近い立場でスケベなだけで特殊能力の欠片もなかったアルバイトの横島忠夫が、予想外の人気を得たせいか、もしくは他の少年漫画の影響は避けられなかったのか、霊能力を開花させていく長編である。
作中ではGSが一職業として設定されているため、免許が必要だというところがユニークな点だが、そこは少年漫画だ。
免許取得のためにはトーナメント戦による実技試験を勝ち抜かねばならない流れになる。ようは天下一武道会編である。

この長編では、横島が独力で勝ち抜くのではなくサポート役が設定されているのも所謂バトル漫画とは違う点だろう

序盤は常に逃げ腰の小物キャラだった横島を、能動的に試験に参加させる舞台を作るのはなかなか難題だったらしく、外的要因と内的要因を織り交ぜてなんとか試験に参加させたという事実は、この時点で既に横島というキャラクターが一人歩きしつつあったという証左かも知れない。
アニメ版では情けない横島で終わってしまったので、原作で続きを読んで驚いたという人も当時少なくなかったと記憶している。
特に年長の読者からは、横島のGS化を残念がる声もあった。

さて、この長編以降、ギャグ編ではギャグをこなし長編では戦力に数えられるようになった横島は、以前に増して縦横無尽に大活躍。
オールマイティなキャラとして、GS美神をリードするようになっていく。
当初は単なる荷物持ちであった彼が活躍する様は、ピカレスクロマン的な痛快さがあったのも事実だ。
彼に感情移入して読んでいた読者にとっても、嬉しい展開であっただろう。
こうした横島の人間的成長と平行して、物語はとある伏線を仕込み始める。

ラブコメとしてのGS美神

それは、当初は横島を歯牙にもかけていなかった美神が、彼に好意を持っていくというラブコメ路線への伏線だ。
細かく言えば、序盤からそういう方向への伏線ともとれなくもない描写はあるにはあったのだが、彼が霊能力を持ち、対等とはいかないまでも同じ土俵に立つパートナー的立場を得ることによって、この展開は表面化していく。
横島も生来のスケベさから美神にセクハラ三昧(毎回撃退されるが現代では描写すらコンプラアウト案件)なので、彼にとっては両思いへとなっていく万々歳な展開・・・になるはずであった。

こういうキャラクターです。

しかし、ここで問題になるのが3人目のレギュラー、おキヌちゃんの存在である。
もともと江戸時代に人柱となり、300年間現世を彷徨っていた幽霊である彼女は、紆余曲折あって美神一行に加わるのだが、その持ち前の明るさとジェネレーションギャップによる天然ボケ、幽霊という特性を生かした活躍等々で、男性読者の人気を得ていた。
特にその人気の根拠になっていたのは、初期から一貫して横島に好意的だったという点だろう。
美女と見れば即セクハラをかます横島も、おキヌちゃんが幽霊と知って以降はそういう目で彼女を見なくなり、彼女は彼女で肉体を持たないので横島の性的欲求がイマイチ理解できない・・・という関係性は、作者をして「正統派ヒロイン」と形容するほど、ある種微笑ましいラブコメ空間を生んでいた。

こういう妄想をすることはあった。

さて、このような歪な三角関係という要素も含んでいた本作だが、作者である椎名氏の構想としては、最終的には美神ー横島ラインで進行するつもりだったことは作中の端々から読み取れる。
例を挙げると、連載も半ばに入ったころ色々あっておキヌちゃんが一時レギュラーから外れた期間があった。
つまり、美神と横島二人っきりの期間が生まれたわけである。
その間に挿入された長編(詳しい内容は割愛する)に於いて、実は2人は前世からの縁だったというとんでもない爆弾が仕込まれ、二人の関係性はさらに強化されたのだ。

横島は大変前のめりなので、美神さえ受け入れてしまえば成就する関係と言える。

さらに、おキヌちゃんが復帰した後も、ダメ押しのように未来から大人になった横島がやってきて、しかも彼がいた未来では美神と結婚しているというエピソードまでもが描かれる。
これはもう、二人の関係を進めるための下準備と読むべきであろう。
ちなみに上記二つの事実は前者は横島のみ記憶が消され、後者は美神も併せて記憶を消すことで、未来は確定したものではないという一応のエクスキューズにしているが、これほど念入りに描かれてしまうと、この物語の決着=二人の関係性の決着ということにもはや疑いはなかった。
ここまでが連載6年目、単行本にして29巻あたりまでの内容である。

どこまでも意地を張るのが美神令子というキャラの肝だろう。

そしてGS美神は、ついにそれまで数々の伏線を回収する最終章とも言える長編に突入していく。

アシュタロス編

一読者の勝手な想像でしかないが、本来この長編は
「美神の前世からの因縁や、節々で存在を匂わせていた魔族の大ボス・アシュタロスとの全面対決を通して、美神と横島が協力し困難を乗り越えることで、二人の関係性にある一定の答えを出す」
という構想でスタートしたものではないだろうか。

一般的なバトル漫画ならば、ここがチャンスとばかりに魔王の部下である四天王やら精鋭軍団やらを設定し、一大バトル展開となりそうだが、そこは定石を外すことに命をかけているGS美神である。
アシュタロスの配下として設定されたのは、昆虫をモチーフとした三姉妹であった。

左から蝶のパピリオ、蛍のルシオラ、蜂のベスパ

圧倒的なパワーも持つ彼女たちは、早々に美神一行を襲撃、横島はなぜかパピリオに気に入られ捕虜(ペット)として連れ去られてしまうー!

思うに、この展開こそが最初の分岐点であった。
つまり、この項の最初に記したアシュタロス編の構想からの分岐である。
ここで美神と横島は物理的に引き離されるわけだが、この展開が所謂「離れた期間が愛を育てる」といった機能をなしていないのだ。
その後、二人は特に劇的な舞台を用意されずに再会し、丁度いいとばかりに横島はスパイとして敵であるアシュタロス陣営に送り返されてしまう。
そして、残された美神のドラマはというと、直前に帰還した彼女の母親との関係にスライドしていく。
死んだと思っていた母親との劇的な再会が大きすぎて、彼女には横島を気遣う余裕がない状態で物語は進んでいく。

まぁ、これはある程度仕方がないとも言える。
根底はギャグ漫画という点も相まってか、物語のカメラは終始この漫画のギャグメーカー横島に向けられているからだ。

逆境をギャグで跳ね返す男、横島。

帰還を許されず、一介の高校生がスパイ活動を強いられる理不尽な展開は、作中横島も不平を漏らしてはいるが、ギャグ漫画として見ても展開的にはスレスレの綱渡りであった。
そこに、GS美神らしい捻りの効いた展開がさらに拍車をかける。
そうした扱いのせいで味方から心が離れつつあった彼は、敵である三姉妹との交流を経て、徐々に絆されていってしまうのだ。
このあたりの展開は、良く言えば筆がノっているともとれるが、悪く言えばグランドデザインがなく目先の面白さのみを追求しているようにも見える。
そしてその反動は、おそらく作者自身も予想だにしなかった大波乱を生むことになる。

ルシオラの衝撃

前項で述べたとおり、味方よりも敵にシンパシーを感じてしまった横島は、その過程で重大な秘密を知ってしまう。
彼女たち三姉妹は使い捨ての駒であり、寿命が一年に設定されているというのだ。
この事実を知り、胸中に迷いが生じた横島は、美神達の対アシュタロス作戦が進行する最中、危機に陥った三姉妹の長女ルシオラを咄嗟に助けてしまう。

ポチとはペットとしてパピリオが横島に付けた名前。

この展開には、当時から「おや?」と思う部分がある。
思い返せば、最初に横島を個として認識し、好意を持って捕虜(ペット)にしたのは末っ子のパピリオであったはずだ。
事実、姉であるルシオラやべスパは、途中までは横島をその他大勢飼われているパピリオのペットの中の一匹としてしか認識していなかった。
そう、この長編の序盤まではパピリオと横島の交流という縦軸のドラマらしき萌芽があったのだ。
もしかしたら分かり合えるかもしれないという伏線を張りながら。
しかし、横島が彼女たちに絆されていく最後のダメ押しが、ある時点でパピリオからルシオラに入れ替わってしまうのである。

この笑顔の後、役回りがルシオラにスイッチする。

これも想像でしかないのだが、アシュタロス陣営を裏切る役回りは当初、パピリオの予定だったのではないか。
子供に好かれる横島のキャラクターはこれまでの連載でも折に触れ語られていたし、実際その後の展開でのパピリオの持て余した扱いを考えると、そのほうがより自然だったのでは思える。

だって初登場時のルシオラってこんな顔してたんですよ。

では、なぜその役をルシオラにバトンタッチしたのか?についてだが、個人的な推測を立てるとすれば「美神の危機感を煽るため」という、身も蓋もない結論が導き出される。
これまでも記したことだが、このアシュタロス編に至るまでに、美神ー横島ラインを規定路線とするべく数々の補強がなされてきていた。
作中、男女様々なキャラクターに二人の関係性は動かし難い、間に入れないと認識させたり、時には台詞ではっきり言わせたり・・・
横島に好意を持つゲストキャラクターがごく稀に現れようものなら、美神自身がそれとなくけん制するということもあった。
それは、肉体を得て横島への好意をはっきり自覚したおキヌちゃんも例外ではなかった。

生き返ったおキヌちゃんの横島への好意は発展途上のものとして処理された。

言ってみれば、美神側から横島へのはっきりとした意思表示さえあれば、丸く収まってしまうセッティングは既に済んでいたのである。
そこまで至ってついに、根強いおキヌちゃん派やその他ゲストヒロイン派を納得させる最後の説得材料として、この長編はスタートしたのではないか。

しかし、横島と物理的に引き離されようと、今まで以上の強敵が現れようと、どこか美神はシリアスになりきれなかった。
そういうノリの漫画の、そういうキャラだと言われればそれまでだが、物語全体が終わりへと舵を切り始めた長編に至っても尚、真剣に横島に向き合わない意地っ張りぶりは、まさにキャラクターの一人歩き現象と言うほかない。

原因のひとつは、どこまでいっても横島は自分についてくるだろうという、これまでの連載で積み重ねた二人の関係性であるのは間違いないのだが。
逆にその慢心が、ぬるま湯のような関係を維持したいという、消極的な彼女の行動にも繋がっていたようにも思える。
(さらに目線を上げてみると、それは『横島ならどんなに無茶な扱いをしても無理が利く』という、GS美神という作品自体が持つ横島依存の物語構成の弊害と言っていいかもしれない)

勿論、この問題は椎名氏自身も認識していたことだろう。
だからこそ、物語に恋愛面での緊張感を付与するために、ついにジョーカーを切ってしまったのだ。
それがパピリオではなく、ルシオラを横島に絡ませた真相ではないか。
だがしかし、この判断こそがもっとも危険なカードであったとは・・・
週刊連載とはまさに生き物である。

子供キャラのパピリオ、パワー系キャラのベスパときて、頭脳担当のルシオラは、それまでイマイチキャラが立っていなかったのだが、横島への好意を自覚してからの彼女はメキメキと頭角を現す。
一応「寿命が一年と設定され、その分アンバランスな精神構造であるため、下っ端魔族は惚れっぽい」という、男にとって都合のいい展開への作者の照れ隠し的なエクスキューズは入るのだが、それにしたってその積極的な行動の数々は、多くの(主に少年)読者の心を揺さぶり、巻き込んでいくには十分であった。

初登場時とはまるで顔が変わったルシオラ。

思うに、彼女の背負っている設定が重過ぎるのだ。
一年の寿命もそうだが、人間と関係を持っても死ぬという設定まで後に付加された彼女は、ついには上の画像のような台詞を言ってのける。
命がけで好きだと言われて、それを袖にする少年漫画の主人公が居るだろうか?いやいない。
この情熱的な彼女の決意表明は、長期連載の弊害ともいえる人間関係的なしがらみのない、言わばぽっと出のキャラクターであったからこそ可能であったと言えるかもしれない。
ちなみに、ルシオラたち三姉妹を縛るこれらの諸設定は、後に美神側にルシオラとパピリオが寝返ってすぐに、台詞で「あの縛りは解除出来た」とあっさり処理されてしまう。
このあたりにも、ここまで彼女が生き生きと動き出すという予想を立てられなかった作者側の裏事情を感じざるを得ない。

かつて、椎名氏は自身のSNSで「横島はエロいんじゃなく女性からの承認に飢え過ぎている」と仰っていた。
その解釈からすれば「一夜を共にできるなら死んでもいい」なんて、究極の承認ではないか。
実際、この後二人は急速に接近し、自他共に認める恋人同士になっていく。 

この時点で、既に美神ー横島ラインを美神ファン以外の読者に納得してもらうことは不可能になっていたのではないかと思う。
30巻近く連載し、積み上げてきたキャラクター同士の関係性が、わずか1、2巻ほどの期間でごぼう抜きにされてしまった事例を、私は他に知らない。

この宣言以降、この長編は彼を中心に進行していく。

こうして、ルシオラを含めた三姉妹を救うという、なんとも真っ当なモチベーションをもって戦いに身を投じることになった横島は、どんどん成長していくことになる。
一方の美神は、スパイとして送り出した引け目もあったのか、恋人まで作って帰還した横島に対して受動的にならざるを得ず、戦いへのモチベーションも持てないまま、目先の目標を追いかける行動が目立ってしまう。
やはり、美神をヒーロー(主人公)として描くのなら、陳腐と言われようと囚われの横島を救うという点を彼女のモチベーションにするべきではなかったか。
囚われの姫が魔物と関係を持ち、しかも自力で帰ってきたとなると、勇者は何をすればいいのだろう。

これ以降、二人の視線は合わなくなっていく。

抗い続けるキャラクターたち

さて、蛍という儚げなモチーフからして、連載中の紆余曲折はどうであれ、最終的には物語からの退場を予定されていたであろうルシオラなのだが、彼女は作中で3度死んでいるのではないか、と思う。
暴論と取られるかもしれないが、まあ聞いていただきたい。

一度目は大ボスであるアシュタロスが美神一行の本拠地に出向いたときだ。
横島の動揺を誘う為のブラフだったのか、ここでアシュタロスは三姉妹を処分したと言い切っている。
まぁ、実際は条件付けを厳しくした程度のオチがつくのだが、ここで退場しても、恋人の死に目に会えないというハードボイルドが過ぎる展開にはなるが、横島のモチベーションを強化するという意味では有効に作用しただろう。
一方で、いよいよもうギャグ展開には戻れないという危険性もはらむが。

二度目の死は、瀕死の横島に霊基構造なるものを渡し肉体を失ったときだ。
既に増えつつあったルシオラファンの反発は置いておくとして、展開的にもお膳立てが整っており退場のタイミングはここが一番良いように思える。
しかし、なんと彼女はこの後も、横島の脳内に思念体として登場し続ける。
まるで作中で宇宙意思と形容された、世界を創造する神=作者の意思に抗うかのように。

ある種、この時点で決着はついていたのかもしれない。

そして3度目は、パピリオやベスパがルシオラの霊波片なる欠片を必死で集めるも、再生に十分な量には達さず、彼女の思念体もまた横島の中から消えてしまった瞬間である。
ちなみに、上記のベスパは自身の眷属である妖蜂に霊波片を集めさせ復活しているので、読者にルシオラ復活への一縷の希望を与えた上での念入りな退場であった。

長いお別れ。

だがしかし、ここでも彼女はまだ抗うのだ。
最早完全に物語のカメラが横島に向いている以上、この長編のエピローグは彼がどうやって立ち直り、今まで通りのギャグキャラへと復帰できるかという点に絞られることになる。
恋人と死別したという影を彼に背負せ続ければ、ギャグどころではなくなってしまうからだ。

そこで示されるのが、横島の娘としてルシオラが転生するという可能性だ。
当時から賛否あるこの展開だが、これはひとえにルシオラという存在が連載中どんどん一人歩きし、作者のコントロール下から逃れよう逃れようとする動きを見せた末の、彼女の最後の抵抗のように思えてならない。
念のために補足すると、作中では確実に彼の娘として転生できるとは言い切っていない。
あくまで可能性のひとつとして示されるのみだ。
しかし、誤解を恐れずに表現すれば、この「魂の貞操帯」とも言うべき、ルシオラが横島に残した楔は決して軽いものではなかった。
この後3巻分ほど続くGS美神に於いて、横島と誰かがどうこうなる展開を最後まで許さないほどの、絶大な影響力を持って横たわることになるからだ。

今でも椎名氏はSNS等で時折GS美神のキャラを描き下ろすことがあるのだが、そこで描かれるキャラクターたちは
幽霊のままのおキヌちゃん
自信満々の初期ボディコンスタイルの美神
霊能力を持たない荷物持ち時代の横島
であることが多い。
もちろんアニメ化もされ、パブリックイメージ的にはこの時期のスタイルが一番馴染み深いということもあるのだろう。
しかし、それにしたって物語中盤から後半を想起させる要素を完全に消し去った絵が大半なのだ。
ちょっとした読みきり短編でもこの傾向は変わらない。

10年ほど前の読みきりでも、時系列は原作初期の設定であった。

おキヌちゃんが生き返るのは単行本でいうと20巻前後。全39巻ということを考慮すると、中盤以降の要素を描いた絵がまったくないことになる。
他の漫画で例えるなら、超サイヤ人になった悟空や彼の息子たちがまったく描かれないドラゴンボール、とでも言えばいいのか。

言わずもがな、現在椎名氏の手でルシオラが描かれることもまずない。※2
おそらく、いまだにかつての顛末を引きずる読者との無用なイザコザを避けるためだろう。現代はそれほどまでに作者と読者の距離が近いのだ。
ここまでくると、作者にとっても読者にとっても、この展開は一種の呪いではないかと思えてならない。
終わりよければすべて良し・・・という言葉があるが、終わりにしこりを残すとこれほどまで後世に影響するのかと身震いしてしまうのだ。

結局消滅した後も、ルシオラはこの長編の最終ページまで出続けた。

一世一代の長編であったアシュタロス編に於いても、自分自身の感情と向き合いきれなかった美神は、その後ラブコメ的展開から遠ざかっていく。
より正確に言うと、この後の物語からラブコメの気配が消えたのだ。

これほどの大事件の翌週から、物語をどうリスタートさせるのか?
椎名氏が取った手は、アシュタロスの一件については以後一切触れないという、いわば封印扱いするという手法であった。
そうして、GS美神は表面上は以前のギャグ漫画に戻っていくことになるのだが、それなりの数の読者がこの処断に納得せず、離れていくことになった。

この漫画の柱でもあるギャグメーカー横島も、あれだけの経験をしておきながら、それをおくびにも出さず空回りのギャグを続ける姿に、精彩の欠いた印象がぬぐいきれないまま、その後一年弱で連載は終わった。

終わりに


「アシュタロス編は言わば劇場版であり、ルシオラはゲストヒロインなのだ」
という意見がある。
なるほど。確かにそう考えれば、あれだけ劇的な体験をしたにも拘らず、翌週にはなにもなかったかのように美神や横島がギャグをやっているのも頷ける。
ようは大長編ドラえもんの、のび太くんの活躍と同じというわけだ。
しかし、連続ドラマの要素も含むGS美神に於いては、それまで張ってきた伏線を回収しにかかった長編を本筋とは関係のない番外編だ、と言い切るのはやや乱暴なまとめ方であるように思う。

キャラクターの一人歩きというテーマで語ってきた本記事だが、実は作中で一番頑強に作者に抵抗したのは、他でもない美神令子その人だったのかもしれない。
複雑な生い立ちを持つ彼女は、若干20歳で個人事務所を構え、一人で力強く生きてきたキャラクターだ。
裏を返せば、世間に抗い、常に意地を張って生きてきた女性とも言えるだろう。
そんな彼女にとっては、作者の意図によって補強された、横島との前世での縁だの、彼と結婚している未来だのは、現世利益の前では関係のないことだったのかもしれない。
連載当初から明確に確立されていた美神のポリシーからすれば、どれほど憎からず横島を想っていようが、少なくとも作者や読者の目がある連載中に、自分の気持ちをはっきりと口に出すなんて考えられなかったのではないだろうか。
作者どころか、読者の期待の目からも逃れようとする・・・
そんなキャラクター性こそが彼女の魅力なのではと、最近改めて思うのだ。

いや、むしろ美神と横島の関係は、作者が意図していたような恋人や夫婦といった既存の男女関係では括りきれない、真の意味でのパートナー(相方と表現すべきかもしれない)として作中で機能していたが為の認識の齟齬だったのかもしれない。
椎名氏がこれほどの我の強いキャラクターを生み出せたことは、今読み返しても感嘆するほかない。

こうした生きたキャラクターを持てたおかげで、連載終了後、GS美神は二次創作界隈で絶大な人気を誇り、一時代を築いた。
今でも検索すれば山のように二次創作が見つかるほどに。
もちろん、これほど二次創作が活発になった理由は、原作の納得のいかない展開を是正したいという欲求や、恋愛の決着をつけなかったことで生まれた想像の余白などもあっただろう。

古い作品ではあるし、90年代ノリが強過ぎる部分もあるのだが、それでも根強い人気を持つ作品なのだ。
機会があれば、ぜひご一読を。


注釈

※1
例えばゴルゴ13で有名な故さいとうたかお氏は、作品は発表した瞬間、読者のものになり自分に権利がなくなると仰っていた。
他の例では浦沢直樹氏がYAWARAの新装版を出す際、当時から気に入らなかった絵を修正したところ「何の権利で修正しているんだ」とクレームを受けたという。

※2
2019年にGS美神をテーマにしたコラボカフェ企画で十何年ぶりにルシオラが描き下ろされたときは一部界隈がざわついたほど。
もっとも、この時のキャラクター選考はSNSでの人気投票で決められており、外的な強制力が働いたともとれる。

当時発売されたアクリルスタンド。


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