小説版『仮面ライダー1971~1973』の話 前編-2022-
仮面ライダー(1971)の成功の要因はいくつかある。 怪獣ではなく、等身大の怪人という当時の子供たちにとって身近な恐怖感や、本郷猛から一文字隼人への交代による番組カラーの変化と変身ポーズの誕生、それに付随するなりきり変身ベルトという傑作玩具の誕生etc、etc・・・ 偶発的なものから計画的に行われた番組強化策など、それらすべてが複合的に絡み合った結果、仮面ライダーというブランドは令和の今日に至っても絶大な人気と知名度を誇っている。
そんな中でも、特筆すべき仮面ライダーの発明といえば、主人公と同格のヒーローが作品内に同時に存在し得るという点であることは、疑いの余地のないところだろう。
しかし、そのきっかけともなった本郷猛から一文字隼人への主役交代劇自体は、以前の記事でも紹介したように、不幸な事故による応急処置的な展開であったことは広く知られた事実である。
では、藤岡弘、氏のあのバイク事故が起こらず、仮面ライダーが本郷猛ただひとりだけだったとしたらどうなっていただろう? 2号ライダーが存在しない仮面ライダーとは、一体どんなものになっていったのであろうか。 具体的には・・・
・もともと仮面ライダーのスタイルチェンジは、ナイトシーンでの視認性の問題などで1クール中から検討されていたため、旧2号ライダーのあのコスチュームは本郷用に誂えていたものだった。
・関東圏での視聴率の伸び悩みから、当時の怪獣ブームにあわせ仮面ライダーも巨大化する予定であった。13話登場のトカゲロンが怪獣のような風貌なのはその為。
・番組カラーを明るくするため、本郷の性格が明るくユーモラスになっていく予定だった。
等々、当時の関係者の証言からなるさまざまな情報が書籍やネット上に氾濫している。 ただ、ひとつ確実に言えるのは、これらの番組強化策が実際に藤岡氏主演のシリーズ中に行われていたとしても、我々の知る昭和の仮面ライダーブーム、ひいては各局でヒーロー番組が群雄割拠した、70年代前半の変身ブームが同じように起こったかと言われれば、非常に難しいだろうということだ。
実は、そんな思考実験にも似た歴史のifに果敢に取り組んだ作品がある。 それが今回紹介する、和智正喜氏・著『小説版仮面ライダー』である。
正確を期すると、講談社マガジン・ノベルズ・スペシャルより2002年に第1作目の『仮面ライダー-誕生1971-』が発表、翌2003年に2作目が『仮面ライダー-希望1972-』として刊行され、しばらく間を空けた後、2009年にエンターブレインより前述の2作品にプラスして完結編である『流星-1973-』が書き下ろし収録された完全版が発表された。
映像作品としてはアクションが一番の売りである仮面ライダーシリーズの性質上、仮面ライダー関連の小説作品が多数存在する現在はともかく、この作品が発表された当時には小説発信の作品は少なかったという印象がある。 かくいう私も、辰巳出版のムック『東映ヒーローMAX』の新刊紹介ページの片隅に載っていた本作になにか惹かれるものを感じなければ、その存在を知れたかどうかも微妙なところであった。 そして実際に手に取ってみた結果は、自分の直感からくる目利きが誇らしくなるような、すばらしい作品だったのである。
・誕生-1971-
前述した通り、本作は2号ライダーが存在せず、仮面ライダーが本郷猛ただ一人であったら・・・という想定に基づいて書かれた作品である。 では、本作はTV版の1クール目、所謂旧1号編をノベライズ化し13話以降のifを描いた作品か?と聞かれればノーだ。 ならば、原作者石ノ森章太郎先生の萬画版を意識した作品なのか?と聞かれても、少し違和感を覚える。 もちろんTV版や萬画版を想起させる要素は、作中にいくつも存在する。 代表的なものを挙げれば、本作の仮面ライダーは明確にヘルメットと強化スーツを着込んだものだと設定されている点だ。これはまさに石ノ森萬画版を強く意識した設定であろう。
厳密に言えば、それに加えて改造人間ならではの仕掛けもあるのだが、詳しくはネタバレになってしまうので割愛させていただく。
つまるところ本作は「TV版、萬画版両方の要素を巧みに織り交ぜ再構成し、仮面ライダーの核心に近いものを見事に換骨奪胎せしめた、まったくのオリジナル小説である」という表現がもっとも正しいように思う。
それが如何に困難な執筆作業だったかは、最早凡人の私には想像も及ばないが、和智氏の確かな筆力と、1971年当時をリアルタイムで生きた世代人としての説得力が見事にそれを結実させているのだ。 そう、本作の舞台は1971年の日本である。現代(2002年当時)に時間を移してのリブート作品ではない。 読み進めていくうちに、それが肝になってくるのだ。
あらすじは至ってシンプルだ。 『ショッカーによって拉致され改造手術を施された本郷猛が、脳改造寸前に脱出し仮面ライダーとなってショッカーと戦う』というものである。 こうして書き出してみると、初代仮面ライダーとまったく同じあらすじであることがわかる。 だが本作は、キャラクターへの感情移入と理解を深めるのを助ける小説ならではの繊細な心理描写や、文章という表現手段を生かしたトリック・・・ そして現代(2002年当時)の感覚によって設定、ディテール等を再解釈された人物や組織が織り成すクールさと熱量を伴ったドラマが、読むものを惹きつけてやまない傑作に仕上がっている。
ただ、客観的な視点から本シリーズを見れば、50年を越える仮面ライダーの歴史の中ではややマイナーな作品であることに間違いはないだろう。 映像作品が本流とされているシリーズである以上、小説という媒体の時点で分は悪いのは仕方のないことだ。 だが、2009年の完結編発表から数えても早10年以上の歳月がたつ本シリーズの、ネットやSNS上でのファンの熱量はいまだに非常に高いものを感じる。 つまりは、とても根強いのだ。 仮面ライダーという看板を掲げている以上、一定の人気が担保されているのは当然だが、ファンが本シリーズに向ける執着を見るに、私は本作がカルト作品に近い雰囲気すら纏いつつあるなと感じている。 カルトの定義は難しいが、ことエンタメに使用される場合としては「見た者の価値観を変えてしまうほどの作品」といった意味合いである。
このシリーズのファン(もちろん私もだ)の愛情や熱量は、それに近いものを感じるのだ。 はたしてあなたは価値観が変わるほどの衝撃を受けられるか、それはぜひご自分の目で確かめていただきたい。
・希望-1972-
さて、前作が好評を持って迎え入れられたのか、続刊となる本作はほぼ1年後にスムーズに発表された。 シリーズ化が決まったものと理解した私は、当時のネット通販での配送期間が待ちきれず、近所の書店を巡って発売日に手に入れた思い出がある。 喜びを噛み締めながらページを開いた私を待っていたのは、前作以上にハードな物語であった。 本作は、前作で仮面ライダーとしてショッカーと戦う決意を固めた本郷猛の敗北が描かれていたのだ。
さて、ここで一旦閑話休題をして、この小説版仮面ライダー2作が発表された2002年~2003年における昭和の仮面ライダーの状況についてお話したいと思う。
遡ること2000年に『仮面ライダークウガ』が放送を開始し、続くアギト、龍騎、555と、平成の仮面ライダーがシリーズ化していく過渡期の時代である。
長期シリーズではよくあることだが、旧作を見て育ったファンというものは、得てして新シリーズに対して抵抗感を抱きがちだ。 おそらく初めて見たものを親だと思ってしまう、鳥の刷り込みと同じような理屈が働くのだろう。 共通のブランド名を冠している以上、比較されてしまうのは仕方がないこととはいえ、中には言いがかりに近い批判をしたり、自分たちが慣れ親しんだ作品との共通点の有無のみが評価基準であったりすることもざらにある。
平成ライダー黎明期のこの時期に、この構図の諍いがファンダムでは起こっていたのだ。
当時の若い世代のライダーファンたちは、そういった一部の昭和ライダーファンの頭ごなしな平成仮面ライダー批判に嫌悪感を抱き、反発するという悪循環が生まれつつあった。 たかが子供番組、されど子供番組。外野からすれば非常にくだらない話だろうが、昨今世界的に問題になっている世代間の断絶が、こんな小さなコミュニティの中でさえ生まれていたのだ。
そうした若いライダーファンたちの一部が、反撃の意味で旧作ファンへ口を揃えてよく使うフレーズがあった。
「昭和の仮面ライダーはつまらない」という類の批判である。 もちろん昭和のライダーだって、大勢の大人が関わって懸命に作った一種のマスターピースである。決していい加減な姿勢で作られた作品でないことは、各種のインタビュー集やメイキング本などを見れば明らかだ。 だが、やっかいなことに、そういった昭和ライダーへの否の声は、実は80年代90年代に於いてもファンダムの中で既に存在していた。 特に、東宝の特撮映画や円谷プロ作品を愛好する一部のファンたちが、その急先鋒であった。 曰く「丁寧な特撮とメッセージ性を持った東宝・円谷作品に比べて、ライダーはチープな様式系番組だからいまひとつノれない」という批判だ。
兎に角、80年代90年代というのは、子供向け特撮番組への扱いが2022年の現在よりもかなり悪かった時代である。 過去に成功し国民的ヒーローとも言われたウルトラマンシリーズですら、ジャリ番などと下に見られることも珍しくなかった。 特に80年代はアニメーション作品の内容が多岐にわたり進化・複雑化し、それに比例して対象年齢もどんどん上がり、ファン層も拡大していた時代でもあった。
「アニメ作品には20代30代のファンがいても普通」という認識が出来上がりつつあったことも「アニメに比べて特撮は単純で幼稚だ」という認識に拍車をかけた。
一方、その頃の日本の特撮作品の状況はと言うと、全盛期に比べ映画とTV両方でその数を減らし、東映のみが孤軍奮闘しているという状況であった。 そこに黒船のごとく現れたのが、スターウォーズシリーズ(1977~1983)である。初代ゴジラ(1954)以降、日本の18番と思われていた着ぐるみやミニチュア特撮などが、黎明期のコンピューターや革新的な技術を導入したアメリカ大作映画の攻勢によって、表現の基準が完全に刷新されてしまったのだ。 このままでは日本の特撮が世間に忘れ去られ、世界の映画界から置いて行かれるのではないかという危機感と不安感が時代に漂っていた。 そんな苦境に於いては、過去作の検証・研究と同時に、その地位向上をも至上命題としなければならなかったのである。
平たく言ってしまえば「自分たちが見てきたものは決して幼稚ではなかったのだから、いまだに特撮が好きでもなんら恥じることはない」という理論武装を誰も彼もが行っていたのだ。 こういった雰囲気は令和の現在になっても、いまだに界隈に残っているように思えてならない。 単純に「好きだから好き」でいいじゃないかと思うのだが。
そんな空気感の中では確かに昭和の仮面ライダーシリーズは分が悪かった。 80年代頃には既にファンの間で別格扱いされていた旧1号編ですら、映画作品とは勿論比ぶべくもないが、例えば同時期の円谷プロのTVシリーズと比較しても半分以下の予算規模で製作されていたからである。
そういった事情もあって、1971年という時代性を考慮しても、特撮を含め表現的に成功しているとは言いがたい映像が多々あるのは事実なのだ。 低予算の中、多分に実験的な意味合いもあったのだろうが、例えば旧1号編の5話における、糸を人体に見立てて床に置き、画面外からそれを引っ張り解けていく様を人体破壊描写として表現したシーンなどは正直閉口してしまう映像である。
そして、これは案外見落とされがちな事実なのだが、成人してから幼少期に慣れ親しんだ特撮作品を改めてもう一度見返そう、という発想はあまり一般的ではない。
それは多分にその人がジャンル的な趣味に傾倒しているから、自分の原点を振り返りたくなっているのである。 そもそも論として、レンタルビデオが定着する以前の映像ソフトは非常に高価だった。それこそ思い入れがある程度なければ、なかなか手が出ない状況だったのである。
その為に、日本各地の地方局で再放送したものを録画し、それを雑誌の文通コーナー等を通して交換し合ったり売買したりと、今の目で見れば信じられないような涙ぐましい努力があったくらいだ。 つまり、そういった趣味性を持つ人たちからすれば、既にスターウォーズやエイリアン(1979)を通過してしまった時期に見返す昭和ライダーの映像は、はっきり言ってチープに映ってしまうのは無理もない話だったのだ。 脳内で美化された思い出が崩れ去っていくことほど辛いことはない。 「これが好きだった頃の自分も好きだな」と達観出来るほど、80年代の彼らは大人でもなかった。 結果特撮ファンダム界においては、昭和の仮面ライダーとはある種軽んじられる・そう評していい存在だという空気が、その後90年代にかけて徐々に醸成されていくことになる。
シナリオ研究に於いてもそれは同様だった。 昭和のウルトラシリーズの分厚いシナリオ研究本や脚本家へのインタビュー本が充実していく中、昭和ライダーのそれは非常に少なかった。 加えてその数少ない研究本すら、ウケを狙ったような、今の目から見ると非常に執筆者の主観と偏見が強い、ストーリーの矛盾や穴をあげつらったものも少なくなかった。 もっとも、こういったシナリオの矛盾点などは昭和ライダーに限ったことではなく、ソフト化されて何度も見返されるという意識のなかった時代のTVドラマ全般で、ままあることなのだが。
加えて決定打となったのは、1988年にフジテレビ系列で放送されていたバラエティ番組『とんねるずのみなさんのおかげです』内のパロディーコント『仮面ノリダー』の存在であろう。 内容は初代仮面ライダーを過度に誇張したもので、当時非常に影響力のあるゴールデン帯のバラエティ番組であったことと、マニアではない一般層が持つ昭和ライダーへのうっすらとした印象とコントの内容とが合致した結果、ノリダーは瞬く間に同番組を代表する人気コーナーとなっていった。 『おかげです』は視聴率も常に20%前後をマークし、奇しくも昭和の仮面ライダーブームに匹敵する人気を得たノリダーは、かつてのブームさながらに、児童誌で特集記事が組まれるほどの存在になっていく。
それが何を意味するのかと言えば、平成ライダーにハマっていた2000年代当時の青年層のファンにとって、昭和の仮面ライダーのイメージがこのノリダーによって書き換えられるほどの影響力があったということである。
いや、むしろ彼らの世代(1980年前後生まれ)にとっては、仮面ライダーの原体験がこの仮面ノリダーだったと言っても過言ではないかもしれない。 当時、仮面ライダーBlack RX(1988)が現役のヒーローとして放送されていたにも関わらず、だ。 当時は2022年現在よりも、はるかにTVの影響力が強かった時代である。 彼らは奇しくも昭和ライダーファンと同様に、『おかげです』の放送の翌日には学校でノリダーの話題に興じていた。 視聴率20%という数字は、それほど強烈な共通体験なのだ。
以上のような複合的な要因が重なって、平成ライダー最初の全盛期である2002~2003年当時に於ける昭和ライダーの評価は、実際に見返される※1ことも少なく「どれも似たような中身のない内容で、今の目で見るとギャグにしか映らない」といった印象論が支配的になっていたのだった。
※1 実は「実際に見返されない」という原因のひとつに、ほぼ平成ライダーと同時期に始まった漫画『仮面ライダーSPIRITS』の存在が多少なりとも影響しており、また本作と無縁でもないのだが、それはまた別の機会で。
と、ここまでつらつらと偉そうに書き連ねておいて非常に心苦しいのだが、私自身も嘘偽りのない当時の本音を告白してしまえば、やはり昭和ライダーをちゃんと見もせずに、言わば舐めていたと思う。 私自身は昭和ライダーに関してはリアルタイム世代ではないし、子供の頃はどちらかと言えばウルトラ派であったので、昭和ライダーは児童誌の特集やたまに再放送で見かける程度の印象であり、能動的に見ようと思い至ったのは実はこの小説がきっかけだった。
そしてご他聞に漏れず平成ライダーに夢中であった当時の私にとっては、まさにこの作品と出会った衝撃は強烈で「昭和の仮面ライダーの本質はこれなんだ!これこそ本郷猛のオリジンだ!」と深く心に刻まれたものであった。 もっと言ってしまえば、このシリーズこそが昭和のシリーズにはない(と思い込んでいた)
『大人の鑑賞に堪えうる』
『子供だましではない』
我々が待ち望んだ本物の仮面ライダーなんだ!と私は一人感動に打ち震えたのだ。 みんなの共同幻想としての『繊細さと深いメッセージ性を持った、大人になっても楽しめる昭和の仮面ライダー』を見事に作り上げられた和智先生は天才だ!と心底心酔していったのである。
今になって振り返れば、1971年当時のTV版や萬画版といった、本当の意味での原点をろくに知りもせずに、そんな感想を抱いていた当時の自分の無知と偏狭さに恥じ入るばかりである。 オリジナルへの敬意と愛情に溢れる和智先生にとっても、そんな執筆意図などなく甚だ迷惑な話であろう。 そう、TV版や萬画版、その他石ノ森作品・・・そして石ノ森先生自身のパーソナリティをその後になって知った今読み返すと「ここは○○と○○からきているのか!」と、改めて和智先生の知識量と愛に圧倒されてしまうのである。
・・・と、寄り道が過ぎた。失礼しました。
改めてあらすじだが、2作目となる本作では本郷は決定的な敗北を経験する。 では、敗北した本郷は如何にして立ち直っていくのだろうか? 昭和らしく特訓?それとも再改造?はたまた誰かの叱咤激励? その何れでもないとだけ言っておこう。 ただひとつ個人的な体験をお話しするとしたら、当時若さゆえに「大人はすぐお葬式や映画館で泣いていて馬鹿みたいだ」と、経験不足からくる感情のストックのなさを自覚もせずに、どこか斜に構えて見ていた私が、はじめて文章で、小説という表現媒体で涙したのがこの「希望-1972-」である。 三篇あるシリーズ中で、どの部が一番好きかと聞かれれば私は悩み抜いて本作を挙げるだろう。
その他、TV版でお馴染みだったキャラクターがついに出揃い、仮面ライダーとしてのセットアップが完了していく様子もまた小気味いい快作に仕上がっているので、おススメである。
さてさて、本来ならばひとつの記事でシリーズ三篇をご紹介できればと思ったのだが、例によって長くなってきたので前後編に分けさせて頂こうと思う。 ここまでお読みいただきありがとうございました。
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