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小説版『仮面ライダー1971~1973』の話 後編-2023-

・はじめに

新年明けましておめでとうございます。
はたしてこの記事の後編を待っていてくださった方がいたかはわかりませんが、年跨ぎになってしまい恐縮です。

・流星-1973-

さて、前編でもお話したことでもあるのだが、完結編となる本作は2作目である希望-1972-から6年ほど間を空けて、出版社を講談社からエンターブレインに変え刊行されたという事情がある。
加えて、そこに補足する情報がある、と言うと少々大げさだが、前編の記事内で濁していた部分があったのをご記憶だろうか。

ーほぼ平成ライダーと同時期に始まった漫画『仮面ライダーSPIRITS』の存在が多少なりとも影響しており、また本作と無縁でもないー
以上、前編より抜粋。

そう、実はこのシリーズが誕生したきっかけは、先行していた漫画作品「仮面ライダーSPIRITS」の成功があってのものだったのだ。
ようするに「漫画で成功したのだから、今度は小説で仕掛けよう」と意図された、言わば両者は姉妹関係にある作品と言っても過言ではない。
このことは、著者の和智正喜氏が3作合併本である本書のあとがき等で折に触れて明かしている事実である。

2014年2月に新装版として改めて発売されている。

しかし、漫画と小説ではやはり世間的なキャッチーさは違ったのか、書籍としての売り上げはまずまずだったものの、仮面ライダーという大看板を背負った作品としては期待されたほどの売り上げには達していない、と判断され2作目を最後に長期シリーズ化は断念された、という経緯があった。
本作は、作家としてシリーズの完結を願っていた和智氏と、続編を熱望していたファンにとっても6年越しの念願の完結編なのである。

待ちに待った待望の続編、早速購入して一気に読み進んだ私の初見の感想は、誤解を恐れずに言うならば「あれっ?」という感じであった。

もちろん要所要所に素晴らしいシーンはあるし、前2作からのおなじみのキャラクターたちのアンサンブルなど、ファンとして嬉しくなってしまう部分もたくさんあった。
だが、そのエピソードたちを繋ぐ、言わばダンゴの串にあたる作品の骨子の部分に違和感を抱いてしまったのだ。
いや、違和感と言ってしまうと少し語弊があるかもしれない。
詳しくは、ぜひご自分の目で確認していただきたいのだが、作品の基点となるアイディアに強い既視感を覚えてしまったのだ。

もちろん、まったくのオリジナル要素のみで組み立てられた作品など、この世の中には存在しない。
「オリジナルというものは、それまでに刷り込まれた知識から醸し出されるものだ」黒澤明監督の名言である。
そう、意識する・しないに関わらず、作品というものは先達の影響を必ず受けているものなのだ。しかも、この作品は仮面ライダーである。
オリジナルの仮面ライダー(1971)はもちろん、その後の仮面ライダーシリーズやライダー以外の石ノ森作品の要素が入ってくるのは当然だろう。

詳細は省くが、流星-1973-に使用されている「あるロジック」が、平成仮面ライダーの某作品にて使用されていたロジックと、まったく同じだったのである。
これは、前述したように同じ仮面ライダーであり、同じ石ノ森作品を原作とした作品である以上、ある意味仕方のない類似なのかもしれない。
特に、当時の平成ライダー製作スタッフと和智氏は世代的に同年代であり、影響を受けてきた作品が似通っている、という世代論も成り立つだろう。
しかし、我ながら過敏な反応だと思うのだけど、特に世に出たタイミングがその某平成ライダーの方が先行していた、という理由もあって「なんだ同じじゃないか」という感想をまず抱いてしまったのは、当時の偽らざる本音なのである。

一度そういった印象を抱いてしまうと、作品のそこここにあるイースターエッグ的な小ネタ・・・
例えば人物名などを昭和ライダーシリーズから字を変えて引用している点や、V3以降の昭和ライダーを思わせる要素等も、かえって鼻についてしまうというか、当時の私にはノイズのように思えて、作品にうまく没入できず「そこじゃないんだよな」と、逆に引いてしまったのだ。

と、ここまで読んできて「なんだこいつ、マイナスな感想しか言わないな」とお思いの方も多いでしょうが、初見時は、完結編発表まで間が空いたことによって、私の中に(勝手に)高すぎるハードルが出来ていたのだと、どうかご容赦いただきたい。
そして、小説に限らず、作品というものは触れる年齢によって印象ががらっと変わってしまうのもまたよくあること。
かく言う私も、完結から10年以上が経過し、当然ながら自分自身も10歳年を重ねた今現在の本シリーズへの印象は「3作通してテーマは不動であったな」という認識である。

誕生-1971-・希望-1972-・流星-1973-の3作に共通しているのは、その時々の時代で話題になった流行や事件が地の文で事細かに紹介されている点だ。
10代だった当時は、生まれる20年ほど前の出来事にあまりピンとこず「1970年代当時へ読者を誘う呼び水であろうな」と理解はしていたものの、言い方は悪いが本筋とは無関係のものとして読み飛ばしていた感もあった。
だが、今思うとこれは、我々が生きた歴史の裏側で、たった一人で人知れず戦い続けた仮面ライダー=本郷猛という男のクロニクル(年代記)なのだ、と思い至ったのだ。※1

それに気付いたのは、流星-1973-のエピローグを最近になって改めて読み返したときだった。
初見時では少々唐突に思えたこのエピローグこそが、このシリーズの本質を表現し、且つ完結の〆に相応しいものだったのだ。
姿を変え、時代を超えても尚、仮面ライダー=本郷猛は人類の自由のために戦い続けるのだ、と。

今となっては入手に少々骨を折るかもしれないが、映画シン・仮面ライダーの公開も控えているこの時期だからこそ、是非とも手に取っていただきたい作品である。

ロンリー仮面ライダー

※1
誕生-1971-の巻末解説を執筆した脚本家の赤星政尚氏によって、その点が見事に言及されているのを最近まで失念していたのは痛恨の極みであった。

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